Mt.Hood Meadowsに行ってスノーボードしたり、New Deal政策により建てられたTimberline Lodgeに泊ったり、地元のボーイスカウトの子供たちとスノーシューを履いて雪原を分け入り氷点下十数度という極寒の中でテントと寝袋だけで一夜を過ごしたり、1人で馬に乗って山の中を駆け回ったり、何故か地元の小学生たちの社会化見学を手伝って半導体検査装置について説明したり、Columbia Gorge近くのSkamania Lodgeでゆっくりとコーヒーを飲みながらぬくもりのあるログハウスでボーっとしたり、小学校のLip Sync(口パクの学芸会?)を見に行ったり。
これらは全て、滞在中お世話になったJeffのおかげである。彼は僕にとってアメリカの父親と言っても過言ではなく、僕の中に父親のロールモデルが無い分、その1ヶ月半で目の当たりにした当時14歳の1人息子・Davidに対する彼の接し方というのが、そのまま「父親とはかくあるべし」という価値観のベースになっている。
褒める時は思い切り褒める。
叱る時は思い切り叱る。
何故悪いのかをちゃんと考えさせる。
でもその後はちゃんとフォローする。
Davidのレスリングの試合では、あたかも自分の試合かのように熱くなって応援していたし、Davidが負けても"Good job, David"といって暖かく迎えてあげていた。かと思えば、Davidの学校の帰りに3人で車に乗っていた時に、Davidが反抗的な態度を見せたら、"Get out of the car!!"と言っていきなり急ブレーキを踏み、Davidを車から降ろしてすごい剣幕で歩いて帰れ、と怒っていた。それでも家ではJeffからちゃんと歩み寄り、ちゃんと対話していた。Jeffは厳しいけど、Davidもちゃんと自分の父親のことを尊敬していた。そこには僕が経験したことが無い父親と息子の信頼関係があった。
Davidくらいの年齢の時に父親とのインタラクションが全くなかった自分にとっては、こうやって子供とちゃんと向き合ってくれる父親がいるDavidが本当に羨ましく思えた。また自分が父親になった時はJeffのように子供と向き合える父親になろうと思うようになった。
Davidくらいの年齢の時に父親とのインタラクションが全くなかった自分にとっては、こうやって子供とちゃんと向き合ってくれる父親がいるDavidが本当に羨ましく思えた。また自分が父親になった時はJeffのように子供と向き合える父親になろうと思うようになった。
日本に帰ってきてからも、彼がSEMICON JAPANで日本に来るたびに幕張まで会いに行ったり、出張で日本に来ると言えばホテルまで足を運んでいた。でもある出来事を境に、彼にも奥さんのLoriにも連絡が取れなくなってしまった。僕からメールをするのだけど、全く返信が無い状態がここ2年くらい続いている。本当に切なくなって、FacebookやLinkedinに登録されている彼のページを見て近況を探ったりした。
唐突に何故今日こんなことをBlogに書いているかというと、偶然彼のインタビュー記事を見つけたから。どうやら彼はSemiconductor IndustryからSustainable Energy Industryにキャリアチェンジして、今ではOregonで住宅向けのPV導入ベンチャーでBoard Memberになっているらしい。写真も掲載されており、相変わらずの立派な髭をたくわえていた。
Jeffに会いにOregonに行きたいな。
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