ここ最近フランス人と密に仕事をしてみて日本的なやり方は全く通用しないと学んだ。
・トップダウンで仕事丸投げとかしても絶対に跳ね返される。それがたとえ自分より下のクラスの人間でも。
・親の背中を見て子は育つ的なアプローチは無駄。自分がどんなに深夜遅くまでやっても「頑張るね」と憐れみの目で見られるだけ。 情を買うことは出来ない。
・あんまり介入しすぎると無視されるか、怒られる。そして何故か「信頼して」と言われる。
・逆に介入しないと、連絡が来ない。それで信頼が出来るかい!
学びが多いぞ、この仕事。 でも、辛いわ・・。
(勿論サンプル数は少ないので、これが全体に言えることではないのは承知してるけどね。)
2010年3月30日火曜日
2010年3月29日月曜日
いつもの賑やかな(?)毎朝がスタート

実は帰りの飛行機で激しい嘔吐に襲われるという悲劇があり、飛行機の中では殆ど一睡も出来ずに、帰国した土曜日・日曜日は体調は最低だった。とはいえ、出張前に「帰国したら翌日の日曜日は羽紗を見るから」と出張中の埋め合わせに、大学に提出レポートに取り組む妻の時間を確保することを約束して飛びだった手前、なかなか妻に「やっぱり無理」とは言えず、うやむやにしながら日曜日は羽紗を見ていた。ただ、まともに約束は守れず、結局妻の時間も殆ど作れずに終わってしまった。素直に自分の状況を認めて、怒られるのは覚悟でお願いしておけば、もっと怒られることもないのだが、仕事と同じでこういうことをなかなか人に言えない性格は私生活でも何とかしないといけないと思う。また、この点について小言を言われ、無駄な抵抗をしてみるところももっと素直にならんといけないと思う。妻には申し訳ないことをした。どこかで取り返さなければ、と強く思う。
羽紗は相変わらず嫌々が激しい。体調が余りすぐれなかったからか、朝はあまり余裕がなく、語気が強くなってしまった。親から離れるのは羽紗だってつらいはずで、その気持ちを汲んでやらねばと思う。でもやはり自分は精神的キャパシティが小さい人間だから、自分に余裕が出ないとなかなか羽紗の気持ちも汲んであげられないのではないか、と思う。となると、今の仕事はやはりあっているのだろうか、、とますます一層その疑問に捕らわれる。難しい。
2010年3月26日金曜日
モラトリアム
3月27日は僕の誕生日。でもフランスと日本は時差が8時間。つまり、日本にいれば既に29歳になってから5時間経っているところが、フランスにいる限りまだ3時間も28歳でいられる(すいません無理やりな解釈で・・・)!ラッキー♪
いやー、時差って素晴らしい。
んが、待てよ・・。
おーまいがーっ!
日本に帰ると一気に時計が8時間進むから、三十路カウントダウンを8時間も縮めてしまったではないか!悲しい。
さて、日本の羽紗は妻に怒られても甘える先がないので、寂しくしているらしい。そうだろ、やっぱりパパは必要だろ。「パパきらい」とか言った罰だ(笑)
Monoprixでパッケージのデザインを気に入った18色のサインペンとRhodiaっぽいメモ帳をお土産に買ったので、家に帰ったら一緒に絵でも書こうかね。
いやー、時差って素晴らしい。
んが、待てよ・・。
おーまいがーっ!
日本に帰ると一気に時計が8時間進むから、三十路カウントダウンを8時間も縮めてしまったではないか!悲しい。
さて、日本の羽紗は妻に怒られても甘える先がないので、寂しくしているらしい。そうだろ、やっぱりパパは必要だろ。「パパきらい」とか言った罰だ(笑)
Monoprixでパッケージのデザインを気に入った18色のサインペンとRhodiaっぽいメモ帳をお土産に買ったので、家に帰ったら一緒に絵でも書こうかね。
2010年3月25日木曜日
やっぱりお酒は強い方がいいなぁ。
うちの母はかなりお酒が好きで、毎晩晩酌している。しかも好きなだけじゃなくて、かなり強い。かたや、その息子は恥ずかしくなるくらいめっぽう酒に弱い。ビール1杯飲めば顔は真っ赤になり、ビール2杯でベロベロに出来上がることが可能。
勿論、この酒の弱さは武器にもなる。海外で酒を飲むと友達作りには困らない(かなり笑われるのに我慢できれば)。「日の丸レッドだ!」とか言ってごまかしたりすると、爆笑である。その日からかなりフレンドリーになってくれる。でも、正直酒宴の席は辛い。本当に1杯で酔っ払ってしまうから。あまりに酒の強さが遺伝してないので、もしや母の子供ではないからなのでは?と理由をこじつけようとしても、顔がそっくりだから、何だか腹が立つ。とにかく顔は似なくて良かったから、アセトアルデヒド脱水素酵素だけでも遺伝してくれればよかったのに。
昨日はこっちのお客さんとLa Coupoleに夕飯を食べに行ったのだが、自分はビールとワインを1杯ずつ飲んだだけでノックアウトされてしまい、完全に出来上がってしまった。ということで、牡蠣がおいしいお店のはずだったのだけど、殆ど味を覚えていないという残念な結果に。別にお酒は沢山飲みたいとは思わないけど、せめて5杯くらいは酔わずに飲み干せるようになってみたいものである。
