2010年12月31日金曜日

Debit or Credit?

スーパーに買い物に行って、Check Outしようとするといつも聞かれるのが、"Debit or Credit?"という質問。デビットカードを提示しているのだから、当然Debitでしょと思うのだが、どの店員も聞いてくる。で、不思議だったので調べてみたら、以下のようなリンクが。なるほどねぇ。

http://redtape.msnbc.com/2007/09/paper-or-plasti.html

年越し蕎麦

日本の皆さん、今年も宜しくお願い致します。でも、こちらニューヨークは2010年が終わるまであと9時間ほどあるけど。カウントダウンはタイムズスクエアでと思ったけど、友人いわく「人出がもの凄い」ということと、ここ数日大晦日でもないのにやたら大混雑のタイムズスクエアにうんざりしたため、今日はおとなしくアパートで過ごすことにした。
寂しい年越しだけど気分くらいは明るくと思い、年越し蕎麦の材料を買いに近所のコリアンスーパーに買い物へ行ってきた。しかし覚悟はしていたけど、やっぱり日本食の材料が高い。。どうせ蕎麦つゆ買っても使い道がなくなるのは目に見えているので、今後も使い回しが利くように醤油とみりんを購入して自分でつゆを作ろうと思った(少なくとも日本にいた時我が家では蕎麦つゆなんて買わなかったから)のだが、高すぎて泣けてきた。醤油が500ml、みりんが350mlでそれぞれ320円ほど。蕎麦に至っては、8人前分くらいで600円くらいした。日本で買ったら、もっと安く上がるのにと思いつつも、手段が無いので致し方なく購入。そして肝心要の鰹節が見当たらなくてショック。足を伸ばせば品揃えのいい日系スーパーなどもあるようだが、そこまでのモチベーションはなかったため諦めた。

とりあえず実家の母にメールして、食材を送ってもらうことにした・・。

2010年12月30日木曜日

Religion

昨日はColumbia Business SchoolのITG(学校のIT部門)によるLaptop Configuration Sessionがあった。若干トリッキーだが、まだ学校は始まっていないので、実質的には初めての学校主催のイベントとなった。CBSでは学生1人1人がノートパソコンを持つことが義務づけられている。OSに対する要件は緩くて、WindowsでもMacでもいいと。こちらではStarbucksでAT&T提供のwifiが無料で使えるので、大抵のお客さんはPCを持ち込んでいるが、ざっと7割くらいはMacを使っている。僕の見た限りだと、Macは想像以上の市民権を獲得しているようだ。そういう状況も考慮してか、学校側もWindowsもMacも両方受け入れているのだろう。かくいう僕も今回は愛用のMacbook Pro "11を持参したが、Bootcamp上のWindows Ultimateに対して設定をしてもらうことにした。エクセルワークとかパワーポイント作成となると断然Windowsの方が効率性が高い。仕事では殆どマウスを使わずにショートカットキーで殆どの作業をこなすくらい、Windowsにあまりにも慣れてしまっている。Mac OSに設定を入れてもらうということも考えなくもなかったが、後悔するのが目に見えていたので止めておいた。

朝8時にUris Hallの指定された教室でPCを預けて、17時に受取に来て、そのままITGの担当者による簡単なオリエンテーションというスケジュールだった。17時に教室にPCを取りにいくと、設定完了済みのPCが並べられていた。これが個人的には面白くて、扇形の教室の左半分にWindows PCが、右半分にMacが並べられていた。数はWindowsの方が多くて、6.5対3.5といった感じ。完全に僕がStarbucksで観察した状況と逆をつかれた感じ。色んな理由があると思うが、Windowsのビジネス環境への浸透度というのは非常に高くて、これも色んな理由でなかなかビジネスマンが「改宗」するというのは難しいんだろうと思う。

オリエンテーションでびっくりしたのだが、Columbia Universityのwifiというのは学生じゃなくても誰でも使える。WEP入力も要求されないし、ましてやLoginも不要。セキュリティとかキャパシティのことを考えるとそんなの有りなの?と思う。悪意のある人間が買ってにwifiに接続して、同じネットワーク上のPCをスキミングしたり、あまりに沢山の人がネットに接続してIP足りなくなったらどうするんだろう、という疑問はつきないが、大学側としては特に問題視してないらしい。ただ、CBSはCBSで独自のwifiをセットアップしているので、こちらはLoginが必要であるためその心配は無い。ITGからは出来る限りCBSのwifiに繋ぐようにということだった。SchoolそれぞれにIT部門があるというのも何だか日本では考えられない話だが、ネットワークも別とは各々のスクールの独立性には恐れ入ってしまう。

ノートPCの設定が終わったのでようやく学校のプリンタが使えるようになった!これでBed, Bath and Beyondのクーポンもプリントアウト出来るぞ。

2010年12月29日水曜日

No way!

AT&Tから携帯電話の請求が来た。AT&Tの請求書はウェブサイトから確認できるのだが、その金額を見てぶっちゃけ目玉が飛び出た、というか吹き出した。何せ4日しか使ってないのに、147ドルの請求が来たのだから。課金期間が12月20日から24日の4日間しかないのに147ドルなんて金額は、頭の中にあるパラメータをどう四則演算しても辿りつく解ではない。頭の中には当然、日本の携帯電話を契約したときの経験があるので、(①基本料金×利用日数/30の日割計算分+②初期契約手数料)×(1+TAX)みたいな感じで、大体40ドルくらいと踏んでいた。だから、自分の想定金額の4倍近い金額が目の前に現れた時は本当にびっくりした。
 しかもこっちの請求書は超単純。請求書の内訳もMonthly Service Charge、Usage Charge、Other Charges、Government Fee/Tax、といった4アイテムくらいに集約されてしまっているので、一体全体どういう明細の積み上げでこんな金額になっているのか皆目検討がつかない(こういうのを見ると、日本の携帯電話会社が出している請求書がどれだけ細かいかというのが分かる)。さらに最悪なことに、携帯を契約してからSIMカードの不良で1回SIMを交換しているのだが、店舗のスタッフに「後で携帯料金の請求から差し引くから」と言われて支払った38.01ドルも引かれていない。もう、一体全体どうなってるんだ。
若干AT&Tに不信感を抱きながら、コールセンターに電話。オペレーターに「とりあえずこの明細のブレークダウンを教えてくれ」とお願いして、説明してもらったのだが「今月分は日割計算で、Activation Feeが含まれているから高くなっている」という回答。「いや、日割計算もActivation Feeも自分の想定内なので、その合計と147ドルの差分の100ドル近くが何なのかを教えてもらいたいんだけど」というと、若干すったもんだした後に「基本料金については翌月分を事前請求するので・・・」と。。なにーっ!使ってない携帯料金を事前請求されるなんて信じられん!と思ったけど、これで合点がいった。僕の想定請求金額に丸丸1ヶ月分の基本料金分を足すと確かに147ドルになった。聞かなかった自分が悪いのかもしれないけど、契約時にそんな説明は全く無かったし、これは初めてAT&Tと契約する人は絶対に混乱するなぁと思った。興味本位で"AT&T charges you in advance"でGoogle検索したら出るわ出るわ同じような体験をした人がわんさか(笑)何で、こんだけいるのに説明しておこうとか思わないのかね。こんな問合せ対応にオペレーター使うくらいだったら、契約時に説明しておけば人件費かからずに済むのに。

しかし請求金額の謎は解けたが、SIM交換手数料の38.01ドルについては「店舗に行って問合せてください」と言われてしまい、若干こっちは迷宮入りの予感が。でも、泣き寝入りだけは絶対にしないぞ。

2010年12月28日火曜日

Still in trouble.

今日は午前中から外出したが、地下鉄の運行は平常時に戻ったらしく、急行電車も走っていたので、5番街まで特に問題なく辿り着いた。ただ地上は積もった雪のせいで、あいかわらずの混乱状態。朝からMTAの職員などが必死に除雪作業をしていたけど、雪の量がとにかく半端ないので路上はとりあえず車が通れるようにするのがやっとという感じ。歩道も雪が溶け出したのでグチャグチャ。ブーツじゃないと歩く気すら起こらない。日が照っている時間が短い(12月は5時間!)ので、なかなか雪が溶けないし、溶けた雪は夜中に冷やされてアイスバーン化するのでますます時間がかかりそうな様子。完全復旧するまでには当分かかりそう。
百貨店はクリスマスセールに続き、クリスマス後のクリアランスセールがクリスマスセール以上の書き入れ時なのにも関わらず、この週末は吹雪の打撃を受け、吹雪が収まったかと思ったら、至るところで積もった雪が人々の行動を邪魔してる状態じゃ、まさに踏んだり蹴ったり。だから、BarneysもBloomingdalesも思った以上に空いていた。ウィンドウショッピングを楽しむ側からしてみればゆっくりと見れるのでいいけどね。

そういやルームメイトは無事に韓国に旅立ったのだろうか・・・。Still in troubleじゃなければいいんだけど。

2010年12月27日月曜日

Paralyzed...

とにかくひどい吹雪だった。ニューヨークは26日から27日朝方まで雪が激しく降り続け、交通機関はかなり麻痺している状態。今日、午前中にスーパーに買い物に出かけるために家を出てみたけど、路上に停めてある車は雪に埋もれて外観すら確認できない状態。歩道の雪はところどころ除雪されて通りやすくなっているものの、まるで雪山登山でもしているように雪をかき分けて進まないと行けないところもあり、たった10ブロックほど離れたスーパーに行くのもかなり大変だった。これがスキー場だったら、誰も滑っていない新雪に一番乗り出来たと嬉しい悲鳴を上げるところだが、全然有り難くないのが悲しいところ。セントラルパークで20センチの積雪を記録したらしいが、これは1948年以来の大降雪らしい。

ルームメイトは今日韓国に帰省予定だったが、この大雪でエアラインも大混乱しているだけでなく、JFKがそもそもクローズということで大幅に予定を狂わされてしまった。5000便ほどがキャンセルされたと報道されていて、デルタで850便、AA、Jet Blueとコンチネンタルがそれぞれ265便、UAで110便というからどれだけの人が影響を受けたかと考えるだけでうんざりする。ルームメイトも元々は昼過ぎのフライトで韓国に飛ぶ予定だったが、足止めを食ってしまった。航空会社によると大雪の影響でフライトは遅れており、そのフライトも夜まで飛ばず、しかもその時間もまだ完全に決まってないとのこと。少なくともJFKは18時までオープンしないらしいのでそれ以降になるのは明白だが、そもそもJFKまでの足も全く確保出来ていない状態なので今飛ばれても困ると言った感じらしい。タクシーは全く捕まらないし、電車で行こうにもAirline Trainが動いていないからJFKまで辿りつけないということで途方に暮れている感じ。

今日は1日家でじっと待機して、英語の勉強がてらAmazonでGossip Girl Season 4を見続けているので、どれくらい改善されたかは分からないけど、少なくともまともな状態に戻るまで2、3日はかかるんじゃないかと思う。

思い出話が出来たのはいいんだけど、困ったものだ。
アパートの玄関前の通路には僕の膝くらいまで雪が積もっていた。
これはまだましな方で、殆ど埋もれてしまっている車も多数。
こんな感じでアスファルトを確認することも難しい状態。でもこれも比較的いい方で、除雪されていないところに突っ込んで抜け出せなくなっている車も数台見かけた。
キャンパスも完全に雪化粧。子供達は楽しそうでしたが・・。

2010年12月26日日曜日

Snow, snow and snow!

ニューヨークに到着してから早いもので1週間が過ぎた。到着してから風邪気味で咳が止まらず、肋骨が折れるのではないかと思うくらい咳が止まらなかった。それでも生活物資が足りないので買い出しに出かけたりと無理をしていたのだが、さすがに昨日はしんどくて1日中ベッドで横になっていた。なので、今は大分楽になった。
さて、東海岸はただ今大雪に見舞われております。JFK、New Ark、LaguardiaなどNew Yorkおよび近隣の空港ではフライトがキャンセルになるなどエアラインにも混乱が生じている模様。朝9時頃家を出た時は少し降り始めたくらいだったのに、Queensで友達と昼食を食べた後にアパートまで帰ってきたら結構積もっていたのには驚いた。昨日までは意外に寒さも大したこと無いと思っていたけど、訂正。雪が降ると半端じゃなく寒い。。

こっちに来てから写真を沢山撮ったのだけど、殆どFacebookに上げてそのままなので、ブログにもいくつか載せておこうと思う。


これから僕が1年半を過ごすアパート。意外と広くてびっくり。



 Morningside Campusの中央に位置するLow LibraryとAlma Mater像。
この日は天気が良かったけど、今は真っ白に化粧してる(笑)
 ビジネススクールのメインビルディングであるUris Hallの目の前のモニュメント。
ドルをイメージして作られているらしい。




 Times Squareは相変わらず凄い人だった。
New Yorkと言えば!ということでRockfeller Centerのクリスマスツリー。
相変わらず綺麗でした。

2010年12月23日木曜日

"New" friends

昨日はEnd of Semester Partyだったが、始まる前にJ-Termの学生何人かで集まってフライング気味にTribecaのTribeca GrandにあるChurch Loungeに集合。事前にFacebookで顔見知りになっていたクラスメイトとようやく会うことが出来た。ベンチャーキャピタル、ヘッジファンド、エクイティアナリスト、元軍人、州議会職員などなど、到底これまでの僕のネットワークには存在しなかったバックグラウンドの人たちばかり。「結局ヘッジファンドって何が仕事として魅力的なのか?」とか、僕にとってはかなり新鮮な話が出来て楽しかった。
しかし皆、J-Termに日本人が1人しかいないということに驚いていた。「なんで?」と理由を聞かれたり(笑)これまでの仕事の中で、唯一の日本人として多国籍なチームに身を置いていたのであんまり気にしていないので、逆に沢山の日本人に埋もれてしまうよりはいいかなと思ってるが、皆からしてみるとやっぱり不思議なんだと。

夜の22時くらいにパーティ会場に移動。しかしこれから先が若干思いやられることに。というのも、クラブの中は大音量で音楽が流されているので殆ど何を話しているのか聞き取れない。。ということで話も弾まず。風邪気味でアルコールも飲めないのでテンションも上がらないから、踊る気にもなれず。とにかく何となく手持ち無沙汰。これからこういうのが続くと思うと若干憂鬱だが、ネットワーキングも重要なので頑張らないと。そう、次は体調を整えて・・。

年明けから始まる学校が一層楽しみになった。

2010年12月22日水曜日

Settling in.

New York生活も3日目に入った。昨日は大学の留学生事務所に行って、現地到着の報告をし、I-20にサインをしてもらったり、ビジネススクールの事務所に行って届いていないというメールを貰ったOfficial TranscriptとGMAT/TOEFLのScore Reportが受領されていないかの確認に行ったりと午前中は事務手続きに終始した。大学の留学生事務所はMorningside Heightsキャンパスの外れにあり、思ったよりも遠かった。朝はまだ日中に比べると断然寒いので、事務所までが非常に長く感じられた。I-20へのサインは1年間有効らしく、1年以内に新たなサインを貰わないといけないらしい。にしても、I-20のような大事なドキュメントを未だに個人個人で紙ベースで管理しなければいけないというのはリスクも高いんじゃないかと思う。なくしたりする人も絶対にいると思うんだけど。どうせならシステム管理にして、パスポートにコードだけ振っておけばいいのにと思う。こんな大事な書類を持っていなければならないのは個人的には全く嬉しくない。
事務所で手続きを済ませたら、今度はビジネススクールのAdmission Officeへ向かった。よくETSやGMACは業務を怠るので、Score Reportが送られていないというのはよく聞く話なのだが、僕も合格通知を貰った後に学校からScore Reportが届いていないという連絡を受けていた。僕の場合はETSもGMACも確かにScore Reportを送っているということだったので、学校側にその点を報告して一旦収束したかと思っていた。ところが、渡米の1週間前くらいにまた学校側から連絡がありScore Reportが届いていないと、更には12月頭に送ったはずの早稲田の卒業証明書と成績証明書も届いていないということだった。これは直接確認した方がいいと思って、渡米前にメールでやり取りするのは控えて渡米後に直接Admissionに行って確認することにしたのだが、そうしたらありえないくらいあっさり解決。"Your required documents have all been filed into your profile"だって。貰ってるなら連絡くらいよこしてくれてもいいのにと内心文句を言いながら、買出しに出かけたら携帯にメールが入って"This is the final reminder of your missing documents"みたいなメールが・・。結局何が本当なのか分からなくなったので、Admissionに行って、再度確認。どうやら後から届いたメールは誤解だったらしいのだが、こういうのはAdmissionの中でもちゃんとコミュニケーションを取ってもらいたい、、、
午後は9月入学の日本人1年生4人と落ち合ってJoe's Shanghaiというレストランでランチ。小龍包がおいしかった。皆とてもいい人で、安心した。ご馳走になってしまい恐縮。その後、3月に予定しているJapan Study Tourの打ち合わせにJTBへ。JTBとの打ち合わせ後も、近くのスタバで引き続きミーティングとなって結局4時間くらいStudy Tourの内容についてディスカッションすることになった。途中から企画・アレンジに参加させてもらっているのだけど、何とか貢献できるように頑張ろうかなと。

