
卒園式は先生たちが準備を頑張って下さり(飾り付けは何と当日の午前1時までやっていたらしい)、心温まる手作り感いっぱいのすばらしい式だった。
いまの担任の先生は入園した年から2年間担任として持って下さった先生で僕ら親にとっては非常に頼り強い先生だった。でもそんないつも気丈そうな先生だったも、こみ上げるものが抑えられなかったようで泣いていた。パートナーだったもう1人の担任の先生が出産のために年初で抜けるという状況でプレッシャーと不安を非常に感じていたらしい。子供たちが無事に卒園してほっとしたんだと思う。子供の日やハロウィンなどのイベントの時には羽紗の写真入りのかわいいカードをいただいていたが、どれも手の込んだものだった。今回も10数ページもあるメッセージが沢山入った素晴らしいアルバムを頂いた。これを子供達15人分用意するのは並大抵の労力ではない。きっと卒園式の準備のように遅くまで残って準備してくださったんだと思う。素晴らしい先生だった。
勿論、子供たちの姿に涙していたのは先生だけじゃない。出席している保護者の多くが嗚咽していた。式の間おとなしく席に座って、修了証書も自分で取りにいき、別れの言葉を大きな声で元気よく復唱しているなんて、預け始めた時は誰もが想像もしなかったこと。また、押さない子供を保育園に預けることに関して複雑な思いを抱いていた人も多かったんだと思う。保護者からの挨拶で「『(そんな小さい子供を預けるだなんて)ひどい親だ』と言われて、辛かった。」と話している親もいた。

保育園に預けること自体がいいのかも、妻と2人で色々と考えた。熱性痙攣を頻繁に起こし、さらに無熱性痙攣を起こして、てんかんの診断を受けた時は、夫婦共働きして、羽紗にストレスを与えて、このままでいいのか?と何度も議論したし、自問自答した。保育園から熱があると連絡があれば、すぐに痙攣止めの座薬を入れてもらわなければならず、「(痙攣)起きないでくれ」といつも祈る思いだった。保育園の帰りに痙攣を起こすこともあり、職場から病院に駆けつけることもしばしばだった。ある時は妻にも連絡が取れず、搬送先が分からず、区役所に電話したり、救急センターに電話したりと搬送先を割り出すのに必死になった時もあった。幸い、抗てんかん剤の服薬を始めてからの羽紗は痙攣を1度も起こしていないので、今は落ち着いているが、心配が完全にぬぐえたわけじゃない。
耐えかねて、何度も何度も、「もう共働きは止めよう!」って言ってみた。「私が仕事を続けるのはあなたが留学したいって言うからよ。」と言われて、「じゃあ留学なんて諦めるよ!」と何度この議論を繰り返したことか。 その度に「何だ、その程度のことだったの?その程度で諦めるの?大したことなかったのね。それで今まで振り回して最低ね。」と。明らかに妻の方が1枚も2枚も上手だった。さらに、彼女には何度も優先順位の重要さと時間の配分に関する貴重なアドバイスを何度も貰った。午前2時、3時頃に家に帰ることが多かった時は、我が家は僕と妻のパートナーシップで成り立っていることを何度も諭された。僕が倒れれば家のことは妻1人で見なければならないし、僕が疲れたと言って洗濯だったりの日課を怠れば、妻にしわ寄せが来る。しわ寄せを吸収できるような余裕は我が家には無いし、僕も妻も自分の責任はちゃんと果たさなければならない。過労で倒れるなど言語道断。倒れたら誰が我が家を経済的に支えるのか?親としての責任について、保育園に通いだしてからの方が深く考えたような気がする。勿論、金田正一のように物凄い成績を長い間続けるような天才的な人間なビジネスの世界にもいる。少なくとも僕の周りにはいる。でも、どちらかというと、鉄人・衣笠やリプケンのように地味だけど長くキャリアを続ける選手になるのかというのは考えないといけないなと。そもそも一花咲かせるだけの才能なんて僕にはないし、これまでもどっちかというとコツコツやってきたタイプ。勿論前者には憧れるし、そうなりたいなと思った時もあった(なれるなら今でもなりたい)。でも、7年間社会人をやってきて気づいたんだけど、後者にしかなれない気がしている。2005年に十二指腸潰瘍でぶっ倒れた時に、周りからどう思われるかは分からないけど、長く続けられるように体を気遣おうと決意したはずなのにどこかで忘れてしまったみたい。なので妻に色々と言われてしまったが、もう一度この点を忘れずに仕事に取り組もうと思う。
4月から新しい保育園に通い始めるだけで、卒園したとは言っても今の状況が大きく変化するわけではない。それでもやっぱり振り返ると色々とあったし、親としても勉強させてもらったと思うので、この卒園というのは1つの区切りとして僕ら家族にとってはとても大きなアチーブメントだと思う。これは、親のわがままにも応えてくれ、毎朝元気に保育園に通ってくれた羽紗と、「行ってきなさいよ」とフランス出張に快く送り出してくれ、家のことを引き受けてくれた妻の協力がなければなしえなかった。本当に感謝の気持ちで一杯だ。
卒園おめでとう、羽紗。
0 件のコメント:
コメントを投稿