勿論、この酒の弱さは武器にもなる。海外で酒を飲むと友達作りには困らない(かなり笑われるのに我慢できれば)。「日の丸レッドだ!」とか言ってごまかしたりすると、爆笑である。その日からかなりフレンドリーになってくれる。でも、正直酒宴の席は辛い。本当に1杯で酔っ払ってしまうから。あまりに酒の強さが遺伝してないので、もしや母の子供ではないからなのでは?と理由をこじつけようとしても、顔がそっくりだから、何だか腹が立つ。とにかく顔は似なくて良かったから、アセトアルデヒド脱水素酵素だけでも遺伝してくれればよかったのに。
昨日はこっちのお客さんとLa Coupoleに夕飯を食べに行ったのだが、自分はビールとワインを1杯ずつ飲んだだけでノックアウトされてしまい、完全に出来上がってしまった。ということで、牡蠣がおいしいお店のはずだったのだけど、殆ど味を覚えていないという残念な結果に。別にお酒は沢山飲みたいとは思わないけど、せめて5杯くらいは酔わずに飲み干せるようになってみたいものである。
英語になると強気になるやつ。
自分で言うのも何だけど、僕は超絶控えめ人間だと思う。割と自分の意見を言うのも苦手だし、相手に合わせることが多い。タイプ診断という心理学をベースにした性格診断でもこの傾向は否定しようが無いほどに現れており以下のような定義の「サポーター」タイプに分類されてしまっている。しかもぶっちぎりで。
◆サポータータイプの特徴 サポーターは、俗にいう「いい人」です。このタイプにとって大事なのはなんといっても人間関係です。「ぎすぎすした関係」は、このタイプが最も避けたいものの一つで、とにかく「和」を構築するように行動します。人の視点に立ってものを見るのが得意で、気配り上手。 人を援助することを好み、協力関係を大事にするタイプです。周囲の人の気持ちに敏感で気配りに長けています。一般に人が好きです。自分自身の感情は抑えがちです。また、人から認めてもらいたいという欲求も強いのが特徴。
いや本当によくもこの仕事が7年間も続けられたもんだと我ながら関心するくらいである(ちなみにこないだ社内でコーチング研修をやった時に参加者皆でタイプ診断をやったら、分析思考のアナライザーが一番多く、その次が天上天下唯我独尊タイプのコントローラーだった)。
でも何故か英語になると性格が結構変わる。英語になるからなのか、フランス人の自己主張が激しいので、負けないように喋りまくろうとするからなのかは定かではないが、結構強気に話すし、何故か英語だと日本語ではなかなか言い出しにくいことも切り出せたりする。何でだろうと色々と考えるのだけど、そもそも英語だと間違って当然と思っているので、思い切れるという部分もあるのかもしれない。なので、仕事以外でも、父と会って話す時は面倒なことになると英語で話したりしている。楽だから。
こういうのって一種の多重人格的傾向なんだろうか。で、そう思ってGoogleで書きのキーワードで検索してみた。
英語 話す 性格 変わる の検索結果 約 1,370,000 件中 1 - 10 件目 (0.43 秒)
すごっ!137万件だってさ。学術的にも研究がされているらしい。なるほどねぇ。
◆サポータータイプの特徴 サポーターは、俗にいう「いい人」です。このタイプにとって大事なのはなんといっても人間関係です。「ぎすぎすした関係」は、このタイプが最も避けたいものの一つで、とにかく「和」を構築するように行動します。人の視点に立ってものを見るのが得意で、気配り上手。 人を援助することを好み、協力関係を大事にするタイプです。周囲の人の気持ちに敏感で気配りに長けています。一般に人が好きです。自分自身の感情は抑えがちです。また、人から認めてもらいたいという欲求も強いのが特徴。
いや本当によくもこの仕事が7年間も続けられたもんだと我ながら関心するくらいである(ちなみにこないだ社内でコーチング研修をやった時に参加者皆でタイプ診断をやったら、分析思考のアナライザーが一番多く、その次が天上天下唯我独尊タイプのコントローラーだった)。
でも何故か英語になると性格が結構変わる。英語になるからなのか、フランス人の自己主張が激しいので、負けないように喋りまくろうとするからなのかは定かではないが、結構強気に話すし、何故か英語だと日本語ではなかなか言い出しにくいことも切り出せたりする。何でだろうと色々と考えるのだけど、そもそも英語だと間違って当然と思っているので、思い切れるという部分もあるのかもしれない。なので、仕事以外でも、父と会って話す時は面倒なことになると英語で話したりしている。楽だから。
こういうのって一種の多重人格的傾向なんだろうか。で、そう思ってGoogleで書きのキーワードで検索してみた。
英語 話す 性格 変わる の検索結果 約 1,370,000 件中 1 - 10 件目 (0.43 秒)
すごっ!137万件だってさ。学術的にも研究がされているらしい。なるほどねぇ。
2010年3月23日火曜日
豊かさって何だろうなぁ。
パリに来てびっくりしたのが、物乞いをする人の多さ。スラブ系と思しきスカーフを頭に巻いたおばさんがわんさか小銭を求めてじっと道端に座っている。皆、コップを片手に、決まってダンボールに「私はX歳で、子供がX人いて」みたいなことが書いてある。道端だけではなく、メトロに乗っていても、物乞いに出くわす。今日はスタバでコーヒーを飲んでいたら10歳かそこらの子供に「小銭くれ」と言われた(勿論丁重にお断りしたのだが)。