今日はFall SemesterのSemester End Partyがあるので夜まではちょっとおとなしくしてようと思う。とりあえず枕と布団とラグを買うかな・・。

2010年12月20日月曜日

Day One @ Manhattan

無事にニューヨークに到着。

成田からのフライトは12時間と長かったが、あんまり苦痛じゃなかった。中央列通路側の席をあてがわれたのだが、隣の4席には誰もいなかったので十分に足を伸ばして寝ることが出来た。エコノミーなのにフラットシートという感じで、ベッドで寝てるのと変わらなかったのは負担的にはかなり助かった。

JFKについてから、すぐにその足で、これから生活の拠点となるアパートの契約書にサインするために、タクシーに乗り込んで大学の住居管理事務所に向かった。まともに外気温に触れたのはタクシーを降りて事務所に向かう途中だったので、ここでようやくNew Yorkの寒さを体感。日が照ってない時は相当寒さが体に応える。しかし、事務所に入ると一変。かなり暖房が効いていてTシャツでもいいくらい。事務所で簡単に契約を済ませて(本当にただペーパーを読みながらひたすらサインを繰り返した・・)、すぐ傍にあるアパートに移動。

1911年とかれこれ100年も昔に建てられた建物だけあって、外観もそれなり、内部もそれなり。。。大学のアパートだし贅沢は言ってられん、と大学からアパートについて連絡が来た時に致し方ないと思いつつも、これで月1000ドルと言われるとマンハッタンって本当に家賃が高いんだなと思う。アパートでは管理責任者に洗濯だったり、ゴミ捨てだったりの簡単なレクチャーを受けてから、部屋に案内してもらった。バス、トイレはお世辞にも新しいとは言えないが、キッチンはリフォームされていて奇麗だった。自分の部屋はというと思ったより広かった。というか、1人で住むには広すぎる気がするんだけど・・。家具付きと言われていたけど、机、椅子、タンス、ベッドがある意外は何も無い部屋なので余計に広く感じる。セントラルヒーティングで暖房がガンガン効いているので、とにかく暑い。エアコンはないので夏場はどうするのかと思ったが、年明け前に「明けましておめでとう」と言ってしまうような話なので、一旦考えないことにした。

ルームメイトはいずれも外出中で不在だったが、その後Jung(ルームメイトの1人)と初顔合わせ。僕のルームメイトは2人とも韓国人で、1人は残念ながら既に韓国に帰ってしまっているらしい。JungはSIPAの学生で、まだ秋学期の期末試験があるため残っているが今週で試験が全て終了したら韓国に一時帰国するらしい。2人とも1月半ばまで帰ってこないらしいから、来週以降僕はこのアパートに1人ということらしい・・・。寂しいわ。

今日はとりあえず着いたばかりであまり気力も体力も残っていなかったので、銀行口座の開設と携帯電話の取得だけ終わらることにした。 部屋のネットが繋がらなくて、口座を作る予定だったCitibankの支店も、iPhone4をゲットする予定だったAT&Tの店舗の場所も検索できなかったので、全ては勘を頼りにうろついたのだが、日本と同じで銀行の支店なんてあっという間に見つかるので難なくCitibankにたどり着いた。「あなたColumbiaの学生ね。了解。」と留学生の対応には慣れているらしい担当のおばちゃんに言われるがままに、Checking Account(当座)とSavings Account(普通)の2つを作成。これで大学が授業料を引き落とす口座の開設が完了。トリッキーなのは、この口座を僕が留学資金全てを口座に入れている日本のシティバンク銀行に対して送金先として設定してもらう申請を、郵送しなければならないという点。こちらの銀行口座情報を埋めればいいだけの用紙を実家の母に託したのだが、あの大ざっぱな母で大丈夫だろうかと相当不安。本当に大丈夫かな・・。

携帯電話の方は若干面倒で、少したらい回しにあった。大学近くのAT&Tの契約小売店に行ったらiPhone4は在庫が無いからApple Storeに行けと言われ、Apple Storeに行ったら行ったでUSのパスポートじゃないと処理できないと言われてAT&Tの店舗に行けと言われてしまう始末。何とか50thと6th Avenue近くのAT&Tの店でiPhone4をゲットしたがシステムがダウンしているとかでiPhoneのActivationが完了できないというエマージェンシー発生。マネージャーが「家帰って、自分のパソコンでActivationしれくれれば大丈夫」と言うので、彼の言葉を信じて帰ってから試してみたがこれまた問題あり。ずっとNo Service状態で通話が出来ない。結局明日も行かないといけなくなって、長旅の疲れがぐっと増した。もう、どうなってんだ。

明日は9月入学の日本人学生4名と昼頃に待ち合わせて、昼食を食べ、その後3月に予定されているJapan Study TourのJTBとの打ち合わせに同行させてもらう予定。その前に大学の留学生事務所に行って現地到着の報告をしたり、ビジネススクールの事務所に行って届いていないと言われていた書類の行方について確認したり、とりあえず何も無い部屋に申し訳程度に必要なものを買いそろえたりと朝から忙しくなりそう。携帯のアクティベーションはきっと打ち合わせの後になるだろうな。全く、余計な仕事が増えた・・。

さて、調達物品リストを作ってから寝るとするかな。

2010年12月19日日曜日

A dawn

あと9時間後のフライトで成田からNew Yorkに出発する。

遂にこの日が来たという感じ。

ビジネススクールというものを初めて認識したのが大学3年生の時だから、9年越し。ビジネススクールに行くこと自体はあくまで通過点に過ぎず、卒業してからが勝負ではある。それでも、留学すること自体が色んなこととの葛藤の連鎖だったから、正直かなりの万感の思いがある。決して間違った選択をしたとは思っていないし、この選択を「良かった」と思えるように変えていける自信はある。でも、日本に残す妻と娘には本当に申し訳ない気持ちで一杯。もう少しましなやり方もあったかもしれないとは思う。夫婦関係に関しては、INSEADとCoumbia Business Schoolの合格を機に緊張状態が一気に高まった。価値観に遡るような話も何度もしたし、その度決裂し、議論し、決裂し、議論し、ということを何度も繰り返した。お互い気に食わないことだらけで、客観的にいい悪いを判断するのではなく、反射的に否定的になるようなマズい状況にまでなった。残念ながら、最終的にはコンセンサスに至ることもなく、結果、僕が家のお金も持ち出して、挙句の果てに借金までして、押し切る形で留学を決めてしまった。今でも、心の半分くらいは申し訳ない気持ちが占拠している。非常に辛い思いをしているだろうし、これから先も卒業するまではそんな不安な状態を続けさせてしまうのは、いくら間違った選択をしていないという確信があっても辛い。
羽紗はまだ「ちょっといなくなる」程度に思っているのか、あっけらかんとしている。しかし、これから先どうなるのかが分らないのも不安ではある。最近はよく話すし、1人の人間として接しても全く無理のないほどコミュニケーションが取れるようになってきた。ここから先自立していく羽紗を見守るということが出来なくなるというのは本当に辛い。ここから1年半はFacetime越しに彼女の成長を見て行く事になる。羽紗が大きくなってから、小さい時を振り返り、「そういやパパはアメリカに留学していたんだっけ。私も海外に出てみたいな。」と思ってもらえたら、これ以上のことは無い。何故ならそれもColumbiaを選んだ理由の1つなのだから。

卒業後、借金だけじゃなくて、色々と返済しないといけないものが増えてしまったが、それだけ僕は覚悟を積み重ねたつもりだ。最後は家族みんなが笑えるように、この選択を実りあるものにしないといけない。

行ってきます。

2010年12月13日月曜日

Insomnia

出発まであと1週間を切った。気持ちが昂ぶっているからか、最近寝付けない。子供と21時30分から22時くらいに布団に入るものの、眠れない。全く眠くないので布団の中に入っていても仕方がないから、起き上がる。そして本を読んだり、荷造りをしたりして、過ごしているうちに朝4時くらいになり「そろそろ寝るか」という生活がここ2週間くらい続いている。もしかしたら小学生の時は遠足の前ってこんな感じだったのかもしれない。遠い昔で忘れてしまったけど。

今日は、社長の時間を15分だけ貰って出発前最後のご挨拶に伺った。10月頭に「お金貸してください」といきなりおしかけてから、色々と気にかけて頂いたので、どうしても直接そのお礼もしたかったし、コロンビアの卒業生としてまた企業の経営者としてこれから学校生活をスタートするに際し何かアドバイスを貰えればと思って、年の瀬が忙しいところを15分だけ時間を貰えることになった。結果的には15分じゃ足りなくて、もっと時間を取っておけばよかったと思うように話が弾んだ。以下は彼からのアドバイスの抜粋。忘れないうちに残しておく。

  • ハードスキルの勉強はほどほどで。逆にマクロな視点を養える勉強を沢山したほうがいい。
    • 統計やファイナンス、アカウンティングなどのハードスキルはいずれ忘れてしまうし、ケーススタディを沢山こなしても、実は実務の方がよっぽど身のあることをやっている。だからハードスキルは落第しない程度にやっておけばよい。逆に、今は政治や国際情勢などの機微を感じとり、適切に判断する能力がビジネスでも求められる時代になっているから、国際関係や国際政治について沢山勉強したほうがいい。例えば、東アジアで日中韓がどういう連携を取っていくべきなのか、アメリカという第三国にいるからこそ客観的な研究が進んでいるはずなので、是非そういう視点や観点を養うようにしてもらいたい。
  • 英語以外の言語をもう1つやっておくべき。
    • これから先、英語だけではなく、中国語かスペイン語も出来るようになった方がいい(社長も来月から中国語の勉強を開始するらしい。。あれ、社長のルーツって中国だったような気がするのだけど・・)。コロンビアに行けば時間もあるだろうし、是非もう1つくらい言語をマスターして帰ってきてほしい。
僕の出身が経済学科だからかもしれないが、マクロトレンドを掴むというは非常に大事なことだと思っている。だから、社長の言っていることには大変共感を覚えた。コロンビアはINSEADと違って第三外国語が必修ではないけど、幸いにしてアジアビジネスに関する研究はChazenを中心に進んでいると聞いているし、外国語の講座も費用は追加になるかもしれないが受講することが出来る。また、SIPAという国際関係系の大学院の授業も取ることができる。今彼は身にしみて世界情勢に対する理解が必要と感じているらしく、「僕が行きたいくらいだ」とまで言っていた。正直言って、実際にはいつそういう大局観が求められるステージに到達するか分からないけど、そのときのことを想定しておかないと、と彼の話を聞いて再確認した。
15分は本当に短くてあっという間だったが、3月にJapan Study Tourで一時帰国する際にはAlumniとのパーティも予定されているので、その時にまた話が出来ると思うと楽しみだ。

2010年12月7日火曜日

Finally!!!

ようやく住む家が決まった!(といってもこれから契約だけど・・)


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家賃は月額989ドル(光熱費込)+インターネット使用料29ドルなので、総額1018ドル。実際は想定よりも100ドルくらい高くなってしまったが、契約するつもり。場所はColumbia Business Schoolの拠点であるUris Hallとほぼ同じ119th Streetとキャンパスにめちゃくちゃ近くて便利だし、在校生に評判を聞いても「悪くないと思う」とのこと。それにそもそもこれから家探しを自分でする時間的かつ精神的余裕もないだろうから、これで決めてしまおうと思う。

通知と一緒にルームメイトの名前と連絡先が送られてきたのだが、どうやら2人とも韓国人らしい。1人はSchool of International and Public Administrationで、もう一人はLaw School。ルームメイトがアジア人というのは心強いが、本当は英語を更に上達させるためにもNative English Speakerと同部屋がよかったのでちょっと残念。でも、最近韓国ブームでK-POPを聞き漁り、韓国語も少し勉強したので、悪くないのかもしれない。

入居日可能日が12月20日なので、JFKについたらそのままUAH(University Apartment Housingと言って、大学のHousing Propertyを管理している部署)の事務所に行き、そのまま契約をして鍵をもらおうと思っている。UAHの事務所も119th Streetにあるからあんまり移動しなくていいのはラッキー。家具付なのだが、何がどこまで用意されていて、何を個人で用意しなければならないのかがよくわからないのが懸念点。おそらくUAHのサイトには書いてあるのかもしれないが、まだ調べきれていない。布団はあるのか、、凍え死にたくないんだけど・・。

でも、とりあえず懸案だった家がきまり、一安心。これから来週にかけて会社でお世話になった人たちに出発前のご挨拶に伺ったり、引越準備も加速させたりと相変わらず慌ただしい日が続きそう。かたや、家族と過ごす時間も残り少なくなった。まだ自分としては実感がないが、20日成田に向かう時自分がどういう心持になるのか考えるだけでもちょっと切ない。

明日は代々木第二体育館の全日本総合に顔を出してから、オフィスに行く予定。久しく会ってないバドミントン仲間に会えそうなので楽しみだ。

2010年12月5日日曜日

Two weeks to go

ニューヨーク出発まで後2週間となった。事前課題も終わり、最近はもっぱら役所への申請や会社に対する休職手続きなど事務系の作業がメインになりつつある。留学中は会社の「教育休職」制度を使い会社に籍を置きながら留学させてもらう予定だが、半年以上の休職に際しては事実上雇用関係が解消するらしく、社会保険が解除になった場合に年金がどうなるのかとか、初めてのことだらけで意外と調べるのが面倒だった。幸い(なのかどうかは微妙だけど)なことに、妻が今の会社に残るので僕は彼女の扶養に入り、年金も国民年金の第3号扱いになるということで、国民年金の任意加入を選び、月額15,100円を支払う必要も無いということが分かった。ちなみにうちの会社では当たり前のように制度として存在している「教育休職制度」だが、やはり外部の人からしてみると1年半も休職することが出来る制度というのはかなり寛容で珍しい制度と映るらしい。本当に有り難いもの。さて、年金問題(国の年金問題とは違う(笑))が解消されたので、海外転出届けを出し、僕の住民票は12月20日を持って日本からなくなる。そのため、来年の住民税は納付の必要がなくなる。実は住民税を仮に支払うとしたらとてつもない金額になっていたので、戦々恐々としていたのだが、これでその心配もなくなった。そして愛車のクルーガーは実家の母に納税管理人になってもらい、自動車税は収めてもらうことになった。自動車免許は警察曰く、特に更新が留学中に来ないのであれば別に住所変更しなくてもいいということだったので、そのままにしていく予定。先週で大方の事務手続きが片付いたので、大分楽になった。しかし、海外留学に際する年金、健康保険については僕は妻の扶養に入ることでかなり煩わしさを解消することが出来たけど、実際にネットで調べてもその手の情報は整理されてないので、今後留学する後輩達にシェアできるようにメモでもまとめておくかな、と思っている。

2010年12月2日木曜日

Housing application approved?

Yesterday, I received long-awaited e-mail from the University Apartment Housing (UAH in abbreviation), the e-mail saying that my application had been approved and that UAH was in the process of assigning an apartment to me. Though, the e-mail didn't have any detail about the apartment I would live in... At least, I don't need to go nuts to search apartments after I arrive at New York...

But,,,, I do want to know where my apartment is!!

2010年11月27日土曜日

iPod, again!!