方や、パリオフィスの同僚達のクオリティオブライフの高さは本当に羨ましい限りと感じている。これから彼らは長期休暇のシーズンに突入する。殆どの人間は1ヶ月かそこらの休暇を取るのだ。日本では考えられないこと。1日の労働時間も日本に比べると相当に短い。残業だってそんなにしない。「いいなー、フランスはー」と言ったら、「どうせ私達って(日本のチームから)『怠けもの』と思われてるんでしょ?」と。そもそも社会制度自体が異なるのだから、仕方がないのだが、確かに日本人からしてみるとなかなか素直に受け入れにくいことは事実である。それが不評を買っているというのも事実ではある。また最近同僚の1人が妊娠したのだが、フランスでは産前産後は16週間賃金が100%保証されているらしい。日本では産前産後合計8週で確か60%だったような。また定期健診費用も出産費用も健康保険でフルカバーされるらしい。育児休業中の保障については定かではないけど、「日本は育児休業明けに復帰してから半年経過すれば、育児休業中の50%が支払われるよ。」と言ったら「Not that bad」と言っていたので、同じかそれよりちょっと多いくらいなのではと思われる。ということで、圧倒的に妊娠・出産・育児の経済的負担はフランスの方が軽い。街中で見かける光景と同僚の環境のアンバランス間は眩暈がしそうだ。フランスって豊かさの格差が相当激しい国だなぁと。
でも、ジニ係数で比較すると何故か日本とフランスは「0.278」と同じなのである(ルクセンブルク所得研究所によれば)。全くおかしな話だ。僕が見ているサンプルが偏っているのか、統計に何かミスがあるのかどちらかなのだろうけど、とりあえずジニ係数が一緒というのは納得がいかないなぁ・・。
が、日仏の格差というのは、統計にも現れている・・。
日本とフランスは1人あたりGDPはほぼ一緒(フランスが3万4208ドル、日本が3万4115ドル)。
でも年間労働時間が250時間くらい違う(フランスが1533時間で、日本が1785時間。韓国の2316時間という数字を見て、日本の方がまだまし!と思いたくなったが・・)
ということで、フランスの方が15%くらい働いている時間が短いのだ。
なるほど。実感どおりである(笑)
それにしても、これって生産性がフランスの方が約16%くらい高いということになる。
日本人の方が明らかに働いているのに、何か悔しいなぁ。収穫逓減ってことなんだろうか?そうかもしれない。
方や、パリオフィスの同僚達のクオリティオブライフの高さは本当に羨ましい限りと感じている。これから彼らは長期休暇のシーズンに突入する。殆どの人間は1ヶ月かそこらの休暇を取るのだ。日本では考えられないこと。1日の労働時間も日本に比べると相当に短い。残業だってそんなにしない。「いいなー、フランスはー」と言ったら、「どうせ私達って(日本のチームから)『怠けもの』と思われてるんでしょ?」と。そもそも社会制度自体が異なるのだから、仕方がないのだが、確かに日本人からしてみるとなかなか素直に受け入れにくいことは事実である。それが不評を買っているというのも事実ではある。また最近同僚の1人が妊娠したのだが、フランスでは産前産後は16週間賃金が100%保証されているらしい。日本では産前産後合計8週で確か60%だったような。また定期健診費用も出産費用も健康保険でフルカバーされるらしい。育児休業中の保障については定かではないけど、「日本は育児休業明けに復帰してから半年経過すれば、育児休業中の50%が支払われるよ。」と言ったら「Not that bad」と言っていたので、同じかそれよりちょっと多いくらいなのではと思われる。ということで、圧倒的に妊娠・出産・育児の経済的負担はフランスの方が軽い。街中で見かける光景と同僚の環境のアンバランス間は眩暈がしそうだ。フランスって豊かさの格差が相当激しい国だなぁと。
でも、ジニ係数で比較すると何故か日本とフランスは「0.278」と同じなのである(ルクセンブルク所得研究所によれば)。全くおかしな話だ。僕が見ているサンプルが偏っているのか、統計に何かミスがあるのかどちらかなのだろうけど、とりあえずジニ係数が一緒というのは納得がいかないなぁ・・。
が、日仏の格差というのは、統計にも現れている・・。
日本とフランスは1人あたりGDPはほぼ一緒(フランスが3万4208ドル、日本が3万4115ドル)。
でも年間労働時間が250時間くらい違う(フランスが1533時間で、日本が1785時間。韓国の2316時間という数字を見て、日本の方がまだまし!と思いたくなったが・・)
ということで、フランスの方が15%くらい働いている時間が短いのだ。
なるほど。実感どおりである(笑)
それにしても、これって生産性がフランスの方が約16%くらい高いということになる。
日本人の方が明らかに働いているのに、何か悔しいなぁ。収穫逓減ってことなんだろうか?そうかもしれない。
2010年3月20日土曜日
卒園

卒園式は先生たちが準備を頑張って下さり(飾り付けは何と当日の午前1時までやっていたらしい)、心温まる手作り感いっぱいのすばらしい式だった。
いまの担任の先生は入園した年から2年間担任として持って下さった先生で僕ら親にとっては非常に頼り強い先生だった。でもそんないつも気丈そうな先生だったも、こみ上げるものが抑えられなかったようで泣いていた。パートナーだったもう1人の担任の先生が出産のために年初で抜けるという状況でプレッシャーと不安を非常に感じていたらしい。子供たちが無事に卒園してほっとしたんだと思う。子供の日やハロウィンなどのイベントの時には羽紗の写真入りのかわいいカードをいただいていたが、どれも手の込んだものだった。今回も10数ページもあるメッセージが沢山入った素晴らしいアルバムを頂いた。これを子供達15人分用意するのは並大抵の労力ではない。きっと卒園式の準備のように遅くまで残って準備してくださったんだと思う。素晴らしい先生だった。
勿論、子供たちの姿に涙していたのは先生だけじゃない。出席している保護者の多くが嗚咽していた。式の間おとなしく席に座って、修了証書も自分で取りにいき、別れの言葉を大きな声で元気よく復唱しているなんて、預け始めた時は誰もが想像もしなかったこと。また、押さない子供を保育園に預けることに関して複雑な思いを抱いていた人も多かったんだと思う。保護者からの挨拶で「『(そんな小さい子供を預けるだなんて)ひどい親だ』と言われて、辛かった。」と話している親もいた。

保育園に預けること自体がいいのかも、妻と2人で色々と考えた。熱性痙攣を頻繁に起こし、さらに無熱性痙攣を起こして、てんかんの診断を受けた時は、夫婦共働きして、羽紗にストレスを与えて、このままでいいのか?と何度も議論したし、自問自答した。保育園から熱があると連絡があれば、すぐに痙攣止めの座薬を入れてもらわなければならず、「(痙攣)起きないでくれ」といつも祈る思いだった。保育園の帰りに痙攣を起こすこともあり、職場から病院に駆けつけることもしばしばだった。ある時は妻にも連絡が取れず、搬送先が分からず、区役所に電話したり、救急センターに電話したりと搬送先を割り出すのに必死になった時もあった。幸い、抗てんかん剤の服薬を始めてからの羽紗は痙攣を1度も起こしていないので、今は落ち着いているが、心配が完全にぬぐえたわけじゃない。
耐えかねて、何度も何度も、「もう共働きは止めよう!」って言ってみた。「私が仕事を続けるのはあなたが留学したいって言うからよ。」と言われて、「じゃあ留学なんて諦めるよ!」と何度この議論を繰り返したことか。 その度に「何だ、その程度のことだったの?その程度で諦めるの?大したことなかったのね。それで今まで振り回して最低ね。」と。明らかに妻の方が1枚も2枚も上手だった。さらに、彼女には何度も優先順位の重要さと時間の配分に関する貴重なアドバイスを何度も貰った。午前2時、3時頃に家に帰ることが多かった時は、我が家は僕と妻のパートナーシップで成り立っていることを何度も諭された。僕が倒れれば家のことは妻1人で見なければならないし、僕が疲れたと言って洗濯だったりの日課を怠れば、妻にしわ寄せが来る。しわ寄せを吸収できるような余裕は我が家には無いし、僕も妻も自分の責任はちゃんと果たさなければならない。過労で倒れるなど言語道断。倒れたら誰が我が家を経済的に支えるのか?親としての責任について、保育園に通いだしてからの方が深く考えたような気がする。勿論、金田正一のように物凄い成績を長い間続けるような天才的な人間なビジネスの世界にもいる。少なくとも僕の周りにはいる。でも、どちらかというと、鉄人・衣笠やリプケンのように地味だけど長くキャリアを続ける選手になるのかというのは考えないといけないなと。そもそも一花咲かせるだけの才能なんて僕にはないし、これまでもどっちかというとコツコツやってきたタイプ。勿論前者には憧れるし、そうなりたいなと思った時もあった(なれるなら今でもなりたい)。でも、7年間社会人をやってきて気づいたんだけど、後者にしかなれない気がしている。2005年に十二指腸潰瘍でぶっ倒れた時に、周りからどう思われるかは分からないけど、長く続けられるように体を気遣おうと決意したはずなのにどこかで忘れてしまったみたい。なので妻に色々と言われてしまったが、もう一度この点を忘れずに仕事に取り組もうと思う。
4月から新しい保育園に通い始めるだけで、卒園したとは言っても今の状況が大きく変化するわけではない。それでもやっぱり振り返ると色々とあったし、親としても勉強させてもらったと思うので、この卒園というのは1つの区切りとして僕ら家族にとってはとても大きなアチーブメントだと思う。これは、親のわがままにも応えてくれ、毎朝元気に保育園に通ってくれた羽紗と、「行ってきなさいよ」とフランス出張に快く送り出してくれ、家のことを引き受けてくれた妻の協力がなければなしえなかった。本当に感謝の気持ちで一杯だ。
卒園おめでとう、羽紗。
2010年3月18日木曜日
ご飯がおいしい。
のろけでも何でもないのだが、妻が作る料理が最近とにかくおいしい。
知っている人は知っていると思うのだが、とにかく妻は研究熱心なので、はまるととことん突き詰めていくタイプなんだと思う。子供が生まれてからはずっと野菜中心の健康的なメニューのバラエティをどんどん豊富にしていっていたが、最近加速度的に腕があがっているのではないかと思う。料理だけでなく、デザートも手作りしてくれるが、まずいと思ったためしが無い。
キッチンの調理器具もそれなりに充実してきていて、ミキサーだったり、加熱水蒸気付き電子レンジだったりと装備も整ってきているのも1つの理由なのかもしれない。おいしいご飯が食べられるなら少しの投資は全く惜しくない、いや積極的にしたいくらいだ。