最近、常に週末は羽紗と過ごしている気がする。やっぱり羽紗と2人きりだと神経も体力も使うので、家に帰ると疲れがどっとでる。どうしても危険物が無いかとか、いきなり危険な行動に走らないか、とか、一緒にいる間はずっと集中しているし、もう既に16キロ近いのだが疲れるとすぐに「だっこ」と言い出して歩かなくなるから電車の中だったりで抱っこし続けないといけなかったりする。でも、羽紗と過ごせる週末もあと3回と考えると沢山思い出を作っておかないといけない、と思う。だから、疲れたとかは言っていられないわけだ。

今日も羽紗とデートであった。まずは、World Wide Kids EnglishのGlobal Live Showなるものを見に、世田谷区民会館まで行ってきた。英語に対する教育熱というのは高いのだろうか、やっぱり。思ったよりも多くの家族連れで混雑していた。ぱっと見た感じでは空席はそんなになかった気がする。日本語は一言も出てこないのだが、普段からDVDを見慣れている羽紗は結構楽しんでいた。最後の方はノリノリでクリスマスソングに合わせて踊っていた。初めての参加だったけど、行って良かった。Global Live Showを見終わった後は、渋谷のタリーズで2人でちょっと休憩。その後、高校の同級生の結婚式の2次会に子連れで参加するために、代官山のアロハテーブルに向かう。子連れは参加は僕1人だったので、「かわいいー」と羽紗は大人気。大人ばっかりで緊張して「早く帰ろう」と言いだすかと思ったが、すぐに場の空気に慣れてしまったらしく、ジュース飲んだり、食べ物食べたりして結構羽紗は初めての2次会を楽しんでいた。

で、その後でちょっとした奇跡が。

とりあえず挨拶だけして帰るつもりが、ビンゴ大会が始まってしまった。羽紗も結構やる気になってしまい、「じゃあビンゴ大会が終わったら帰ろう」と約束して、ゲームに参加することにした。20個くらい景品があったのだが、残り6個くらいのところで羽紗のカードがビンゴ。ビンゴになるとアルファベットを選択し、そのアルファベットに設定されている景品が貰えるという仕組みで、羽紗が選んだのは「えふ!(F!)」。するとなんと、iPod nanoをゲット!豪華景品が多数用意されていたが、羽紗の引き当てた景品はその中でもかなりいい方だった(他にはメルティキス詰め合わせ、とかもあったから)。勿論、iPod nanoの価値どころか、何を当てたのかすら分らない羽紗だったが、会場が大盛り上がりしていることを察したのか、羽紗もまんざらではなく「あてたよ!」と言って大喜び。

実は僕も妻もこれまでこういう類のゲームでiPodを何回か当てているのだが、どうやら羽紗も僕らの血を確実に引いていることが判明した。これで我が家に、もう1つ当てたiPodのコレクションが増えた。

代官山駅に向かう途中もずっと嬉しそうに当てた景品を抱えて「楽しかったねー」と満足気な羽紗を見ていると、やっぱりあと3週間したら当分会えなくなるということが、より一層辛さを増すばかりだった。

2010年11月24日水曜日

What I wish I knew when I was 20

"What I wish I knew when I was 20"(邦題:20歳のときに知っておきたかったこと)を読み終えた。
「可能性を否定しない」とか「人とうまく付き合うためには間違いを認めて素直に謝ることが大事」とか当たり前と言えば当たり前のことが書いてあるけど、そいういう当たり前のことを再確認するにはいい本だと思う。また、スタンフォード大学のエンジニアリングスクールやデザインスクールでどのような教授法が取られているのかを垣間見ることが出来る。創造力を刺激するような授業が沢山取り上げられていて、思考だけでなくて行動もクラスルームを飛び出すことの重要性を感じた。

Financial aides cannot "aid" me...

大学から奨学金の受給適格審査の結果が届いた。

結果は残念ながら"Out of Eligibility"(適格範囲外)ということで、奨学金ゼロという結果に終わった。むしろ、奨学金申請時に費やした時間とコストを考えるとマイナスになる。奨学金の申請に際しては大学側のWebサイトだけではなく、外部のサイトにも登録する必要があり、これが結構手間だった。更にその外部サイトに登録するためには何と25ドルも支払わないといけなかったので、奨学金が貰えないどころか出費までしてしまってるのだ。2年生になる前におそらくもう一度申請をするチャンスがあるはずで、その際は25ドルは支払う必要はないみたいだけど、財務状態はほぼ変わらないと考えられるから2年目に関しても受給資格を得ることはほぼ無いはず。だからこの25ドルはドブに捨てたことになる。勿論、そもそも申し込みをしなければ適格審査を受けることもない。審査を受ける権利を「買った」ということになるので、致し方ないと言えば致し方ない。ただそれなりに窮状は訴えたつもりであり、数百万ドル単位で財源が不足しているという証明も出したので正直"Out of Eligibility"というのは納得がいかない。一体全体、どれくらいの財務状態だったら"Within Eligibility"になるのだろう。

HBSの卒業生が書いた留学記に「大学の駐車場には高級外車が沢山止まっている。みな奨学金を受けるために資金的余裕を小さく見せるために外車を買っているらしい。」というようなことが書いてあったが、もしや皆そんなことを本当にやっているのだろうか。流石にニューヨークでは車はあるだけ邪魔だと思うので、Columbiaでは車は無いかもしれないけど、それに近しいことが行われてるのかも。大学が始まったら確認してみよう(笑)

2010年11月23日火曜日

Norwegian Forest

今日11月23日、映画「ノルウェーの森」のジャパンプレミアが母校・早稲田大学の大隈講堂で開かれた。校友会誌でジャパンプレミアについて知り、村上春樹作品と母校という垂涎のシチュエーションに行けるものなら行ってみたいと思ったが、叶わなかった。残念。
先ほど、ネットでジャパンプレミアの記事をいくつか見た。残念ながら主演の松山ケンイチよりも、玉山鉄二の方が見栄えがするわ、やっぱり。同性の視点から見ても、かっこいいと思う役者の1人であることは間違いない。「手紙」も「ハゲタカ」も良かったので、今回も期待したい。勿論松山ケンイチもいい役者なんだけどね。ちなみに2001年に「Boon」のオーディションで彼がグランプリを取ったのだが、まさかここまでの大役者になるとは全く想像出来なかった。本当に分んないもんだわ。どう化けるかなんて。
さて、一般公開は12月11日ということで渡米前に余裕があれば見に行こうと思っている。でも、せっかく妻を誘ったのに「映画館までわざわざ足を運んでみるものじゃないでしょ。DVDが出たらで十分よ。どうせいくなら『ヤマト』を見るべきでしょ。」と真っ向から全否定を食らってしまったので、1人で見に行く事になりそうな・・。

2010年11月22日月曜日

Challenge

ヨネックスがJ2柏レイソルとオフィシャルサプライヤ契約を結んだ。(プレスリリース

2011年から2年間柏レイソルに対してゲームウェア、トレーニングウェアなどの提供を行うとのこと。サッカーグラウンドでヨネックスのロゴを見るのは最初は慣れないかもしれない。こんな風に新しい領域を開拓しようとしていることは知らなかったし、何となく保守的なイメージがあったから、このニュースは少なからず僕の中で抱いていたヨネックスのイメージを変えた。応援したいですね。

2010年11月20日土曜日

Durable Knowledge?

先日ブックオフにダンボール5箱分(150冊)の本を売りに出した。
結果、137点に値段がついたようで総額7183円になった。
1冊あたり平均52.4円ということになる。13冊は値段がつかなかったらしく、ゼロ円査定となっていた。

リストを作るのが面倒だったのと、本棚に眠っていたこの先読まないと思われる書籍を片っ端からダンボールに箱詰めしたので「簿価」がどの程度だったのかは定かではないが、ハードカバーと新書が大体2対1くらいで混ざっていたので平均1000円くらいだと思う。ということで簿価15万円相当がたったの4%という価値。こういうのを目の当たりにすると知識の本質的価値ってのは何なんだろうと思う。けっきょく僕の手元に残ったのは、大学時代のテキストブック(ミクロ、マクロ、計量経済、統計、経済数学など)を中心に、ビジネス書でも「古典」と呼ばれそうなポーターだったりとか、ドラッカーくらいしか残らなかった。何となく悩んだ時に手に取ってしまう自己啓発本や、タイトルに惹かれて衝動買いしてしまった格安の新書の類(羽生棋士の『決断力』を除いて)は問答無用でダンボール行きとなった。そして切なくも、10分の1~20分の1という査定を食らっているのである。

もちろん、ブックオフにこれらの本を出していれば値段がつかないか、同じように50円という査定をくらうのだろうが、僕にとっては大学のテキストや何年、何十年と読まれている本が内包する知識や情報というのはそれ以上の価値があるから絶対に売れないと思う。荷物になるが、数冊はニューヨークにも持っていく予定。

どのタイトルがいくらで売れたのかは公開されていないのだけど、気になるところではある。そんなに値段が上下動するもんじゃなかろうし、今後本を購入する時の参考にしたいんだけどね。

2010年11月15日月曜日

Immunization

実は正式に入学許可を得るためには、ニューヨーク州が定める病気対して抗体があることを証明する書類を大学の担当部署に提出する必要がある。アメリカでは州によって法律が違うので、どの州でも求められるわけではないみたいだけど、New York州ではいわゆるMMR(Measeles(はしか)、Mumps(おたふく風)、Rubella(風疹))に対する抗体の有無を証明する、もしくは予防接種の履歴を医師の署名とともに提出する必要がある。勿論、仮に抗体が無い場合はワクチンを接種する必要がある。ただし、そもそも日本では義務となっているのはMR(Measeles、Rubella)のワクチン接種であり、New York州では2回接種が義務とされているMeaslesも1回しか接種する必要が無い。ということで、一般的なケースでは少なくとも渡航前にMeaselesの2回目とMumpsワクチン接種もしくは血液検査で抗体の有無を証明する必要がある。僕の場合はおたふく風邪もやったし、2007年にはしかが大流行してあらゆる大学で休講措置が取られたタイミングではしかの予防接種もやっているので追加の予防接種は不要のはずだったのだが、何と実家で僕の母子手帳が見当たらず、血液検査を受けてから抗体が無い場合に予防接種せざるを得なくなった。
当初はある筋から紹介してもらった病院で血液検査を受けるつもりだったのだが、値段の高さに目玉が飛び出て、いつも羽紗がかかっている病院で結果的には血液検査を受けることになった。というのも、最初に照会した病院では血液検査だけで12000円、仮にはしかの2回目の予防接種を受けるとなると18000円かかると言われた。要するにこの血液検査も予防接種も健康保険の対象外になるため、コストは全て自分で負担しなければならないし、そもそも価格の決定権は病院側にあるらしく、その結果これだけの値段になってしまっているらしい。しかし、羽紗のかかりつけ医の先生は基本的に儲けることには関心が無いらしく、検査会社に支払う費用に事務費用を500円くらい載せて7500円で血液検査をしてくれるというのだ(一応、検査会社の価格表まで見せてくれたので、先生の取り分は殆ど無いのは明白)。そして仮に追加の予防接種が必要になったとしても8000円くらいでいいと言うのだ。あっさり最初にコンタクトした病院の予約はキャンセルした。まったく、価格なんてあってないようなものである。

さて昨日先生から電話があり、検査結果は全て陽性だったため、追加の予防接種は不要とのこと。明日、病院に行ってフォームにサインしてもらえば基本的に完了。あとはFAXするだけ。ただ現地の幼稚園や小学校に入学する子達は数十の予防接種の接種歴を証明する必要があるらしく、大人はまだ簡単だとのこと。先生がちょうど日本からアメリカに移る子供用の書類を作っていたのを見せてくれたのだが、数がかなり多くてびっくりした。

それにしても僕の母子手帳はどこに行ったのでしょう・・。母子手帳大事です。

2010年11月10日水曜日

I am so sorry....

今日は大失態を犯した。羽紗が遠足だったのをすっかり忘れていて、お弁当を用意するのを忘れたのだ。

「あっ」と思ったのは登園後にお友達がお弁当を箱を広げているのを見てから。先生に聞いたらやっぱり今日が遠足だった!羽紗も自分はお弁当が無いことに気づき泣き出してしまう始末。先生からは「コンビニのお弁当でもいいですよ」と言われたのだが、そんなわけにもいかない。そもそもアレルギー持ちの羽紗が食べられるコンビニ弁当なんて殆ど無いに等しいし、それ以上に羽紗がかわいそう。

直ぐに家に戻ってお弁当を準備して、ありあわせだけどおかずを詰めて、水筒とレジャーシートを準備して園に届けた。おかずは大したものを作ってなかったので、とりあえず見た目だけはかわいくして(笑)プリキュアのお弁当箱とプリキュアのスプーン・フォークをディズニーランドでもらったトイストーリーのバンダナでくるみ、ムーミンの巾着に入れ、レジャーシートはディズニーランドのお土産用の袋に入れた。時間ぎりぎりまで粘ったので「パパ遅い!」と若干ご立腹だったようだが、見た目作戦に嵌った羽紗はお弁当箱を渡すと大はしゃぎ。ごめんよ、羽紗。ど忘れしてたわ。。

しかし、ハリボテだということに遠足先で気づかなければいいのだが。。。

Columbia Business School

気づいてみれば、Blogに進路について書いてなかったので、ご報告。

色々と悩んだけど、Columbia Business Schoolに進学することにした。

「色々」と書いたが、「色々」では語りつくせないくらい、正直相当に悩んだ。自分だけの基準では判断に誤ると思い、大変多くの方に話を聞いてもらい、貴重なアドバイスを頂戴した。本当に有り難く、感謝の気持ちで一杯。溢れそうである。。

中でも、Tuckの卒業生である会社の先輩はLBSにExchangeしていた経験があり、米欧ビジネススクールの違いについて1人の視点から比較するという非常にレアなアドバイスを頂くことが出来た。
また、同じように学校選択に悩んだ経験をBlogに書いていたKelloggの在校生にいきなりメールして、悩み相談したりした。彼女からは本当にグサッとくるアドバイスをもらった。「自分の選択が正しかったと後から思えるようにするしかない。」と。
そして、同期入社なのに2回も飛び級して既に弊社のSenior Managerになっている親友からも猛烈に温かいメッセージをもらった。初アサインも同じ、そして人生で一番辛かったプロジェクトでも机は隣り同士、同じ釜の飯を食ったと言える人は今の会社には殆どいないが、本当に尊敬できる「釜飯」仲間である。彼には「ポン」と背中を押された。自分の仕事も滅茶苦茶忙しくて、奥さんも妊娠中で大変な時なのに。能力、コミットメントともに絶対に彼には敵わないと思うが、こういうことされると一生敵わないと思わざるをえない。勝てるのは英語だけだ(笑)本当にありがとう。

しかし、最大級の賛辞を送りたいのは、妻に対してである。恐らく、いやきっと、受験の時から連綿と続いた僕の覚悟を問う数多の挑発的発言が無ければ、そもそも2校中2校から合格を貰うというミラクルも起こらなかっただろうし、いわんや、学校選択もここまで突き詰めて考えることは無かった。喧嘩になることも沢山あり、羽紗にも辛い思いを何度もさせてしまった(ごめんよ)が、彼女との対話なしには、この成功はなかった。基本的に意志が弱く、何事も長いものに巻かれろ気質だった僕にとって、彼女は最高のスパーリングパートナーだった(きっと、本人的には大迷惑なんだけどね・・)。かなり人間的に成長できたと思う。彼女との実戦さながらのスパーリングで。

今の僕に課せられた使命は1つだ。自分の選択を実りあるものにすること。それは、家族のため、自分のため、そして支えてくれた周囲の人たちのために。だから後ろは振り返らない、そして、批判、非難されても自分の信念を曲げちゃいけない。 自分で選んだ道を生かすも殺すも自分次第なんだ。

先日、ビザ取得のためにアメリカ大使館に行った。勿論私服で。そして超砕けた格好で、アメリカ大使館の隣にある弊社オフィスを素通りしてやった(笑)予想外に推薦状を書いてくださった弊社パートナーに溜池山王駅ですれ違うというハプニングがあった。「ビザです、ビザ」と遊び呆けているわけじゃないことを必死でアピールしたりした。よりにもよって、Nさんじゃなくても・・・。ま、どうでもいい話だが、とりあえず準備は進んでいるよってことで。

さて、このBlogの今後について。とりあえず、StanfordっぽいBlogのタイトルをColumbia風にするかは置いておいて(笑)、プレ留学日記/留学日記という形で続けていこうと思う。勿論、時間の許す限りだけど・・・。

そういうことで今後とも宜しくお願いします。

2010年11月1日月曜日

Still in work?

先週でプロジェクトを出たかと思いきや、何故か昨日今日と連続してクライアントサイトに出社し、ミーティングにも出る羽目に。朝はこれまで通りの時間に起きて、羽紗を保育園に送り、18時には保育園に迎えに行く。そして、羽紗が寝るまでは時間が使えないから、割と時間に余裕が無い。日中の8時間くらいと、夜23時~3時くらい。学校が始まったら寝れないはずなので、今のうちに寝て起きたかったのだけど(笑)

事前課題が、、終わりません、、(泣)

2010年10月31日日曜日

Grateful days.

今日は早慶戦に顔を出してきた。早慶戦と言っても、神宮を沸かす野球の早慶戦ではなく、バドミントンの早慶戦の方。毎年、開催校は順繰りに入れ替わりで、今年は慶応義塾大学日吉キャンパスが会場。実は、2007年に日吉に引越してから、1度も早慶戦に足を運んだことがなく、「お前は日吉に住んでるのに、早慶戦に1度も顔を出してないじゃないか」なんて小言を言われたりしていた。暫く日本を離れるので、ますます付き合いの悪いOBというイメージが定着してしまわないように、レセプションだけ参加してきた。

バドミントンの早慶戦も長い歴史を誇る。今年で58回目を数え、レセプションには何と第3回大会から参加されているというOBの方もいた。早稲田は男女ともに関東1部に所属し、慶応は男子が5部、女子が3部と今では実力では大きく開きがあるため、昔に比べれば見応えのある現役戦というのは少なくなってしまった。伝統の一戦というのには若干役者不足感は否めないが、レセプションでは実力は関係なく、早慶の現役、OBが一緒になって親睦を深める。その点は今も昔も(お酒の強要度は大分減ったけど)変わりは無い。上は80代から、下は10代まで集まるというのはそうそうあったものではない。

昔からお世話になっているOBの方々には留学することをご報告した。OBの中には、上場企業で役員をされている方など、ビジネス界で成功を収められている方も多くいらっしゃる。「頑張ってこい」と励ましのお言葉を沢山頂いた。僕が大学卒業時から「将来はビジネススクールに留学したいんです」と言っていたことを覚えて下さっていたOBの方もおり、「夢を実現するなんて素晴らしいじゃないか。頑張ってこいよ。」と大いに激励された。こうやって会うにつけ、色々とご指導くださる諸先輩方がいらっしゃることは本当にありがたいこと。早稲田に入り、バドミントン部に入って、4年間続けて本当によかった。ビジネススクールへの留学も振り返った時に「本当によかった」と思えるものにしたい。

さて、レセプションの場で、早稲田大学で職員をしている後輩に聞いたのだが、僕が卒業した政治経済学部にも遂に英語だけで卒業できるトラックが出来たらしい。僕が学生だった頃は国際部(海外からの留学生が所属する学部)だけが唯一英語で授業を実施していた。他学部生は英語の試験をパスすると聴講が許されたので、卒業の単位には参入されないのを覚悟で聴講試験を受け、海外からの留学生に交じって授業を受けていた。ディスカッションをベースに進む授業は本当に新鮮だった。ただし、毎回授業の準備が大変であり、"What else?"と言って生徒を当てまくる教授にビビりながら授業を受けていた。卒業後に、国際経済学科が出来たり、国際教養学部が出来たりと、グローバル化に向けた改革は進んでいったが、政治経済学部にも英語で卒業出来るトラックが出来たのはいいことなんじゃないかと思う。留学生を呼び込むことが出来、教授も学生も国際化しないといけない。今の会社には国際教養学部卒の後輩がいるが、英語も喋り堂々と海外を相手に仕事をしている。彼女は1年間海外の大学で学んでいるが、やっぱりそういう環境に身を置くということは大事だと思う。政治経済学部で学びながら英語漬けの日々を送れるのであれば、素晴らしいことだと思う。こういう流れがどんどん起こることが必要だ。

2010年10月30日土曜日

Over the web...