平日もお弁当を持って行っているので、そんな料理を楽しめなくもないのだが、やはり土日に食べる彼女の手料理というのは筆舌に尽くしがたいほどおいしいのである。
別に「最近週末料理作らなくなったよねー」ということに対する言い訳ではないのであしからず。。
2010年3月16日火曜日
優先順位を見失っては駄目だ。
愛ちゃんこと福原愛が早稲田大学を中退し、プロ卓球選手として競技に専念するとのこと。残念だなと言う思いと、やっぱりという思いがある。
トップアスリート入試という各競技でもトップレベルの選手だけが合格を許される(年間4、5人くらいしか合格者がいない)入試をパスし、鳴り物入りで3年前に愛ちゃんは早稲田大学に入学した。ただ、入学当初から学業と選手業の両立は難しいのではと個人的には思っていた。そもそも彼女は早稲田に練習環境を求めて来た訳でも、何かを勉強したくて来た訳でもない。選手として、学生という立場に身を置き、自分で自分をコントロールしながら、自立したいという高尚な思いがあった訳でもなさそうだった。入学式後に報道される彼女の姿が耳にピアスで茶髪という姿であったことからも容易に想像できるように、彼女は単純にキャンパスライフを楽しみたかっただけなのではなかろうか。
確かに、幼少時から天才卓球少女としてもてはやされ、その期待に応えるべく血のにじむような努力を続けてきたことを考えれば、「ちょっと休んでみたい」と思うのも分からないでもない。だけど、それならばもう卓球からフェイドアウトするくらいの気持ちでないと、学業との両立は難しい。愛ちゃんが甘かったのは、それでも卓球が捨て切れなかったことだと思う。
早稲田も早稲田でそれくらい見抜けなかったのだろうか。ラグビーや駅伝、サッカーといった競技における母校の躍進は勿論嬉しいものだが、その裏には学業成績を無視したいわばバーゲンセール的なスカウティングによる戦力補強という裏事情がある。インターハイチャンピオンでも評定平均、作文、そして面接の総合評価で判断され、落ちる時は落ちる、というのが早稲田の推薦入試であったはずだ。愛ちゃんにとっては優先度が一番高いのは本来は競技に専念することであっただろうし、そこは敢えて「取らない」という選択肢も大学側にはあったのではなかろうか。
中国に鄧亞萍という女子卓球選手がいた。彼女はオリンピックで4つの金メダルを獲得し、18回世界チャンピオンに輝くという競技者として右に出るものがない成績を収めている。これだけでも圧巻だが、彼女はアフターキャリアでもさらに凄い。引退後は清華大学で学士、イングランドのノッティンガム大学で修士、そしてあのケンブリッジ大学で経済学のPh.Dを取得を目指している。
優先順位を見失わなければ、彼女のようにまずは選手として専念し、それでも勉強したいという気持ちがあれば引退後に学問を極めることも可能だったはずだ。
二兎追うものは一兎も得ずというが、やはり優先順位というのは見失ってはいけない。
2010年3月14日日曜日
電動アシスト自転車の凄さ・武蔵小杉駅オープンの凄さ
昨日、我が家に電動アシスト自転車が届いた。4月から日吉の保育園に通い出すので、当初から送り迎えは自転車にしようと決めていたのだが、我が家と保育園の間にはとてつもない坂があり、アシスト付きにするかしないかが最大の論点だった。というのもアシスト付きは軽く10万円以上するし、最近10万円以上の出費をしていない我が家からしてみると、清水の舞台から飛び降りるような支出になる。なので、僕も妻もびびって、アシスト無しで妥協しようと思ってたのだけど、多くの方からの「アシスト付きじゃないと無理」という暖かいご意見を頂き、家長として僕が意を決してアシスト付きを購入!昭和30年代に「テレビが今日届く」という家族のような気分(だと思う)で自転車を迎えいれた。
おまけで付いてきたヘルメットが羽紗の頭が大きすぎて入らなかったのは誤算だったけど、乗り心地は計算どおりで超快適~。坂道で「ぐっ」とペダルが押される感じがあり、全然力が要らない。素晴らしい。清水から飛び降りてよかった。
話は変わって自転車が届いた土曜日に横須賀線の武蔵小杉駅が「ようやく」開通。マンション作るだけ作って、都心までの輸送能力は全く増強されない甚だ迷惑な状態が続いていたので、これで少しは通勤のラッシュも緩和されるか。そして知らなかったのだが、成田エクスプレスが武蔵小杉に止まるらしい!調べてみたら日吉~成田空港間が1時間半ですよ。かなり革命的。なんか日吉がますます便利になる。土地の値段もあがりそー(全然家買う気ないけどね)。
上には上が。。
土曜日、先日ブログに書いた通り20年ぶりに祖母と再会した。20年の月日ですっかり老けてしまっていたが、当時の面影はあった。ずっと会えなかったが祖母はずっと僕ら兄妹のことは気にしていたらしく、会えてほっとしたらしい。先日倒れて半月ほど入院し、体調もそんなに良くないというのにちらし寿司を用意してくれていた。随分と楽しみにしてくれていたらしい。
祖母と一緒に住んでいる叔父さん・叔母さん一家とも会えた。相変わらず優しい叔父さん、叔母さん。そして2人の従姉妹はもう既に社会人。
元気だった祖父も既に他界していたのだが、お通夜にも告別式にも行けなかったので土曜日に初めてお線香をあげた。民謡の先生をやっていた祖父の部屋には三味線と和太鼓が転がっていた。まともに民謡を教えてもらったことは一度もなかったけど、発表会にはよく行ったのだけは覚えている。病床に伏している時に、僕と妹は元気でやっているかな、と言っていたらしい。何となく「じん」と来た。
たまに会う別れた父は既に再婚し、再婚相手との間に娘がいる。要するに僕と妹にとってみれば「腹違い」の妹。今はハワイに移住していて、滅多に来ないみたいだが、祖母と叔母さん曰く、元気の良い女の子らしい。写真も色々と見せてもらったが我が実妹に顔立ちが似ている・・。半分同じ血が通っているのだから仕方が無い。いつかは会うのだろうか。会いたいと言われれば会ってみたいという気持ちはあるが、まだ中学生だし、再婚相手の気持ちもあるから、当分は実現することはないんだと思うが。
そんなこんなで、会うことがなくなってから、今日までお互いに何があったか。そんなことを皆で話していたらあっという間に5時間くらいが経っていた。20年だ、話すネタには尽きることがない(笑)
それにしても祖母が元気なうちに会うことが出来てよかった。祖父とは直接会えなかったので、こないだ入院したと聞いた時には意地でも会いに行かねばと思っていた。だから、当初は一緒に行く予定だった妹の都合はつかなかったが、1人で会いに行った。今度は妹も連れて行こうと思う。
ただ、僕らの母と結婚し、僕らを養子に取ってくれた父と、連れ子でも孫としてちゃんと扱ってくれた今の祖父・祖母のことを思うと気持ちは正直複雑ではある。だから、今回祖母に会うことは言ってないし、今後も言えないと思う。その分、これまで以上に今の家族とはちゃんと接しないといけない。これまでの愛情に報いないといけないと強く思う。
さて、20年ぶりだ、何て言っていたら上には上がいた。
全英オープンで田児くんが44年ぶりに決勝進出!(44年前に決勝に行ったのは秋山真男さん)
すげぇ。純粋にすげぇ。
かなり調子いいんだと思う。田児くん攻めまくりで、Bao Chunlai上げてばっか。普通こういう展開にならないっすらかね。何せ、相手の方が身長高いし、タッチ早いわ、ショットの角度はあるわで。つまりスピード的には田児くんの方が1.3倍(適当)早く動いているはず。Bao ChunlaiだってLin Danに準々決勝で勝ってるから、調子は悪くなかったはず。そのコンディションは相当のものと思われる。
いや、本当にCoacher's seatsの舛田さん涙ぐんでても不思議じゃないっすよ。本当に凄いもん。
でも、バドミントン愛好者以外にはきっと分からないこの凄さ(悲しい)。
世界選手権が出来るまでは世界一を決めた大会ですからね。
しかも1899年から始まった全英オープンの歴史で記念すべき100回目の超絶メモリアルな今大会でですよ。Smash-netの森田くんとも「これで勝ったら明日は国民の祝日にしちゃおう」と盛り上がっております。
しかし、通訳が西さんだ(笑)
大会運営側もよもや日本人の通訳が必要になると思ってなかったか・・・(笑)
2010年3月10日水曜日
20年ぶりに、、、
やばい、先々週からヘロヘロ状態が続いている。でも、何とか朝食時に「葬式?」って言われないように、会話だけは止めないようにしている。
さて、今週土曜日にはもうかれこれ20年近く会っていない祖母と会う。離婚した父親と再会したのは22歳の時で、あの時は14年くらい会ってなかった。うろ覚えながらもそれなりに顔立ちとかは変わってなかったし、認識できないほどのサプライズはなかった。
今回はそれ以上のブランクがある。
20年前で時計が止まっている。僕の記憶はその時写真で撮ったような状態で、そこから全く進んでいない。祖母と一緒に住んでいる、叔母、そして従姉妹2人とも会うことになっている。たった1日で時計が20年進む、と考えるとドキドキだ。。
やばい、あと3分でテレカンだ・・・。誰か、解放してくれ・・・。
さて、今週土曜日にはもうかれこれ20年近く会っていない祖母と会う。離婚した父親と再会したのは22歳の時で、あの時は14年くらい会ってなかった。うろ覚えながらもそれなりに顔立ちとかは変わってなかったし、認識できないほどのサプライズはなかった。
今回はそれ以上のブランクがある。
20年前で時計が止まっている。僕の記憶はその時写真で撮ったような状態で、そこから全く進んでいない。祖母と一緒に住んでいる、叔母、そして従姉妹2人とも会うことになっている。たった1日で時計が20年進む、と考えるとドキドキだ。。
やばい、あと3分でテレカンだ・・・。誰か、解放してくれ・・・。
2010年3月7日日曜日
僕の仕事

毎朝保育園に通う時、日吉駅の自動販売機を見る度に「あれ、パパの仕事でしょ?」と羽紗に言われる。羽紗の仕事は「アンパンマン」らしいのだが、僕の仕事は自動販売機に隠されているらしい・・。
「羽紗さぁ、最近自動販売機を見るたびに『あれ、パパの仕事でしょ?』って言うんだけど。」と妻に言ったら、「そうね、確かに帰りも自動販売機を見つけると、そう言うわね。」とのこと。
羽紗、、パパの仕事は違うんだよ、、、
でも、3歳に分かる仕事ではないことだけは確かだ、、
難しい。。