Badzineに先日のインカレの記事が。小宮さんが書いたのだろうか。Denmark Openの隣にインカレの記事というのは意外性があって凄い(w

そういや、Facebookの創業者Mark Zuckerbergをテーマにした映画"Facebook"がアメリカで公開。見てみたいな。

2010年10月29日金曜日

The last day, the first day...

今日がプロジェクト最終日だった。

かなり切羽詰まった大事なところではあったが、合格前から宣言していた通り10月末で抜けさせてもらうことにした。先見の明があったわけではないが、準備が全く進んでいないのでこのタイミングで抜けないと厳しかったかもと思ってる。横浜の今の家は引き払い、妻と羽紗は四日市に帰省するので、荷物を実家、祖母宅、四日市に振り分けて運びきらないといけないし、不要な荷物はせっせと処分しないといけない。ビザ取得も事前課題もこれから本腰を入れて手続きだったり課題に取り組まないといけない。渡航前のウォーミングアップに英語漬けにしておかないといけないから英語漬けの環境も作らないといけない。そんな準備だったりを仕事と平行して行うのはかなり難しいと思う。

相当に強引な抜け方をしたので、先輩や同僚、そして後輩達には相当に迷惑をかけてしまったのは申し訳ないと思ってる。そして、暖かく送り出してくれたチームリードのシニアマネージャには本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。彼が最も一番辛い状況においやられているのに、懐の深さは本当に凄いと思う。

実はお客さんへの挨拶を全て済ませたわけではなく、また引き継ぎも少しだけ残ってるので、来週も時間を決めてジョブサイトを訪れることになっているのだが、会えなくなる人もいるかもしれないので他チームのメンバーにもお礼と挨拶をした。今の会社に帰ってくるつもりだが、何だか今日で会社を辞める人のような気分だった。

しかし、感慨に浸ってばかりもいられない。今日でプロジェクトは最後だが、同時に僕にとってはスタートでもあるのだ。

明日は羽紗を連れて国立の実家に帰る。両親に今後のプランについて説明し、「我がまま息子」が妻と子供に迷惑をかけることになるので、僕が日本を離れてからも最大限に家族を助けて欲しいとお願いしにいく。準備はあれど、家族との時間を大切にしないといけない。

うー、でも、大学側から提示されたTo-DOは残り27!つらいorz

2010年10月24日日曜日

Back from Kyoto

今日、京都弾丸旅行から帰ってきた。この週末を過ごしただけ。土曜日は宿についたのは既に16時を回っていた。そして今日も14時の新幹線に飛び乗って横浜まで帰ってきた。毎年、妻のお母さん、兄夫婦一家と泊まりがけの旅行に出かけているのだが、今年は僕の受験の結果が出てからの方がいいだろうということで、このタイミングになった。
宿は炭屋旅館という創業100年になる老舗の旅館に宿泊。女将さんの振る舞いも、玄関から部屋に至る廊下の普請まで、歴史を感じる実に「京都っぽい」宿だった。料理もおいしかったし、上品だった。最後に出てきた白味噌のお味噌汁は、中に入った柚入りのお麩とのマッチングが素晴らしかった。温泉宿のように「これでもか」とてんこ盛りに出てくるとどれだけおいしくても引いてしまうものだけど、一品一品の量は控えめで僕にとっては適量だった。
観光の時間が殆ど無かったのは少し残念。昨晩は三条から四条近辺の河原町界隈をぶらついた。先斗町のおいしそうなお店の軒先に飾ってあるメニューを眺めたり。今日は、新幹線が14時だったのでとりあえず「定番」ということで清水寺を参拝。修学旅行シーズンは既にピークを過ぎているらしいが、それなりに混雑していた。修学旅行シーズンは信じられないくらい混むらしい。観光資源というのは凄い。放っておいても人が来るのだから(笑)

これから日本を離れてしまうので次の旅行は当分先になりそう。それでも今度はゆっくりと家族で過ごせる旅行に出来ればと思う。

2010年10月19日火曜日

これから。

もう既に僕が単身でビジネススクールに行く事については羽紗にも話をしているので、昨日お風呂に一緒に入っている時に「パパとおくに行っちゃうの?飛行機に乗って行っちゃうの?」と言われて、本当に辛かった。「そうだね。パパ遠くに行っちゃうけど、絶対に迎えに来るからね。それまでママとおばあちゃんの言うことちゃんと聞いて、ママのこと助けてあげないと駄目だよ。」と返すのが精一杯だった。

ビジネススクール留学に関しては、自分の我儘、夫として父としての責任放棄以外のなにものでもなく、特に妻と羽紗にはとてつもない痛みを強いてしまっている。これまで貯めたお金を持ちだし、借入までして行くのだ。人でなし、ろくでなしと思われても仕方がない。

だから、、その分、死に物狂いでビジネススクールで学び、その学習経験、ネットワークを卒業後に仕事で活かし、家族のためにも何としてでも成功しなければならないと強く思う。

Japanization

16日のInternational Heral Tribuneの"Japan Goes From Dynamic to Disheartened"は、読んでいて悔しくなるような記事だった。「デフレスパイラル」「草食系」「野心が無い」「希望を失っている」などなど、これでもかというくらい日本に渦巻くペシミズムについて書き立てている。それでいてアメリカ人は「僕らは日本と同じ過ちは冒さない。起業家精神の根付いた文化が悲観的な状況でもリスクを取ることを恐れない国民と日本の『失われた10年』から学んだ政府やFRBは景気悪化局面でも大胆にかつ迅速に行動できるからだ」と主張する。なんとかならないかなぁ。

2010年10月17日日曜日

さぁ、どれがiPadでしょう(w



(上:iPad、中:Blackberry Playbook、下:EeePad。突き詰めるとこうなっちゃうのかなぁ。と思うと、Appleってやっぱり凄いなぁ。)

インカレ決勝@東京体育館

早稲田大学バドミントン部男子が全日本学生(通称インカレ)で決勝進出という速報を受け、つばさを連れて東京体育館まで行ってきた。

準決勝で秋季リーグ覇者の日大に3-0で勝ったという報告を連絡を受けたのが11時30分頃。まさかのストレート勝ちにこれはすぐにでも応援に駆け付けたいところだったが、夕飯の下ごしらえ中で、何故かこういう時に限って夕飯のメニューは手間のかかりそうな栗ごはん。らでぃっしゅぼーやから届いたという栗(15個程度)の皮がうまく剥けず悪戦苦闘(笑)何とか準備を終えて、12時30分頃につばさと家を出て、東急で昼食のパンを買って、13時30分過ぎに体育館に到着。到着した時には既にトップシングルスの試合は始まっていて、主将の上田拓馬が法政の甲谷と意外にも競った試合をしているところだった。

本当は熱を入れて応援したいところだったのだが、殆どまともに見れなかった。この決勝進出という意義を理解できるわけもないつばさ嬢は全く試合に興味を示さず。「お散歩したいの!」と体育館をぐるぐる回ったり、申し訳程度の音量でYouTubeでプリキュアを見せれば「音が聞こえない!」とごねられてフロアの見えない端の方に移動したり(泣)うー、何のために来たのか・・。

さて、そんな僕の焦燥感とは関係なく、(少なくとも10年以上遠ざかっていた)久方ぶりの決勝進出という大舞台でも選手たちはよく頑張った。特に今年の4年生はタイトル必至と言われながら、団体戦でなかなか結果を残すことが出来なかった粒ぞろいの選手たちばかりなので、気合いも入っていただろうし、この試合に賭ける意気込みは相当のものだったと思う。先に負けてしまった女子も、ベンチに入れなかった選手たちもアリーナからよく応援していた。また東京開催ということもあり、多くのOBが会場に足を運んでいた。中でも岐阜県庁に勤める先輩と卒業以来(?)のよもやの再会。政策研究大学院大学に派遣されて学生をやっているらしい。キャンパスの六本木で務めているので、今度ご飯食べましょうよ、とか、岐阜に奥さんと1歳2ヶ月の子供を残しての単身赴任とのことで、これからの僕の境遇と似ているところもあり、お互い大変ですね、とか色々と話は盛り上がった。勿論、コートの方を見ながら。。

第2シングルスは取られて1-1になり、トップダブルスの上田・嘉村が相手から1ゲームを取ったところで、つばさの飽きっぷりが極限に達したので試合の応援は現役と他のOBに託し、一足先に体育館を去った。その後も逐一入ってくる、後輩からのSMSを競馬新聞片手にラジオ放送に耳を傾ける馬券師のような心境で待ち、「ファイナルになりました。 上田足つってます。」「上田・嘉村2-1垰畑・小林 上田足つって頑張った!」「山田・西澤1-0滝内・佐々木 リーチ!」のテキストにまるで体育館にいるかのような状態で、試合の行く末を見守った。その後、勝利目前で第2ダブルスが逆転負けを食らい、最終シングルスは2年生の原田が相手4年生の小林に2-0で敗れてしまった。選手たちは相当悔しいに違いないが、僕らが現役の時にあれだけ強かった先輩たちでも出来なかった準優勝という結果は胸を張れる結果だと思う。お疲れ。

それにしてももう少しちゃんと応援したかった。「つばさ」という名前の由来をもっと言い聞かせておけばよかったよ(笑)

2010年10月9日土曜日

Another one week..

実はまだ進学先を決め切れていない。どれだけ優柔不断なんだ、って思われると思うけど、家族がいればやはり「えいや」で決め切れない。自分で納得するだけじゃなくて、周りの人にも納得してもらわないといけないし、リスクはリスクです、ってちゃんと言えないといけない。でも1つ決めたことは、もう決めたら振り向いちゃだめだってこと。正直後ろを振り返っている余裕もないのと、どちらの学校に行ったって素晴らしい生活が待っているのだから、あとは自分でその選択が正しかったと言えるようにするしかないと思っている。

Columbia Business SchoolのDepositの入金期限が来週末に迫っているので、トランザクションのリードタイムも鑑みて昨日Citibankに海外送金の手続きに行った。そして対応をしてくれた女性テラーの方から「Columbiaに行かれるんですか!?凄いですね!頑張ってください。」と励まされる。最近は日本人合格者も大分少なくなっているので、僕の気持ちとしては日本人を代表してビジネススクールに乗り込むくらいの気概なのだが、こうやって他人から励まされると余計にやる気が出てくる。そして、やっぱりColumbiaってブランドは凄いんだなぁと思った(金融という業種がらなのかもしれないが・・)。

もう来週末で決めます。これ以上は伸ばせないから。

2010年10月7日木曜日

えかき

保育園から保護者に宿題が出た。
お題は「子供の似顔絵」。16日の運動会で飾るらしい。

ふふふ。。遂にこの瞬間が・・。

ということで、めちゃくちゃ真剣に描いた。

「うわー。つばさちゃんのパパって絵じょうずー。」

と言われて、誇らしげにしているつばさの顔を想像するだけで笑いが・・。ふっふっふ。

どうしよ、もっとうまい人がいたら。。

Brand Equity か Personal Equityか?

このブログのサイドバーにも掲載しているが、このHBS2年生のブログは本当にためになる。

http://militarytobusiness.blogspot.com/2010/10/brand-equity-vs-personal-equity.html

今回の記事は"Brand Equity or Personal Equity?"。

正直、僕は両方必要だと思う。

ビジネススクールを受験して、合格者がMckinseyとかBCGとか、Goldman SachsとかJP Morganとかのトップファームの出身者で多くを占めることを考えると、やっぱりどこの組織に属しているというのはそれなりに重要。それはどこの大学を卒業したかと同じで、所属する組織のブランドや信用によって三段論法的に評価する方がその人個人の実力から帰納的に評価するよりも圧倒的に簡単であるから。学歴至上主義と揶揄されるかもしれないが、これが現実だと思う。ここがチャンスを掴めるか否かを分ける分水嶺となるのであれば、別にブランドを追い求めるのは悪いことではないし、むしろ重要だ。

勿論彼のBlogにも書いてあるようにその後の成功というのはPersonal Equityで決まる。HBSやStanford GSBなんかのトップスクールを卒業したからとか、トップファームで仕事をした経験があるからと言って、成功が保証されるわけではない。ある意味、それだけのメッキが施されておきながら実力を発揮できなければむしろ失われる信用も大きい。だからある程度のステージになったらブランドではなく、最終的なゴールを考えて、道筋を考えて、直感的にではなく合理的に進んでいく必要がある。

ということで、どこでその軸足の切り替えをするかが問題ってことだね。難しい。。。

2010年10月1日金曜日

ものかき

バドミントン仲間の森田氏が主催しているSmash-netにちょっとしたバドミントンネタを寄稿しました。

本職と関係ないことを書く方が楽である・・(笑)

2010年9月26日日曜日

努力と信念

今日のヨネックスオープンジャパン男子シングルス決勝はとてつもない試合だった。ファイナルゲームにもつれる80分にも及ぶロングゲーム。80分間全てが見せ場で、息つく暇が全くなかった。リン・ダンの攻撃力とネットプレーの巧みさは相変わらずだったけど、リー・チョンウェイのスピードと読みがやばかった。リー・チョンウェイのスマッシュレシーブは反応とリターン先がエクセレント過ぎて、惚れそうになったよ。リン・ダンの最近のトーナメント出場動向と戦績を見て、北京でメダルを取ってモチベーションコントロールが難しいのかと思ったけど、やっぱり王者は王者で、彼もスーパープレーを連発していた。でも、リー・チョンウェイの執念が勝った。リン・ダンに勝てない世界ランク1位はランク1位を戴冠する資格は無い、とでも言わんばかりに。試合後の記者会見で「選手を続ける以上、これがいいという状態は無い」と話していた。この姿勢が彼を王者足らしめる理由なんだと思う。
ちなみに、話はそれるが「努力しない人間は死んでいるに等しい」というタトゥーを背中に入れている韓国選手もいるらしい。努力を忘れたら、あのコートには立てないわな、流石に。
帰りの山手線でJALの交通広告に眼が行った。松井秀喜選手が寄せたメッセージなのだが、これが結構心を打つ。メジャー挑戦を決め、ニューヨークに旅立つ際の葛藤を語っていた。日本のファンに対する裏切りになると思ったけど、どうしても自分の夢を捨てられなかった、と。追い討ち掛けるようなメッセージじゃないか。

やっぱり、信念を持ち、前に進もうとする姿勢を持たないと駄目だな、と気づかされる貴重な週末だった。

YONEX OPEN JAPAN

今年もヨネックスオープンの手伝いに来てる。今年は休み取れなかったので、祝日と週末だけ、体育館に来てる。この大会に来る度、日本のバドミントン人気も上がっていると感じる。23日(木)は過去最高の6100人ものお客さんが1日で体育館に来てくれた。ちびっ子達は選手のサインをゲットしようと躍起になっているし。

オランダから来ていた選手は「食べもの買おうと思って、売店に行ったら子供たちに囲まれてそれどころじゃなかったよ」と困っていた(笑)

そら目立つよ、だってお前身長2メートルだもん・・。

2010年9月21日火曜日

Accepted by Columbia Business School!!