そういや、最近、気分転換に絵を描き始めた。妻に教えてもらった「パパ戦記」という、あるイラストレーターさんのブログを見て、触発された。こう見えても私、小学生の時は油絵をたしなんでたので(実家にいくつかその時の作品が残ってるかな)、若干の絵心があり(笑)、羽紗にお願いされるので、アンパンマン書いたり、プリキュア書いたり、動物書いたりとリクエストに答えていた。そんことを続けているうちに、小学生時代のことを思い出し、また書き始めてみようかなと。音楽はまるで駄目なので、そこは妻にお任せだけどね。で、パパ戦記見て、その人のコメントに「本当に毎日ネタにつきない」と言うようなことが書いてあり、「僕もネタならいくらでもあるなぁ」と思って、ちょっと始めてみようかと。毎日は出来ないけど、たまに場面を思い出しながら絵にしてブログにアップしていこうかな。
2010年3月6日土曜日
第2新卒採用セミナーでスピーカー&面接官
昨日は会社の第2新卒採用セミナーで入社体験談のスピーカーをし、そのままマネージャー面接の面接官をやってきた。参加してた人数は大体60人くらいだったかな。書類選考・筆記試験は既に終了した人たちとのこと。先週は殆ど寝れなかったので、本当に、本当に、かなーり眠かったが、スピーカーと面接4人の計5時間頑張った。。
僕も約6年くらい前に今の会社に第2新卒で採用してもらい、入社した。でも、その後実は第2新卒採用は公にはストップしていた。同じく第2新卒として入社した同期は「評判悪かったんじゃね?(笑)」とか言ったりしていたが、実はそんなこと無かったらしい。人事いわく「第2新卒で入社した人たちって結構活躍されてるんですよ。だから第2新卒には期待しているんですけど。」と言っていた。よかった、僕らの評判が悪いわけじゃなくて。
で、初めて採用面接で面接官をやったが、色々と勉強になった。採用する立場から人を見るというのは初めての経験だったから。いやー、大学院の審査官の気持ちが少しは分かったかも(笑)ちゃんと考えて、準備してきた人、そしてこれまで何を考えて、どう行動してきたかというのが、志望動機だったり、職務経歴にちゃんと現れている人というのは、ハードスキルが不十分でも採用したくなる。特に、第2新卒はポテンシャル採用だから、尚更だ。でも、残念だったのは、第2新卒の採用募集が出ていたから応募しましたとでも言えるような衝動的な理由の人が半分くらいいたことだ。「コンサルに興味がありました」と言っているのでで、じゃあ「弊社の社員に話を聞いたりしましたか?」と聞いても、「いえ・・」、とか。「今の会社じゃ・・・が出来ないんです。」と言っている人がいれば、「へー、じゃあそれは今の会社で変えようとしたんですか?提案したんですか?それでも駄目だったんですか?」と聞いてみると、「言っても無駄なので・・。」「いや、言ってません。」「時間が無くて・・」とか。挙句の果てには「やりたいことは特にありません」という挑戦的なことを言う候補者もいた・・。人事よ、ちゃんとスクリーニングしてくれ、、という人もいたりして・・。衝動的に応募したいと思えるくらい、会社としての知名度が高いということなのかもしれないけど、いいことじゃあないよね。火曜日には新卒の面接をやることになっているので、そっちにはもう少し期待したい。
さて、終了後、会場のアカデミーヒルズにマイスター仲間がいるかもしれないと思って探してみたが、いなかった。実は、そのうちの1人に借りている資料があったので、いるなら反そうと思っていたのだけど。もしかしたら席をはずしているだけかもしれないと思って、電話してみた。聞くと、一昨日Harvard Kennedy SchoolのMid careerに出願完了させたとのこと。まだマイスター仲間で合格者が1人(8人中)しか出てないので、合格の報告が届くのを願ってやみません。
2010年3月5日金曜日
コペンハーゲンからの来客
今日はコペンハーゲンオフィス所属で昨年7月のシカゴ研修時に仲良くなったインドネシア人のFennyとその旦那と東京オフィスの仲間2人と一緒にディナーを食べに行った。何故、コペンハーゲンオフィスのFennyが日本にいるのかというと、彼女の旦那であるBrianは物理の研究者で、この3月から兵庫県佐用郡にある理化学研究所のSPring8という研究機関でResident Researcherとして20ヶ月間日本に滞在することになっており、それで一緒についてきたという訳だ。昨年7月の時点では、既にBrianが日本に行くかもしれないということは聞いていた。なので、その時からFennyが日本に来たら絶対にご飯を食べに行こうと約束していたのだ。
食事をしながら色々と話をしたのだけど、いきなりFennyが「Homecountryって言われたら何処って答える?」と質問してきた。何かで聞かれたらしい。「それってコペンハーゲンなんじゃないの?今拠点にしているところでしょ?」と言うと、「いや、説明によると”growing up”したところらしいのよ。」とのこと。
「生まれたということであれば、スマトラで生まれたから答えるのは簡単。でも、”growing up”って言われると難しいわ。だって、その後オランダに移り、そこからデンマークに移ったから、一箇所に絞ることできないから。」と。なるほど。日本で生まれ、日本で育つことが当たり前の日本人にとっては、単純明快な質問も、彼女のように複数の国で育ったバックグラウンドを持つ人間にとっては全く困った質問になってしまう。将来的に人の移動がもっと加速していけば、Homecountryなんていう概念、少なくとも”growing up”した場所という定義は全く意味をなさなくなるかもしれない。Fennyの旦那・Brianも生まれはオランダだが、デンマークを拠点としている。これから日本で生活する、デンマークを拠点としているオランダ人のBrianと、インドネシアで生まれオランダの大学を卒業し、デンマークのコンサルティング会社で働くインドネシア人のFenny。ややこしいが、そんな彼らだから、日本で生活することに対してはあまり抵抗がないらしい。特にFennyは日本語を学ぼうとその学習意欲はかなり旺盛で貪欲。殆どオランダ語がしゃべれない状況でオランダに移り住み、生き残ってきた彼女にとってみれば日本での生活もそんなにチャレンジングには感じられないのかもしれない。
さて、話はFennyの旦那のBrianに移る。Brianに「何か今回の駐在はミッションがあるの?」と聞いてみたら、SPring8で行われている様々な研究のサポートが彼のミッションらしい。SPring8はX線を人工的に発生させるための巨大施設で、Google Earthで検索したら円形の建物の輪郭がはっきりと見えた。彼曰く、日本政府が科学研究に対する投資が大きくて研究者にとって日本は素晴らしい国なんだと。ヨーロッパでもハドロン衝突型加速器やSPring8の様に人工的にX線を発生させる研究施設の建設計画はあるが、日本のように単独政府による投資で実現されるケースはレアで、殆どが複数国による共同出資らしい。日本がそこまで科学技術研究に投資をしているとは 思ったこともなかったから、これには結構驚いた。へー、という感じだった。「そんな感覚、日本人はあまり持っていないと思うよ。」と言うと、Brianは「政府からのコミュニケーションの問題なんじゃないかなぁ。」とのこと。日本は研究開発を重んじて、投資を積極的にする国で、研究者にとっては恵まれた国なのだということをアピールできれば、これから研究者を目指そうとする若者にとっても夢がある話だし、モチベーションになるのかも。分からないけど・・。
OECDの”OECD Factbook 2009: Economic, Environmental and Social Statistics”によれば、2007年時点の日本のR&D投資対GDP比率はSweden(約3.7%)、Finland(約3.5%)に次いで第3位(約3.4%)。3%を超えているのは第4位の韓国までなので、日本はかなり高い水準。R&D投資の絶対額で見ても、アメリカ(27兆円)日本は16兆円ものお金を研究開発に投資している。
でも、これだけのお金を投資しておきながら、日本はIMDの世界競争力ランキングで17位とトップ10にすらひっかからないのは何故か。。職人気質な日本人だから、応用することを知らない?そもそも目的意識がなくてお金だけばら撒いて、実を結んでいない?・・・なんてことが色々と思い浮かんだ。とにかく勿体無い。
ということで、今日の夜は再会も嬉しかったのだが、Brian・Fennyから色々と学ばせてもらい、考えるきっかけをもらった。
2010年3月2日火曜日
抗てんかん剤安定
横浜労災病院に羽紗の血液検査に行ってきた。前日(というか当日)寝たのが4時くらいで、ここのところ睡眠時間が短くてヘロヘロ気味のところ体に鞭打って羽紗をお昼過ぎに保育園でピックアップして向かった。
横浜労災は1歳になりたての頃に熱性痙攣で入院し、それ以後熱性痙攣を起こすたびに労災病院のお世話になり、2歳の時にも入院している(GMAT試験の直前で病院でGMATを勉強した)。小児神経科の先生にかかるようになってからは、脳波検査で半年に1回くらいは訪れているので、かなり常連になっている。なので、羽紗は労災病院に近づくと何かされるのではないかと警戒しているのが明らかに分かる。かわいそうだが、親の役目だからこちらもどうしようもない。前回は血液検査が初だったけど、そこから学習しているらしく、小児科外来の待合スペースで既に警戒モード。名前を呼ばれて診察室に近づくと、注射を見ていないのに泣き出してしまった。前回は最悪なことに研修医の先生の採血が下手でかなり時間がかかったしまった。今回の女の先生はとても上手で、割とあっさり終わった。羽紗は号泣していたけど、前回のような可哀そうなことをしなくて済んだのはよかった。
さて、検査結果。前回の血液検査では正常値50-100のレンジのところ、30台と低かったため、朝夕のバルプロ酸の量を3mlに上げた。その効果で、今回は70台半ばと正常レンジ内に収まり、安定しているので薬の量は変えずに3mlで治療を進めるとのこと。ここから3年間、発作が1回も起こらなければ抗てんかん剤の服用を止め、さらに2年間発作が起こらなければ初めて治療完了となる。勿論、仮に1回でも発作が起こればその時点でリセット。また5年間という長い戦いが始まってしまう。でも、抗てんかん剤を服用するようになってから1回も発作が起こっていないので、薬は効いているんだと思う。朝夕必ず薬を飲まなければならない煩わしさなど、発作がいつ起きるかとびくびくすることに比べればまだマシ。薬が効いているようでよかった。
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