先ほど電話ありColumbia Business Schoolに合格しました!
若干興奮していたのと深夜のロングミーティングの真っ最中だったので、若干意識が朦朧気味だったので、あまり聞き取れなかったのですが、英語をちゃんと勉強するように的なことを言われた。

とりあえず2戦2勝で受験終了。皆さんのお陰だ・・。
気持ちはINSEADで固まりつつありますが、ベストオプションをこの週末使って考えてみようと思う。

2010年9月16日木曜日

Ambivalence

菅首相の民主党代表選再選が決まった翌日日本政府は2兆円規模という1998年以来の大規模な為替介入による円高抑止に動いた。対ドル83円台だった為替相場は85円台になり、輸出産業の収益改善を期待して日経平均も9500円台をつけた。
ちなみに今回の日本の為替介入で小躍りしているのは中国。これまで積極的に人民元を売り自国の輸出産業を支えるために為替相場をコントロールしているとアメリカから非難されてきた。日本の単独介入は彼らにとっては渡りに船で、為替介入が合理的な経済運営のオプションの1つと主張するネタが出来たと喜んでいる。逆にアメリカは、水を差された格好で、日米関係には若干の亀裂が生じるだろう。大したことではないと思うけど。
これまでの円高は異常だったから、日本政府がアクションを取ったことについては特に異論は無い。
けど、、、

円安になって授業料がちょっと上がってしまった・・(泣)

複雑・・・

2010年9月12日日曜日

サブディスプレイ

仕事用にサブディスプレイを買った。

短期記憶の焼き付け精度が下がっていることを実感する今日この頃だが、会社貸与モバイルPCの12.1インチディスプレイでは複数ウィンドウを表示すると視認範囲が大分狭くなりかなり辛いので、身銭を切って買うことにしたのだ。

小遣いで買える範囲ということで、8インチのUSB接続対応ディスプレイをAmazonで購入。仕事の効率を上げるために自己資金で投資するだなんて、何て真面目なんでしょう、自分。

でも、、、小遣いの25%が吹っ飛んだ。。辛い。

さて、INSEADからご丁寧に合格通知で受け取ったメール丸写しのレター(隅の方に小さく手書きで"Congratulations"とあったけどね(笑))とキャリアデベロップメントに関する冊子が届いた。USのスクールとかでは合格すると分厚いパッケージが送られてくると聞いているけど、今のところそんなパッケージは届いていない。ほぼ全てのコミュニケーションは学生向けポータルで行われているので、ハードでの情報のフィードは殆ど無いってことなのかもしれないね。

2010年9月11日土曜日

It isn't my country!!

今日は先日第二子の長女を出産し里帰りから帰ってきたばかりの奥さんの大学時代の後輩のお家にお邪魔してきた。みなとみらいのタワーマンションの最上階のお家は広くて、圧巻だった。最近、友人の生活がセレブすぎて奥さんには申し訳なく、肩身がせまくなる。今の生活が気に入ってる、と言われると余計に(笑)

さて、既に羽紗は15キロオーバーなので、生まれて2ヶ月の赤ちゃんの空気のような軽さにびっくりした。久しぶりに首が座っていない子を抱っこしたので、緊張した。見るからにぎこちなかったらしく、奥さんからも「何か変だよ」という指摘。

そしてお兄ちゃんになったばかりの2歳の男の子のかわいいこと。最近羽紗があまりにわがままなので、彼のかわいさになびいてしまいそうだった。"I love mummy"のTシャツを着ちゃうくらいママ大好きらしいが、お兄ちゃんらしく振る舞っている姿も健気だった。

しかし、基本的には長いものに巻かれろ派の羽紗がなんと2歳児をリードして遊んでいる姿は何ともレアでびっくりだった。普段からそうしてくれると助かるんだよ、羽紗ちゃん。

お祝いに伺ったつもりが、逆に手作りのお菓子や本格的な中国茶を頂いてしまい、おもちゃも散らかった状態でお家を後にしてしまい、挙げ句の果てに羽紗にプレゼントまでもらってしまった。いやはや大変恐縮。恐らく、作ってもらった大学芋を誰よりも多く食べてしまった。本当にご馳走様でした。

家に帰ってから、プレゼントに頂いた地球儀で、地球がいかに大きくて、日本がいかに小さい島国かを羽紗に教えてやった。あまりの日本の小ささにショックを受けたらしい。パニック状態で、「ちがうの!私のおうちはここなの!!」と中国を指していた。中学、高校時代に遠征で行った中国での生活があまりにひどかったらしく、「絶対に中国には行かない」と豪語しているので、その発言聞いたらママは絶対に青ざめるな(笑)

それにしてもこの地球儀よく出来てる。僕の机に飾りたいくらいだ。

2010年9月7日火曜日

To Paris, again?

今月、仕事でフランスに出張予定。だけど今回の出張手配がとにかく大変。

ジョブセク(プロジェクトで庶務系をしてくれる派遣さん)は涙ながらに訴えてくる。
「Charumanさん、飛行機全然空きがないらしいんですよ。。」って。

そもそもシルバーウィークにぶち当たり、飛行機の空席が殆ど無いらしい。
しかも日本のシルバーウィークの影響からか、現地のホテルも空室少なく、挙句の果てに宿泊料金も割高。そもそも9月はフランス国内では夏休み明けで、繁忙差で言うと中間くらいの月のはずなのに、何故ホテルまでが高いの?
もしかしたら他の国もシルバーウィークか?不可思議だ。

挙句の果てにフランス国内も若干異常。
ロマ族追放問題で暴動勃発。
挙句の果てには年金問題をめぐって昨日から大規模スト。

しかもJTBから早く即日発券しないと駄目って言われているのに、「いやー、まだ確定じゃないんでとりあえずキープしておいてもらっていいですか?そのフライト」とか言ってくる傍若無人の輩がいて、ジョブセクさんの眼がますますウルウルに、、、アワワ ヽ(´Д`;≡;´Д`)丿 アワワ
(はい、僕です)

ああ、ジョブセクさんが大変だヽ(´Д`;)ノアゥ...
ごめんなさい。

2010年9月5日日曜日

奥さんの勉強

僕の奥さんは仕事と育児の傍ら、某女子大の食物学科の通信課程の学生でもある。奥さんが学生を始めて、初めて知ったのだが通信課程は極めてハード。基本的には自学自習。送られてくるテキストを自分で読み、ペーパーを書き、試験を受ける。スクーリングと言って、実際にキャンパスで講義を受ける機会もあるが、フルタイムの学生のように十何回も授業を受けるわけではなく、1ヶ月間土曜日だけスクーリングに通うとか、夏に1週間連続で講義を受けることができるとかその程度。卒業率は僅か数%というのも納得がいく。とにかく強い克己心が求められる。

受験勉強をしながら思ったことだけど、人間2つまでなら何とかマネージが可能なんだと思うが、3つ以上のことをいっぺんにやろうとするとかなりハードになる。ただ、仕事よりも学校に行って勉強している時の方が、そして家で文献を読んでレポートを書いている時の奥さんの方が、勿論大変なんだろうけど生き生きしている。「ねぇねぇ、アミノ酸ってさぁ、、、」と目を輝かせながら勉強したことを僕に話しかけてくる時の奥さんは本当に楽しそうだ。だから何とか卒業してもらいたいと思う。そのためには僕も助けになれればと思うのである。

以下は奥さんが調理学実習Ⅰなる授業にて実際に作った料理の数々。この時は毎日「どうだっ!!」という写真が送られてきた。記念に載せておく。


最後の1つは僕がつくった、羽紗の晩ご飯(w

2010年9月3日金曜日

Hard to get and hard to balance.

とりあえずINSEADに合格したので、Columbia Business Schoolの結果に関わらず僕はこの12月で日本を旅立つ、そして、1年~1年半仕事を離れることが決まっている。受験する前から分りきっていたことだが、決めなければならないことが山積している。そしてこれらの課題については十分に吟味して意思決定を下す必要がある。合格するのも大変だったが、その他色々なことと折り合いをつけるのも難しい。自分は何に優先順位を置きたいのか、何がベストオプションなのか。自分の中で納得し、それを家族に納得してもらわなければならない。妻、羽紗、お義母さん、お義兄さん、実家の母、など、、この留学は色々な人たちの助けと理解が無いと成立させることが出来ない。
  1. 家族
    • 一緒に行く事は叶いそうにない。これは大変辛いことだけど。
    • 妻は仕事を持っている。そして羽紗を幼稚園に入れたいという希望がある。
    • ただ、妻1人で羽紗を育てながら生活することがかなり難しい。
    • 妻が海外に行きたくない理由は決して金銭的な問題だけでなく、海外に住むことに対する抵抗感の問題である。
    • このハードルはなかなか越え難い。
  2. 費用(学費・生活費・社会保険料など)
    • 大体の資金繰り案は出来ているのだが、これを家族で議論しないといけない。
    • 奨学金も応募しているので継続的に状況をウォッチしないと。
    • 不足分の調達をしなければならない。
上記2つは僕にとって非常に大きなこと。特に家族についてはなかなか結論を出すまでに大変だろうと思っている。今年の2月にFontainebleauキャンパスにビジットした時に、先日INSEADを卒業した同じ会社のシニアマネージャのNさんを訪ねた。ちょうどその時は妻と出願すべきか、否かで議論していた時だったので、若干弱音を吐いてしまった。Nさんは「みんな何かしら捨てて来てるんだ。それだけの覚悟があるかどうか。その覚悟ができなければきっとそれは君の中でビジネススクールに行くという覚悟が出来ていないということなんじゃないだろうか。」というようなことを言われた。全くもってその通りだ。そこでくじけてしまうようであれば、合格したとしても行くには値しない。

あまり時間は無いけど、納得するまで考え、話し合いたい。

2010年9月2日木曜日

I made it !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

INSEADから合格通知が来た!!やったー!報われたー!
家族、同僚、友達、本当に皆さんのお陰。
ちょっと感動して何も言葉が出ないっす。

本当によかった・・。

2010年9月1日水曜日

Too tough to wait.

INSEAD合否結果通知が始まったみたい。今朝、「絶対に見ちゃだめだ」と思っていたのに、衝動的に見てしまった海外のとあるサイトが提供しているビジネススクール向けの掲示板では、「INSEADから合格通知を貰った!」という書き込みがちらほら。

僕は、と言えば、未だ携帯も鳴らず、メールも来ない。そして、掲示板を見て一気に不安になった。こんなことになるって分かっていたから、見ちゃ駄目だと思っていたのに、意思と体の統率が全く取れていなかった。あと2日もこの状態続けたくない。「殺すなら一思いに殺してくれ!」と思わず言いたくなるような状態だ。

2010年8月29日日曜日

Final, final, final....

奥さんは軽井沢合宿に旅立ってしまい、火曜日夜まで帰ってこない。ということで、本来であれば羽紗と2人きりの予定だったのだが、明日朝にインタビューが入ってしまったので急遽実家の母に来てもらった。明日の夕方のお迎えは僕が行くので、それから火曜日夜まで僕1人で仕事と家のことをマネージしなければならない。朝食の準備も、登園準備も、保育園の送り迎えも、晩御飯の支度も、お風呂も、歯磨きも、寝かしつけも・・・。きっと、奥さんのありがたさと、僕の出張中に全て1人でやっていたというハイパーぶりを知る貴重な時間となるのだろう(笑)

さて明日の朝遂にColumbia Business Schoolのインタビュー。一応、これ以上ないという準備をしたつもり。あとは初めてのAdmission Interviewという雰囲気に飲み込まれなければ、きっと大丈夫のはず。出来れば笑いを取って帰るくらいのことはしたいな。

そして金曜日がINSEADのFinal Decisionの通知期限。合格でも、不合格でも、いずれにせよ、結果が分かる。合格だったら電話で、駄目だったらメール。「+33」からの電話がかかってくることを祈るのみ・・・。

どっちもドキドキすぎて、心拍数上がる。
本当に心臓に悪い。

2010年8月27日金曜日

Interview invitation from Columbia Business School!!

Oh, my god!

待ち焦がれて干からびそうになっていたColumbia Business SchoolからのInterview Invitationが遂に届いた。でも、予想と違ってAlumni InterviewではなくおそらくAdmission Interview。しかも先方から提示された日程はInvitationをもらってから僅か3日後の30日朝。30日に東京でInformation Sessionがあるので、その機会を有効活用しようということらしい。

Alumni Interviewだと思って用意していた質問をAdmission向けの質問に用意しなおさなければならないというのは若干の誤算だが、Admissionに直接アピールできるだなんて何て幸運なんだ、僕は。

ただあまりのShort Noticeだったのでかなりバタバタしてしまっている。日曜日から奥さんは大学の合宿で3日間家を空ける予定だったので、準備時間を確保するために実家の母に電話して助けを請うことに。たまたま母は月曜日に残りの夏休みを取る予定だったようなので、日曜日から月曜日にかけて羽紗を見てくれることになった。本当にありがたい。朝準備して、保育園に連れて行って、インタビューしてでは、着いた時点で疲れ果てそうだったから。

来週の月曜日でどちらにせよ受験生生活が終わる。それにしても長かったなー。2006年に留学しようと思い立ってから4年も経っちゃったよ。そして、GMATは8回も受け、TOEFLはCBT、iBTと合わせて10回くらい受験して、予備校も2つも行っちゃったし、カウンセラーにエッセーも見てもらって、KAPLANやらBARRONSやら問題集も沢山買って家に電話帳の山脈が出来上がって、お金も大分費やしちゃった。合格もしてないのに(笑)周りからは、お小遣い制で、弁当持参で可哀そう、って言われ続けたけど、こんなに沢山使った受験勉強の費用のことを考えたらそれ以上は求められなかった。

お金のことも含めて、沢山家族には迷惑かけたな。「あなたは家族よりも留学の方が大事なんでしょ」って言葉に自己矛盾を感じて、ずーっと自問自答しながら「そうなのか?そうなのか?」って思いながら何度も留学諦めようと思った。けど出来なかった。旦那として、父親としては失格かもしれない。でも彼女の再三の指摘と、遊んでくれとせがむ羽紗を置いて勉強に出なければいけないという経験により、僕にとっての留学の意味を、深く、深く考える機会をもらったと思って、誰よりもその意味を考えたつもり。

やばい。合格してもいないのに、終わった感が(笑)

いかんいかん。4年間の集大成だ。頑張りますか。

2010年8月22日日曜日

結婚4周年


この8月20日でめでたく入籍から4周年。「銀婚」「金婚」という言葉があるように、4年なんていうのは蟻の歩みのような小さな足跡かもしれないけど、色んなことがありながらもまた1年を積み重ねることが出来たのは本当に嬉しい。悲しいかな、勝手に盛り上がっているのは僕1人。奥さんは全然記念日という感覚は無し(笑)でも、とりあえずお祝いしようと僕が勝手にセッティングし、昨日は六本木にある六本木農園というレストランでディナーを食べてきた。

夕飯の前に羽紗を連れて、麻布十番夏祭りに出かけてきた。羽紗はおばあちゃんにもらったキティちゃんの甚平を着込んでやる気十分で麻布十番に向かった。去年はちょうどめちゃくちゃ忙しかったプロジェクトの打ち上げが夏祭り中の麻布十番だったのだが、翌日富士登山を控えていたので、殆ど目もくれずに帰った。だから、今回が僕にとっても本格的に麻布十番のお祭りを初めて体験する機会となった。

それにしてもものすごい混雑ぶりだった。羽紗もあっというされて、「うわーっ、すごいひとー」とびっくりしていた。でもお祭りに相当行きたかったらしく、そんな人ごみ関係なく羽紗のテンションはあがりまくっていた。かき氷、ヨーヨー、キャラクターすくい、風船、、、かなりの投資をさせられた。やっぱりお祭りの出店って価格設定が足下見過ぎだよ。かき氷はシロップセルフサービスで300円もしたし。おばちゃんはただかき氷マシンから削りだされる氷をカップに入れるだけだし。でも、キャラクターすくい(500円)でとったおそらく原価10円もしないキャラクター3個をゲットしてかなり満足気な羽紗を見ていると、子供の楽しそうな顔が見れるならたかだが数百円なんて大した話じゃないのかな、と思う。人間小さくなってはいけないね。

途中で、南麻布に住む前職の同期夫妻と2年ぶりくらいに合流。その後、そのまま六本木農園に歩いて向かった。とにかくこの晩ご飯のために屋台でもかき氷しか買わずにお祭りを乗り切ったので、僕も奥さんも羽紗もみんなお腹をすかせながら何とかお店に到着。

以前、雑誌でこのレストランのことを知って、いつか行きたいと思っていた。行く前にホームページとかを見たりしたけど、オーガニック系のレストランはかなり増えているけど、ここは1次供給者である農家と2次供給者である農家が協力して作り上げている感じがしていいなと思っていた。コースの名前も「農家さん応援メニュー」となっていて、その心意気もすばらしいなと思った。六本木ヒルズとか横浜ルミネにあるA&Wキッチン系の野菜やめいも気に入っていたけど、こっちの方が本格的なオーガニック感があるし、素材を生かしてそうな気がしたしね。

思っていた通り、素材を生かしたおいしい野菜料理が沢山出てきて大満足だった。予約を入れた時、一番軽めのコースにしたのが奏功した。魚料理と肉料理が食べられなかったのは残念だったけど、恐らく頼んだら食べきれなかったと思う。帰りは六本木農園併設の菜園を見せてもらい、色々な野菜がなっているところを勉強させてもらった。羽紗は枝豆が大好きなので、ずっと枝豆の枝を見てたけど(笑)結婚記念日とは言わず、今後も利用したいレストランの1つに加わった。スタッフの対応も良かったし、料理もおいしかったし。

僕と奥さんは何と言うか、喧嘩もよくするし、周りから見るとハラハラするような夫婦らしい。悲しいかな確かに甘い生活というのは結婚してから1日もなかったような気がするし、今でもよく喧嘩するし。時折、新婚ほやほやの同期を見ると羨ましくなることがある。正直言って。でも言いたいことが言い合え、お互いに期待しすぎずに自然体でつきあえるのが僕らの良いところなのではないか、と自分たちの関係を勝手に解釈している。

さ、5周年は何を食べようかな。

2010年8月18日水曜日

奨学金申請

INSEADの合否はまだ出てないが合否連絡よりも先に奨学金出願の期限が来てしまったので、先ほどNeed-Basedの奨学金にオンラインで出願した。以下のテーマがエッセー課題なのだが、2つめの課題のために、改めて投資額を計算しなおしてみると、INSEADは1年間のプログラムとは言え、やっぱり物凄い投資だということを再確認した。キャリアを積めばそれだけ給料を投げ出す機会コストも大きくなるので、私費で留学を目指す場合はファイナンス的に考えると機会コストが小さい若いうちにビジネススクールに行くのが得策なのではないかと思う。年取ってしまったので、そんなことも言ってられないのだけど。

Essay topic :
1).In no more than 500 words (a) state why you feel an INSEAD MBA is relevant to your particular career needs, (b) explain how you envisage contributing to the future development of your country/region after graduation.
2).Provide a concise but accurate description of your financial circumstances as well as a cash flow forecast for the year e.g. details of income (such as your income, investment income, savings, property rentals,etc) set against details of expenditure (such as local outgoings, INSEAD fees, rent living expenses). How do you expect to finance your studies if you do not obtain a scholarship or financial aid from INSEAD? Why INSEAD should consider you for a need-based scholarship? What amount do you consider appropriate? Please do not forget to submit a number of supporting documents as required (see scholarship description)


それにしても、INSEADでは特定の地域や国出身の学生に対象を絞った奨学金が殆どで、新興国や途上国の学生向けの奨学金が充実している一方、日本人向けの奨学金は1つも無い。学校からは50の奨学金を紹介されたが、そのうち日本人がアプライできるだろう奨学金はたったの4つ。さらにその4つも新興国や途上国出身者との競争になるので、相対的に経済力の高い日本出身の学生は奨学金受給者として認定されることが稀らしい(というか、殆どいないとEdが言っていた)。欧州、しかも1月留学は更にDisadvantageを抱えている。かのFulbright奨学金はアメリカ留学が対象なので、対象外であり、その他の奨学金は9月入学をターゲットに据えているので、出願スケジュールと全くリンクしていない。また育英会の奨学金などは社会人を対象にしていないので、大学院留学は出願者が学生であることを前提としている。日本人留学生を増やすためにも、政府出資の海外留学奨学金を拡充したほうがいいのではないか、と思った。政府出資じゃなくても、日本の将来を憂う実業界のトップから出資を募り、奨学金プログラムを作って、世界に出たいと考えるリーダー候補を沢山選抜し、海外のトップスクールに送り込む。そして彼らが帰ってきて日本で起業したり、日本企業に入ってグローバル戦略を指揮したりする。彼らはまた成功したら、今度は出資者としてその奨学金に貢献する。そんなことが出来れば国内に眠る才能も掘り起こせるんじゃないだろうか。奨学金を得られるかどうかというので、心理的なハードルが大分下がることは間違いないだろうし。

しかし、シュミレーションしたエクセル眺めると、頭が痛くなるなぁ・・・。

2010年8月15日日曜日

円高進んでるね。

円高が進んでいる。円相場は85円から86円台で推移していて、ドルの円に対する相対的価値は1年間で10%以上も低下している。リーマンショック後にグローバルでの市場収縮と円独歩高という2つの痛手を被った日本の輸出産業は海外に生産能力を移転して為替リスクのヘッジに動いたため、当時に比べて経済紙にはあまり円高による企業業績に対するインパクトを目にしない。米欧の先進国は輸出拡大路線を取っているため自国通貨安を容認しており、金融政策的にも不況を抜け出せないため利率を低水準に抑えている状況で、「強いドル」という言葉は昔話の様に思える状況では政府の介入なしにはこの円高基調は続くと思う。楽観的に考えればこの円高基調は有利だし、チャンスだと思う。クロスボーダーのM&Aなどで手持ちキャッシュを10%も効率よく使えるようになるし、意識的に生産活動のグローバル化を進めるきっかけとなる。ただこんな風に楽観的に考える人ばかりではない。逆に円高に対する懸念は強い。日経新聞など主要経済紙でよく見かけるのはこれ以上円高が進めば企業活動のグローバル化が進み、国内の雇用を減退させるという議論である。確かに日本の労働力のグローバルにおける価格競争力は10%も下がったわけであり、ロジカルに考えればより安い労働力の活用にシフトしていく必要がある。例えば研究開発とか、半導体の回路設計とか、ハイエンドモデルの生産とか、高い労働コストでも付加価値の出せる部分は国内に残し、量産向きの商品の生産などは海外生産に切り替えるなどある程度は国内・海外で役割が分担されていた。でもこれ以上の円高が続けばその役割分担も維持できなくなる水準に到達し、ますます企業活動のグローバル化が進み、国内の雇用が海外に奪われていく。
この件に関して、円高がいいのか、悪いのか、政府は為替介入すべきかということばかりが論点のように取り上げられている気がするが、そもそも日本の為替政策の前に、日本の経済政策について議論をする必要がある。政府はその点をおざなりにしているのではないか思う。少なくとも日本経済はこれまでもこれからも輸出主導型であることに変わりはなく、ある程度の水準で円の価値を維持することが必要。僕は基本的に日本企業がグローバル化していくことは国内労働力が縮小していく中で、為替の高低に関わらず進めていくべき政策だと思うが、国内を空洞化させては本末転倒であると思う。政府も日銀も拙速じゃなかろうか。この状況ではあまり菅内閣の経済運営にOKとは言い辛いね。こんなにコロコロと変わる政権だと一貫した経済政策もへったくれもないのかもしれないけど。日本はピーク時には80兆円も輸出で稼いできた国。円高にそろそろ歯止めかけるタイミングじゃなかろうか。

2010年8月13日金曜日

やれやれ

やれやれ、果報は寝て待て、と思ったら、そうもいかないらしい。インタビュー終わってひと段落と思っていたのに、一体全体どうなってるんだ。もしこれも郵便事故アゲインだったらますますフランスの郵便サービスのクオリティというか、郵便サービスそのものが信じられなくなってしまう。まったくもってフォローアップでいくらUPSに貢げばいいのだろうか。これで15,000円のロスだよ。あんまり余裕ないのに、困ったなぁ。

先ほどINSEADのアドミッションから、GMATのスコアレポートがPearson VUEから届いていないから受験者用コピーを送って欲しいとの連絡があった。でもリクエスト出してから3ヶ月も経過しているからいい加減届いているはずなんだけど。5月8日にGMACにリクエスト出してるし、GMACからは3週間くらいで届くと言われているし。またUPSで送ると6000円もかかる。このしがない私費留学予定の受験生からいくらむしり取っていくのか、フランスの郵便システムは・・。

大願成就は甘くないってことか。仕方がない。そういえばEMSで送った書類が紛失された件について、損害賠償請求用の書類が送られてくると郵便局から連絡があってから書類が来てない。面倒そうだけど、取り返せるなら卒業証明書と成績証明書のフォローアップ分だけでも取り返したいな。

2010年8月11日水曜日

うぬぼれ刑事で長瀬と小雪がバドミントンします。

バドミントンに関するPRです。日本協会のI事務局長から携帯にメールありまして、どうやら今週金曜日夜22時からの「うぬぼれ刑事」で長瀬と小雪がバドミントンするらしいので、是非見てください。小雪は「オグシオ」ならぬ、「ハギシリ」なんていうニックネームのペアを組んでいたことになっています(笑)

似てる?

僕も時空間を捩じ曲げられるかも!ヤッター!

というのは冗談で、彼の成功のお陰でこの日本人的風貌にも少しプライドを持てるようになったぞ。
MASI OKA凄い。

INSEAD 2nd Interview finished!!!

INSEAD2人目の卒業生インタビューが終わった。個人的にはうまくプレゼンテーションできたのではないかと思う。それに笑いも取れたし、インタビュアーにもきっと楽しんで貰えたはず。
2回目のインタビューはかなり困難を極めるだろうと勝手に考えて、「いじわるな」質問に対する想定問答を用意し、かなり繰り返し練習したのだが、実際は取り越し苦労だった。もう、感動したいくらい素晴らしい卒業生の方だった。インタビュアーの経歴を見て、少々勘ぐりすぎ、ナーバスになりすぎた。卒論に関する話も、ケーススタディのような質問もなく、インタビューのような堅苦しいものでもなく、終始和やかな雰囲気でインタビューが進んでいった。でも、備えあれば憂いなし。「いじわるな」質問用に考えていた答えは彼女との会話の中で引き出しとして使えたので、それなりに準備してよかった。

合格発表は9月3日までとのことで、これから長い長い「待ち」に入る。1回目も2回目もインタビューはうまくやれたと思う。これで落ちたらインタビュー以外の別の要素が原因と思えるくらい個人的には頑張った。合格なら電話、不合格ならメールらしい。ドキドキだ。

2010年8月10日火曜日

水と油。

日本人とフランス人が相容れるのが難しいと思っているのは僕だけではなく、他にも沢山いるはず。というか、フランス人とだけではなく、そもそも日本人って国籍違う人たちと仲良くやっていけるのだろうかと思ってしまうようなニュースがロイターに掲載されていた。

以下ロイターからの抜粋。

" [ニューヨーク 6日 ロイター] ロイターと調査会社イプソスが有給休暇を使い切る労働者の割合を国別で調査した結果、フランスが89%でトップ、日本が33%で最下位であることが分かった。

 調査は24カ国の約1万2500人を対象に実施。フランスに続き、アルゼンチンが80%、ハンガリーが78%、英国が77%と高かった一方、日本のほか、南アフリカとオーストラリアが47%、韓国が53%と低かった。

 イプソスのジョン・ライト上級副社長によると、所得の高低に関わらず世界の労働者の約3分の2が有給休暇を使い切っている。また、年齢別では50歳以下の若い人の方が有給を使い切る人が多く、「経営幹部クラスでは60%が使い切っていなかった」という。

 同氏は「有給を使い切らない理由はさまざまだろうが、仕事に対する義務感の強さが主な理由だろう」と話している。

 国別の有給休暇を使い切る労働者の割合は以下の通り。"

フランス人と日本人で倍以上の差があることにも愕然としたが、僕の6年間の海外プロジェクト経験から割と仕事中毒気質では共通点があると思っていたアメリカ、韓国よりも20%以上も低い!ただまぁこんな数字を見てもきっと、アメリカ・韓国とは僕らの世界ではそんなにおおごとにはならんのではないかと思う。というのも、ビジネスマンを所得別にトップ・ミドル・ボトムと割ったとして、有給消化率はミドル>>>>トップ・ボトムで、トップ・ボトムが10%ずつだとするなら、おそらく僕らコンサルティング業界が位置するであろうトップティアでは、アメリカでも韓国でも殆どが有給未消化層に入ると思われる。フランスは有給未消化層が11%なので、20%で割ったとしてもトップ・ボトムそれぞれの半分ずつくらいが有給消化層になってしまう。ということで、50%くらいの確率で「フランス人仕事しねぇ」というシーンを見ることが出来るのだと思う。

これを見ると、まぁ自分はよくやったなぁと思う今日この頃である。明日のインタビューでもこれをネタにしようっと・・。

2010年8月8日日曜日

"I don't know!"


「やっぱり羽紗にも英語でしょ!」と奥さんに主張して、1年くらい前にベネッセのWorld Wide Kids Englishという20万円くらいする英語教材を購入した。これは教材が非常に充実しているし、何よりも日本語が一切出てこないというのがいい。それにかなりセンスのいいアーティストがおもちゃをデザインしているので、付属のおもちゃのデザインは結構いけている。

ただ、購入したのはいいものの、ちゃんと教材を活用できないまま、過ぎてしまった。DVDはたまに見るけど、定期的に見れなくてDVDのバックログが溜まったり。羽紗も英語とも日本語とも分らない言葉をたまに発するものだから「ほらー、あなたが中途半端に英語の教材を見せるから羽紗が訳分からないことを口にするようになったじゃないの」と奥さんから責められたり。
だから、最近は活用に躍起。羽紗と家で過ごす時はなるべく一緒にDVDを見たり、絵本を読んだりするようにしている。これまでは平日はDVDを一緒に見れるような時間帯に帰ってくることが難しかったし、休日もなかなか時間が取れなかった。でも買うと言ったのは僕なので、責任持って教材を活用しないと奥さんに面目が立たないので、何とか頑張ろうと奮起し始めたところ。そんなでたらめな使い方をしていたのに、羽紗は英語は嫌いではないようで、外人を見かけると「えいご、えいご」と言って、とりあえずポジティブなサインを見せてくれる(と勝手に解釈している)。ということで、そんな羽紗がもっと楽しく英語が学べるように盛り上げはじめたところ。

そういえば、僕が英語を話しているということは認識している模様。家でEdとSkypeでミーティングしたり、インタビューの練習で家でも念仏のようにスクリプトを読んだりしているのを聞いたからか、「ぱぱえいごしゃべるでしょ」と何度か言われた。勘なのかもしれないけど、一応英語って分ってるんだ、と感心した。

ちなみに今日試しに英語で羽紗に返してみたら、これが結構面白かった。

「パパ、新聞紙頂戴。」と言われたので、いつもびりびりにしてそこらへんに散らかすから"No, I can't. Because you always tear it and scatter pieces of it around!!"て言ったら、"I don't know!"だって・・。「つんちゃん。"I don't know"ってどういう意味か分る?」って聞いたら「わからない」と(笑)
「分らない」という意味と分ってるのか、単に「分らない」と言っているだけなのか判断つかなかったけど、ちゃんと単語を話すようになっていて、子供の吸収力って本当に凄い。

今後も楽しくお勉強出来ればと思う。勿論、日本語も大事だけどね。

2010年8月5日木曜日

目指すべき姿

新しくトリンプの社長になられた土居健人さんのインタビュー記事。こんなことがやりたいと僕が今まさに考えていることが、彼のインタビューに詰まっている。
http://www.isssc.com/cg/topics/24.html
企画して、商品作って、価格決めて、流通チャネル考えて、広告とかキャンペーンとかプロモーションして、売る。これまで間接的に見ていたことに、いつかはチャレンジしてみたい。

Gossip Girl - Second Season

職場の同僚から日本未発売のGossip Girl Second SeasonのDVDを借りた!!今はHEROSのFirst Seasonを見ているところなので、見始めるのは当分先になりそうだけど、かなり楽しみ。それにしても、このジャケット、、、どう考えても高校生じゃないだろ、君達。しかもJennyはまだ14歳の設定だったような。

何となくTSUTAYAに寄って、英語の教材に適当なソフトはないかと思い手に取ったのがGossip GirlのFirstシーズンだった。とにかくセリフが多くて、できれば「くだけた」リアルな英語表現が多いこと、という2点に期待したのだが、英語の勉強という目的を通りこして、かなりハマッてしまった。同じディレクターが作ったOCにもハマッたけど、こっちの作品の方がテンポがよい気がする(西海岸と東海岸の違いかもしれないが)。またあの呆れるくらいセレブな高校生達のドラマを見れると思うと楽しみで仕方が無い。早くHEROESを見終えないと。

2010年8月3日火曜日

INSEAD 2nd Interview

今日何故か2人目の面接官のアシスタントの方からメールが来て、面接官の詳細を知った。INSEADのアドミッションからはまだ連絡が来てなかったので、少し驚いた。間違いだといけないので、念のためアドミッションに連絡を入れると、確かに僕にアサインされた面接官だとメールで後から連絡が入った。それにしてもアドミッションに何度電話しても僕のコーディネーターが出てくれた試しがないのだが、この対応を見ても全く対応が回っていないのだろうか。

2人目の面接官は元戦略コンサル出身で今は事業会社でマーケティング担当をされている方。僕が目指すキャリアトラックを進んでいる人なので、是非色々と聞いてみたい。

次が天王山だ。テンションを上げよう。

2010年8月1日日曜日

グランドハイアットにて。

昨日は、河合塾時代のバイトの後輩・Kくんの披露宴にご招待頂き、グランドハイアットまで行ってきた。Kくんは僕の会社の後輩でもあるが、今回は同じ会社の同僚としてではなく、バイト仲間として高砂からちょっと離れた席で昔の仲間たちとワイワイやりながら(同じ会社とは思えない)素敵な披露宴を楽しませてもらった。立川グランドホテルがメジャーホテルな多摩地方の住民には刺激的すぎる披露宴の費用を計算しながら楽しませてもらった(笑)

また10月に後輩が披露宴をするようだ。場所はなんとディズニーアンバサダーホテルとのこと。キャラクターも多く登場するらしい。披露宴に出席する連中はきっとキャラクターのギャラ計算でもりあがるんだろうな。

なんて庶民な(笑)でも、愉快な仲間たちであることは間違いない。

跳んだり、跳ねたり。

今日はママがレポートの日なので、羽紗と2人で朝ご飯を食べてお出かけ。行き先はみなとみらいのBournelund。羽紗がずっと海が見たい、って言っていたから、本当は江の島にでかけようかと思ったのだけど、安全路線を取って「近場+室内」の基準で行き先を考え直した。来週はママがスクーリング中のため遠出して体調崩して保育園に通えなくなると確実に自分が休まなければならなくなるから。

Bournelundの「あそびのせかい KIDOKIDO」はトイショップだけでなく、トランポリンやボールのプールなど子供たちが体を使って目いっぱい遊べる施設。さらに、「大人と子供が一緒に遊べる」がコンセプトなので、大人も一緒に楽しめる。僕も羽紗と一緒にエアトラックで跳びはねて遊んだ。ちょっと童心に帰りすぎて、僕の方が楽しんでしまったかも(笑)「どんくさい」ってママに言われる羽紗だけど、体を動かすのは大好きなので、かなり楽しそうだった。連れてきてよかったな。僕も体を動かして、だいぶリフレッシュできた。

ひとしきり遊び、出発の時に日吉東急で買ったおにぎりを食べ、すぐ傍のスターバックスに移動してまったり。羽紗とおしゃべりして、今後のことについて羽紗はどう思うか聞いてみたり。ちなみに、彼女はまだ3歳だけど、彼女なりの考えを持っている。たまにものすごく頑固になるけど、それは羽紗のキャラとして保育園でも認知されているくらいだ。僕は、周りの人の声にも耳を傾けながら、それでいて周りに流されず、自分がどうしたいのかを考え、それを周りにもコミュニケーションできる人間に羽紗にはなってもらいたいと思っている。だからその頑固さと自分の思いというのを大事にして育ってもらいたい。

帰りの電車では羽紗はぐっすり。あれだけ遊べば疲れるよね。僕もとりあえずエッセーを出しきったので、奨学金への願書は残っているものの、インタビューの練習とエッセーをパラレルで走らせっていた頃よりも少し余裕が出てきた。勿論まだ合格したわけではないので、引き続き油断禁物な状態であることは間違いないのだが、少しずつ家族に還元していきたいと思う。

2010年7月30日金曜日

Stimuli

さて、今週はなかなか刺激的な1週間だった。

まず昨日、待ちに待ったINSEADの1人目の同窓生に会い、インタビューを済ませた。あんなに緊張したのは最後の早慶戦でシングルスに出してもらった時以来だと思う。あの時もそうだったけど、今回のインタビューも寝言に出てくるんじゃないかというくらい練習したのでうまくやれる自信はあったけど、いきなり本命校のインタビューが初回ということもありかなり不安だった。インタビュアーのオフィスの前でちょっと右往左往したりして、明らかに落ち着いてなかった。そんな時妻からのメールが本当にリラックスさせてくれた。「無駄にみだしなみチェックした?」とメールが入ったから、「したよ。笑顔チェックも」って言ったら、「え、鳥肌立つからやめてよ。」って・・。普通はこういう場面では「頑張って」だろ!と思い、そんなつっこみをいれる余裕を出させてくれた妻の切り返しはナイスアシストだったと思う。それに加えてインタビュアーが素晴らしい紳士だったということもあり、かなりリラックスし、かつ楽しんでインタビューを終えることが出来たと思う。ますますINSEADに行きたい気持ちが強くなった。そして、次のインタビューも頑張ります、と彼に約束したので、期待を裏切らないように準備にぬかりなく次戦に備えたいと思う。

そして今日は仕事後にドイツ銀行でトレーダーやっているJと一緒にRoom To ReadのFund Raising Eventである"Beers for Books"に顔を出してきた。思ったより盛況で、色んな人とネットワーキングすることができた。Japan Intercultural ConsultingのCEOとか日本代表やStanford Japan CenterのDirector、TEDxTokyoの日本チームメンバーなどと仕事に関係なく知的好奇心のそそられることが沢山話せた。また、Japan Intercultural Consultingの日本代表の方とは文化が異なる人々がコラボレーションする方法についてなかなか面白い話ができた。ということで、色んなインプットとアウトプットがあった。会を出て、Jと一緒にイベントに参加した友人と麻布十番まで行き、ブリトー食べながら世間話。相変わらずJの日本語の流暢さにびっくりする。彼女はまだ日本語を勉強しだしてから、2年しか経っていないのに、素晴らしい日本語を話す。それで若干23歳である。こんなタレントがアメリカや中国にはまだまだ沢山いるのかと思うと、ちょっと恐ろしくなった。

明日は河合塾時代かつアクセンチュアの後輩であるKくんが六本木のグランドハイアットで披露宴なので、どんな豪華な結婚式なのかまた刺激をもらってこようと思う。

2010年7月27日火曜日

カルチャーショック

ちょっと書くことが無いので、小ネタを。INSEADのエッセーにはカルチャーショックを受けたことについて書きなさいお題目がある。この題材には割とてこずったのだが、色々と仕事を振り返って何個か書いたうちの1つを選ぶことにした。

①英語だと思わなかった!事件
2006年にアサインされたプロジェクト。上司はイギリス人、同僚はイギリス、オランダ、スペイン、アメリカ、ブラジル、インド、シンガポールなどなど全体で50人くらいはメンバーがいる中で僕だけが日本人だった。言わずもがな日本語をしゃべってくれる人などおらず、1年強のプロジェクト期間の大半は日本にいたのに、何故か英語を喋っている時間の方が物凄く長かった。帰国子女でも何でもない自分にとっては毎日脳みそがクタクタになるような生活だった。特に皆それぞれ英語にアクセントがあって、最初は何を言っているのか意味不明。特にインド人のエンジニアとのテレカンは最初英語を話していると分らず、思わず"Please speak in English"と言いそうになったが、実は英語だった・・、なんてことも。イギリス人の上司のアクセントも半年くらいは慣れなくて、結構適当に「OK」とか言っていた。アメリカ英語だけマスターしても、世界では役に立たないことを痛感。そしてアクセントとがアメリカンでもブリティッシュじゃなくても、世界ではある程度通用することが分った。

②爆弾テロかよ!?事件
これまた2006年から2007年にアサインされていたプロジェクト。インド人は時間に厳しいので、大抵日本時間の12時30分くらいになるとちゃんとメッセンジャーにサインしてくれるのだが、ある日全くインド人がサインインしてこない。何でかなと思ったら、ロンドンの同僚から「ハイデラバードで爆弾テロで、今日はデリバリーセンターに誰も出社しないってさ」と。「ば、爆弾テロ!?」。平和な日本では全く考えられない理由。
世界では日本では考えもしないような出来事が起こる、特に地政学的なリスクについてはちゃんと把握しておく必要があると学んだ。

③同音異語事件
2009年からアサインされているプロジェクトでのこと。フランス人のマネージャーと育児とキャリアの両立について話をした。僕の妻がパートタイムで7時間で毎日働いていると説明したら、向こうは若干不思議そうな顔。その後何だか話がかみ合わない。聞いてみると、フランスではパートタイムというと、フルタイムで働きながら週何日休むとか、年の何日休むとかの契約のことを言うらしい。発音は同じでも、意味が全く違うことがあるケースを想定して、コミュニケーションにおいて意味を確認することの重要性を学んだ。

④フランス人想像以上に休みすぎ!事件
これまた今のプロジェクトでのこと。フランス人はバケーションが長いと聞いていたが、休みは夏休みだけではない。クリスマス、スプリングブレーク。そしてこれから夏休みに突入するため、長い人は1ヶ月も休みを取る。日本人からすれば信じられないが、羨ましすぎる!とりあえずフランス人と働く時は日本人の労働時間の感覚の7割くらいの感覚で臨まないといけないこと、また日本人との間に立つ時はフランス人批判の矢面に立たされることを覚悟しないといけないことを学んだ。

海外のジョブはカルチャーショックがあるから面白いんですけどね(笑)

2010年7月26日月曜日

Concentration

インタビュートレーニングを始めて早いもので1ヶ月くらい経った。本番まで間があきすぎて、明らかにテンションと集中力が低下傾向にある。まずい。ある意味カンフル剤になっていたCBSのアプリケーションも出してしまい、こちらも待ち。吉でも凶でもいいから(いや吉の方がいいに決まっているが)刺激的な瞬間が訪れて欲しいと思う。

テンション上げないと。

2010年7月24日土曜日

セ、セーフ・・・

親切心で奥さんのiPhoneをiOS4.0にアップデートしようとしたら、いきなりクラッシュ!
若干冷や汗かきながら復元方法を調べたらちゃんとバックアップデータが保存されていることが分ったので、「なんだ捨てる神あれば拾う神ありじゃん。アンテナ問題で若干問題視されているAppleの製品品質だけど、ちゃんとバックアップデータは取ってあるじゃん。」と安心したのも、束の間・・。
復元が終わったみたいなので「どれどれ」と奥さんのiPhoneを起動して復元出来ているかなと確認してみた。

おーまいがーっ!

写真が復元されてない。というか、消えてる・・。まずい、絶対にまずい、これは怒られるどころの騒ぎじゃない!と慌てふためいてGoogle先生で「iPhone 写真 バックアップ」で検索してみた。

そしたらあるじゃないか、写真をバックアップファイルから復元する方法が。
このツールを使ったら出来た・・。

よかった。これで安心して寝られる・・。

不確実性 ー Uncertainty

バドミントンというのは不確実性のスポーツだと思う。16枚の水鳥の羽で作られたシャトルコックの軌道は、気温・湿度・風力・風向きによってまるで生き物のように変化する。そんな不確実性と仲良くなれるかが、このスポーツを極めることが出来るかどうかを分けるんじゃないかなと思う。

ま、自分はそんな不確実性と仲良くなる以前にプレーヤーとしては全く素質がなかったのだが(泣)

ということで、ダイナミックなプレーだけでなく、選手達の適応能力にも注目しながらバドミントンを見てはいかがでしょうか。

YONEX OPEN JAPAN 2010は9月21日(火)〜26日(日)東京体育館で開催される。是非足を運んでみてはいかがでしょうか。

2010年7月23日金曜日

Completed the application for Columbia Business School

昨日、Columbia Business Schoolの出願を完了した。元々は6月末に提出する予定だったのが、半月ほど延びてしまった。しかし、結果的には延ばして良かったと思っている。

INSEADの出願から余り間を空けたくなかったし、CBSはRolling Decisionなので出来る限り早く出願したいと本当は思っていた。それにINSEADのエッセーを終わらせた時点で、コアバリューは両校ともに共通点があると思っていたので、そこそこINSEADのエッセーがCBSにも転用は利くだろうと思っていた。だけど、実際はそんなに甘くなかった。

CBSのエッセー課題は5月のGW明け頃に発表されたのだが、数年ぶりにPersonal Essayが出題された。そして、そのPersonal Essayが最も厄介で、仕上げるのに最も時間を使った。それでもなんとか書き上げて、6月末時点ではそれなりに形になったものができあがっていた。でも絞り切れてなかった。CBSのエッセーはINSEADのエッセーよりも沢山の人に見てもらい、これでもいいんじゃない?という人も中にはいた。しかし「まだメッセージとして弱いよね」とか「それって本当はこういうことがCharumanの言いたいことなんじゃないの?」と僕の琴線に触れるようなアドバイスをしてくれる人もいた。本当に有り難かった。次第に「まだまだ昇華の余地はある」と考えるようになった。それに、IB、PEとか戦略コンサルとか華々しいバックグラウンドのアプリカントと差別化する術はまさにこのPersonal Essayだと思っていた。Essayには自分なりの戦略が必要。というのも、Career Goalのエッセーと合わせても高々1000字そこそこで自分を表現しなければならない。出来る限り多くのメッセージを入れたいと思うのがナチュラル。でも、多くを詰め込めば字数は溢れ、字数に収めようとすれば、表層的な文章になってしまい、響かない。言いたいことは入っているのだが、内容が薄い。6月末時点のエッセーは端的に言えばそんな感じだっただろう。

そのうち、焦って中途半端なエッセーを出すよりも、時間をかけて完成度の高いエッセーを出した方がいいだろう思うようになった。Edも僕の考えに賛同してくれた。そこから7月半ばまでの2週間で一気にブレークスルーが来た。「僕ってどんな人間?」というざっくり質問に真摯に回答してくれた母、妹、そして妻と娘(娘にはお風呂で相談したけど)、エッセーカウンセラーのEd、CBSの現役学生のMさん、今同じプロジェクトにいるビジネススクール卒業生の先輩達、今度IMDに進学予定の大学の同級生、グローバルトレーニングで知り合った海外オフィスの仲間達など多くの人に見てもらった結果、そのブレークスルーに辿りついたと思う。そして、やりきった感はかなりある。願書作成の過程で相談に乗って頂いたCBSのMさんは、Essayにかなりの時間をかけ、出願プロセスにおいて最も苦労した分、今でもEssayをたまに読み返し、我ながら惚れ惚れすることがあるらしい。個人的には本当にこれ以上できないというところまで煮詰めたと思っているし、合格しようが、不合格だろうが、このPersonal Essayに取り組めたことは自分を見つめなおし、自分のPersonalityやIntegrity、Core Valueを確認する上で本当にいい経験だったと思う。

自分の夢を実現するためにも、そして助けてくれた多くの人に報いるためにも何としてもInterviewに呼ばれ、合格したい。まず最初の結果、Interview Invitationを待ちたいと思う。

2010年7月19日月曜日

猛暑

あづい。今日は暑くて溶けるかと思った。

僕を置いて軽井沢にバカンスに出かけた妻と娘を東京駅まで迎えに行った。なんて健気な父親なんでしょう。というのはさておき、帰りの武蔵小杉駅は鬼門だった。東京駅から横須賀線に乗り、武蔵小杉経由で日吉に向かったが横須賀線のホームから東急線に近い改札まで500メートルくらいある。さながら灼熱回廊。日吉駅に着いてからタリーズに直行。家族でスワークルとジュースをがぶ飲み。汗でひからびた体に染み入って最高だった。

去年の今頃はChicagoにいたんだよな。トレーニングも楽しかったけど、Chicago UniversityとNorthwestern Universityにキャンパス見学に行ったり、同期とDowntown巡りしたりと夏休みを満喫した。今年は諸事情あり、夏にどこかに出かけることはなさそう。受験もあるしね。来年こそは遊びに行くぞ。

2010年7月18日日曜日

赤信号みんなで渡れば怖くない!?

最近、ITニュースを騒がせていたiPhone4の受信状況に関する問題が終息を見せた。クパチーノのApple本社でJobsが釈明会見を実施。"We are not perfect. Phones aren't perfect"で始まる会見はなかなか面白い会見だった。そもそもiPhone4の問題が取りざたされていたはずなのに、BlackBerry、Droid、Windows Mobileなど競合スマートフォンでも同じ問題があると指摘して、まるで「赤信号みんなで渡れば怖くない」的な感じで、論点がすり替わってる(笑
とはいえ、そんな主張だけで乗り切れるわけはなく、アンテナ受信状況を正確に表示するiOS4.01をリリースし、絶縁体として作用するバンパーをiPhone4の購入者全員に無償配布するらしい。バンパーのコストってどれくらいなんだろう。100円だとしても3億だよな。それは大したことないとしても、それに対応するスタッフの人件費とかも乗ってくるから、それなりの代償だね。
ソフトウェアもそうだけど、問題が発覚されるのは、実際にサービスやプロダクトが世の中で使われるようになってから。こないだのトヨタ自動車のリコール問題も、製品を市場に出すということがいかに神経を使うことかということを教えてくれた。ナイスなプロダクトデザインと機能のトレードオフはよく言われたことだけど、ある程度問題が発生することを織り込んで、アフターマーケットでのサポートや問題に対するクイックかつ誠実な対応ができるようにしなければいけない。プロダクトを作り上げるだけで満足してはいけないね。
でも個人的には今回のケースは結構ラッキーな方だと思う。というのも、バンパーで乗り切れるというのは、そもそもバンパーは絶縁目的ではなく、ファッションとして導入予定だったから、デザインが著しく損なわれるわけでもない。自動車のリコールのように全て回収しなければならないような深刻な事態には至らなかったわけだし。いずれにせよ、今回の件でAppleのブランドに傷がつくわけじゃないんだろうな。ということで、問題が発生しても乗り切れるだけの顧客ロイヤリティを作るというのも非常に大事だわ。もちろん、繰り返したらファンは離れていくけどね。

2010年7月13日火曜日

ユニクロ+グラミン

ユニクロがバングラデシュにてグラミン銀行と合弁会社を設立し、衣料品の企画・製造・販売を手掛けるソーシャルビジネスを立ち上げると発表した。グラミン銀行は企業と合弁でビジネスを立ち上げることに非常に積極的。これまでもフランスのダノンとグラミン・ダノンを、スウェーデンの通信キャリア・テレノールとグラミン・フォン、グラミン・テレコムなどを立ち上げ成功を収めている。
ただ、今回のユニクロとの合弁は何となく意味合いが違うように感じる。その理由は2つある。
1つ目はこれまでグラミン銀行が企業と組んできた事業は明らかにバングラデシュ国内に存在しなかった事業であり、社会問題に対するインパクトが大きかった。ダノンとのジョイントベンチャーでは、バングラデシュ国内の子供たちの深刻な栄養不足を解消するためにシャクティという栄養価の高い、かつ安価なドリンクを開発し、栄養改善と雇用創出という効果をもたらした。グラミンフォンでの取り組みも、農村部に情報インフラを敷衍しただけでなく、電話の管理者という雇用を創出し、大きなインパクト与えた。しかし、衣服というのはどうなのか。社会問題化しているのか。ファクトを調べたわけではないから何とも言えないけど、今まで見てきたインパクトに比べると大分弱いような気がする。
2つ目はバングラデシュの文化保護という観点に資するのかということ。グラミン銀行総裁のムハマド・ユヌスはいつもサロワカ・ミューズというバングラデシュの民族衣装をまとっている。それは彼のバングラデシュの文化に対する思いである、と彼の本で読んだことがある。ユニクロは、サロワカ・ミューズを製造、販売するのか?そんなことはないと思う。きっとカジュアルな服が巷にあふれるのだろう。でもそれでいいのか?そんなことムハマド・ユヌスがOKするのか?とも思う。ということで、今後どういう展開をしていくのかは気になるところ。
僕的には柳井さんとムハマド・ユヌス氏協同でバングラデシュの起業家支援のためのインキュベーション事業だったり、ベンチャーキャピタル事業を立ち上げてもらいたかったな。柳井さんは起業家育成に大変熱心な方だと思うし。

来たーっ!!!

今日遂にINSEADから待ち焦がれていたInterview Invitationが来た!

インタビューの練習が無駄にならなくてよかった。。

2010年7月10日土曜日

What is "Leadership"?

ビジネススクールの受験を志し、というよりも、エッセーに本格的に着手した3月頃からだろうか、Leadershipって何だろうと考えるようになった。大抵どのビジネススクールもリーダーシップ教育に力を入れているという。でも決してリーダーシップが何なのかについては明確に触れていない。

「積極性?」
「組織を率いる能力のこと?」

などなど色々な解釈が出来ると思う。なので、定義については人それぞれではあると思うが、僕なりに色々と考えた結果1つの解に辿りついた。リーダーシップとは、「組織の方向性に関する意思決定を下し、組織を導くこと」である、と。よってもって、7年間の経験から白黒はっきりつくような状況というのはかなり稀。複数の選択肢があり、甲乙つけがたい状況でも、「こっち!」と果断に決断しなければならない。こういう大体曖昧模糊とした状況で進むべき方向や次のアクションをその場その場で決めていく能力がリーダーシップなんだと思う。
だから「この人凄い!」と思った先輩たちは判断能力に優れ、進むべき方向性があり、その方向性に基づいて曖昧な状況でも意思決定出来る人たちだった。大体そういう人たちについて行くと、道中辛いかもしれないが、最終的にはちゃんとゴールに辿りついていた。だから僕の中でのリーダーは僕が尊敬する先輩たちのように意思決定ができる人たち。勿論、人間力が高いにこしたことはないが、優柔不断な人間はリーダーとしては適任ではない。

こんなことを考え始めてからか、社内の人間を見る時はこれまでとは違う見方をするようになった。それに社内の組織のこともよく考えるようになった気がする。そんな中でいくつか課題も見えてきたから、受験勉強というのは合否に関わらず貴重な経験なんだと思う。

ちなみに、WoodenというUCLAの伝説的なバスケットボールコーチが定義したリーダーシップの素質はこんな感じ。必要な要素としては確かにという感じ。

2010年7月4日日曜日

考えることと喋ることは違う

今日のミーティングからEdとインタビュートレーニングを開始した。相変わらずINSEADからインタビューのインビテーションは届いていないが、インタビュー通知のデッドライン近辺に一斉配信されるという噂を信じて。今日はWhy MBA?Why INSEAD?等の基本的な質問を中心に練習をした。事前にスクリプトを作っていたのだが、全てを覚え切れているわけではなくFluencyにはまだまだトレーニングが必要であり、またExtemporaneousな質問に対してはどうしても抽象的な言葉が出てしまうので、具体的でいて簡潔に話が出来るように準備しないといけないという指摘あり。戦略的に抽象的な言葉を言って、敢えて突っ込みどろこを作っておき、おびき寄せて用意した説明を言うなどのテクニックはあるが、そもそも出まかせチックになっている部分は直さないといけないと。

しかし用意したことを話すというのは難しいなぁと思う。英語になると尚更。ダイアログだともっとレスポンシブなので言葉も出てくるのだが、一方的に話すインタビューになると考えていることの70%くらいしか言えなくなってしまう。30分くらい話したが、かなり頭がいっぱいいっぱいになった。本番のもっとプレッシャーのかかる状況を考えると、まだまだ研鑽が必要である。

それにしても今日は脳みそがかなり疲労した。社会人になり立ての頃の方が上司と話す時やお客さんと話す時は今より準備して臨んでいたはずだが、年を取って色々な知識を得るようになってくるとその場の流れでも会話できるようになる。だから、最近こういうトレーニングを怠っていたと反省。留学を置いておいても、なかなかいいトレーニングだと思う。

2010年7月3日土曜日

ピアノ

子供のお稽古に付き添うというのはなかなか新鮮味があっていい。仕事には無い刺激を受けるというのは常にフレッシュでいるためには必要だと思う。子供と過ごす時間も作れて一石二鳥である。是非とも世の中の仕事で忙しいお父様方は土日に公園やお出かけに行くのではなく、お稽古ごとに付き合ってみるといいと思う。

6月から7月上旬にかけて妻は土曜日に大学の授業があるため羽紗の隔週のピアノのレッスンには僕が付き添いをしている。羽紗は2歳からピアノのレッスンを始めたが、最初は大変だった。2歳児に30分間ピアノの前に座っていなさいというだけでもエラい大変で、すぐに集中力が切れるのでレッスンもままならない状況が・・。最近、ようやくようやく徐々になれてきたみたい。なんと両手で弾く練習を始めている(と言っても左手はずっと「ソ」だけど)、けどまだ完ぺきではない。だからレッスン中にじっとしてられなくなると、先生からいきなり「パパも一緒に弾いて!」というコールドコールを貰うことがあり、まさか小学生の時にピアノやってましたとは言えないお粗末な音楽センスを披露しながら連弾したりしている。でもピアノを弾くなんて殆どないことなので、割と楽しい。ピアノの生音から受ける刺激と指を動かすという刺激が心地よいのだ。

こういう休日の過ごし方もありだなと思う。

2010年7月2日金曜日

Jeff

前職を辞めて今の会社に籍を移す前の2ヶ月ばかりアメリカ・イギリス放浪の旅に出かけた。そのうちの1ヶ月くらいはOregonで過ごしたのだが、そこでは楽しかった思い出しかない。


Mt.Hood Meadowsに行ってスノーボードしたり、New Deal政策により建てられたTimberline Lodgeに泊ったり、地元のボーイスカウトの子供たちとスノーシューを履いて雪原を分け入り氷点下十数度という極寒の中でテントと寝袋だけで一夜を過ごしたり、1人で馬に乗って山の中を駆け回ったり、何故か地元の小学生たちの社会化見学を手伝って半導体検査装置について説明したり、Columbia Gorge近くのSkamania Lodgeでゆっくりとコーヒーを飲みながらぬくもりのあるログハウスでボーっとしたり、小学校のLip Sync(口パクの学芸会?)を見に行ったり。


これらは全て、滞在中お世話になったJeffのおかげである。彼は僕にとってアメリカの父親と言っても過言ではなく、僕の中に父親のロールモデルが無い分、その1ヶ月半で目の当たりにした当時14歳の1人息子・Davidに対する彼の接し方というのが、そのまま「父親とはかくあるべし」という価値観のベースになっている。

褒める時は思い切り褒める。
叱る時は思い切り叱る。
何故悪いのかをちゃんと考えさせる。
でもその後はちゃんとフォローする。

Davidのレスリングの試合では、あたかも自分の試合かのように熱くなって応援していたし、Davidが負けても"Good job, David"といって暖かく迎えてあげていた。かと思えば、Davidの学校の帰りに3人で車に乗っていた時に、Davidが反抗的な態度を見せたら、"Get out of the car!!"と言っていきなり急ブレーキを踏み、Davidを車から降ろしてすごい剣幕で歩いて帰れ、と怒っていた。それでも家ではJeffからちゃんと歩み寄り、ちゃんと対話していた。Jeffは厳しいけど、Davidもちゃんと自分の父親のことを尊敬していた。そこには僕が経験したことが無い父親と息子の信頼関係があった。


Davidくらいの年齢の時に父親とのインタラクションが全くなかった自分にとっては、こうやって子供とちゃんと向き合ってくれる父親がいるDavidが本当に羨ましく思えた。また自分が父親になった時はJeffのように子供と向き合える父親になろうと思うようになった。

日本に帰ってきてからも、彼がSEMICON JAPANで日本に来るたびに幕張まで会いに行ったり、出張で日本に来ると言えばホテルまで足を運んでいた。でもある出来事を境に、彼にも奥さんのLoriにも連絡が取れなくなってしまった。僕からメールをするのだけど、全く返信が無い状態がここ2年くらい続いている。本当に切なくなって、FacebookやLinkedinに登録されている彼のページを見て近況を探ったりした。

唐突に何故今日こんなことをBlogに書いているかというと、偶然彼のインタビュー記事を見つけたから。どうやら彼はSemiconductor IndustryからSustainable Energy Industryにキャリアチェンジして、今ではOregonで住宅向けのPV導入ベンチャーでBoard Memberになっているらしい。写真も掲載されており、相変わらずの立派な髭をたくわえていた。

Jeffに会いにOregonに行きたいな。

2010年6月30日水曜日

At the bottom of the pyramid

25日のWall Street JournalにDanoneの新興国戦略に関する記事が掲載されていたので、思うところを1つ。
消費財メーカーの主戦場は先進国から新興国にシフトしつつある。Danoneではすでに新興国売上高が約40%に達している。マイクロファイナンスで2006年ノーベル平和賞を受賞したMuhamad Yunus氏と共同でバングラデシュにてGrameen Danoneという合弁を立ち上げ、僅か5セントのヨーグルトを開発・販売するなどDanoneは特に新興国の開拓に熱心な企業だと思う。新興国市場が魅力的なのは間違いないが、先進国に比べればリスクは当然のことながら高いし、先進国での戦い方から大きな転換が求められる。まず、新興国市場は分散しており、資源を一斉に投下できない。そのため、生産・物流などにおいてスケールメリットを享受するのが難しい。また流通チャネルが整備されておらず、パパママストアが未だに小売チャネルで圧倒的な割合を占めるため店頭での消費者接点を確保するだけでもかなりハードルが高い。その上、まだまだ所得水準は先進国の水準には到底及ばないのでその所得水準にあったプロダクトを開発する必要がある。この表を見てもらっても分るように、Danoneではわずか10セントを切るような商品をその国の消費者の経済力に合わせて開発・販売している。成長性にかけ投資を継続できるだけの資金力や先進国での安定的な収益源が無ければ、BOP市場で戦い続けるのは難しいのではないかと思う。日本メーカーはそもそも海外売上高比率が低く、日本市場依存度が高い。でもその日本市場は人口減に伴いシュリンクしていく一方。新興国で戦えるだけの体力を維持するためにも、ピラミッドの頂点で勝ち続けなければ。ヨーロッパ、アメリカ市場など成長は鈍化していてもある程度日本とマーケットストラクチャーが似ているエリアでビジネスを伸ばしておかないと厳しいなぁと思った。

2010年6月26日土曜日

インドネシアオープンなう

インドネシアオープンで日本勢が健闘中。サッカーW杯で検討するサッカー日本代表にも負けてませんよ(笑)

男子シングルスQFでは第1シードのKoo/Tanをトナミの平田/橋本組がファイナルの末撃破!このマレーシアペアは結構日本ペアを苦手としているのかも。過去にも坂本/池田、数野/早川組に敗れている。マレーシアはト杯でも日本に負けているし、そろそろRexyさんも立場危ういんじゃないだろうか、と思うのは僕だけだろうか。平田/橋本組は惜しくもSFで負けてしまったけど、大健闘。
男子シングルスでは田児くんがLee Chong Weiをファイナルまで追い込んだ。ただ、スコアを見る限り取られたゲームは結構ワンサイドゲームだったみたい。Lee Chong Wei強い。
そして女子シングルスでは日体大の佐藤が決勝進出!つ、つよい・・。決勝はインドのSaina。この選手も若手ホープだけど、大分曲者なんだよな・・。

そういや、インドネシアオープンのレセプションの記事がBadzineに掲載されていたが、これかなりいい趣向じゃないか(平山の化粧が濃い目に見えるけど、まあいいか)。

YOJでも選手に和装させて登場してもらうと楽しいんじゃないかね。

Bagus!

2010年6月25日金曜日

やきもき

INSEADにアプリケーションを提出してから2週間以上が経過した。インタビューインビテーションを待つやきもきした状態が続いている。果報は寝て待て、か。

そうは言うけど、ああ待ち遠しい。

朝目覚めたら

今日は朝から刺激が強かった。朝目覚めて日本対デンマーク戦の結果を見たら、何と3-1で日本が勝利しているじゃないか。最初は目を疑った。まさか3-1だなんて考えてもいなかったから。しかもどのゴールも素晴らしすぎる。本田のゴールも凄いけど、遠藤のフリーキックなんて素人目に見ても明らかにパーフェクト。そして岡崎の3点目をアシストした本田のターン。完全に相手ディフェンダーを翻弄していた。

直前までベスト4なんて到底無理と言われ、親善試合でも勝てない日が続き、ボロボロだった日本代表とは思えない。サッカーやラグビーの様に10人以上がピッチに立ち意思疎通を図らなければならないチームスポーツは立て直しが難しいものだと思い込んでいたけど、そんなこともないみたい。

チームワークって短期間でも修復できるんだな。

2010年6月20日日曜日

Wording

かれこれエッセイを書きだしてから、2ヶ月くらいが経つ。かなりの分量を書きまくったので、大分欧米式のスタイルになれてきた。でも1つなかなかNon-Nativeにはハードルが高いなと思うことがある。

それはWording、つまり言葉の選択である。

例えば、エッセーやレジュメに"Collaborate"と何も考えずに書いたとしよう。するとそこが突っ込みどころとなる。つまり、何故"Collaborate"を選んだのかということ。協力して何かを進めるということであれば、"Cooperate"でもいいし、"Work together"でもいい。
または、"International"と書いたとしよう。"International"とはどういうことか?"Global"と違うのか?そもそもあたなにとっての"International"の定義は何なのか?
ビジネススクールにお決まりの"Leadership"という言葉を使ったとしよう。"Taking an initiative"とかニュアンスは同じ言葉は沢山ある。何故"Leadership"なのか?そもそもあなたにとってLeadershipとはどういう意味か?

自分が表現したい行動や事象と英単語の語源や読み手にどう解釈されるかということをマッチさせるのは非常に難しい。そもそもそんなボキャブラリーが豊富な訳じゃないし、第一単語を知っていてもニュアンスの微妙な違いなんて知る由もない。勿論、日本語でも具体的に言葉の意味を説明できるくらい自分なりの定義を持っているべきだが、そこからさらに適切な言葉を選ぶという時点でもう一段のハードルがある。

逆にボトムアップで、帰納的に物事を表現したい時も言葉の選択は難しい。エッセーは500Wordsとか750Wordsとか文字数制限がある世界で勝負しなければならない。Narrativeにだらだらと伝えたいことを書いていくと、あっという間に文字数をオーバーする。だから、伝えたいことは簡潔かつ明瞭に伝え、それでいて読み手が書き手の僕らの期待通りの解釈をしてくれるような叙述にしないといけない。要するにチャンクアップするのである。動詞1つで複数の行動を表す、形容詞1つで複数の事象を表すとぐっとエッセーが引き締まる。ただ、ここでもどの言葉を使うのか、何故使うのかというのは相当に吟味しないといけない。この言葉の選択を1つ誤ると、アドミッションに与える印象は格段に変わってくるのである。

逆にこれらをちゃんと準備すれば、インタビューで突っ込まれても十分に対応できるようになるはず。あえて突っ込みどころであるかのように、CollaborateとかLeadershipという言葉を用意しておけば、"What do you mean by 'Collaborate'?"と言われても"For me to collaboration is to・・・"という形で2Wayコミュニケーションが出来る。でも、逆はご想像通りである。Irrelevantな印象を与えて完全にマイナスポイントだ。

日本語でもどの言葉を使うのかは大事だけど、日常会話を超えて他言語に踏み込んでいくというのはなかなか奥が深いものである。