さて、今週はなかなか刺激的な1週間だった。
まず昨日、待ちに待ったINSEADの1人目の同窓生に会い、インタビューを済ませた。あんなに緊張したのは最後の早慶戦でシングルスに出してもらった時以来だと思う。あの時もそうだったけど、今回のインタビューも寝言に出てくるんじゃないかというくらい練習したのでうまくやれる自信はあったけど、いきなり本命校のインタビューが初回ということもありかなり不安だった。インタビュアーのオフィスの前でちょっと右往左往したりして、明らかに落ち着いてなかった。そんな時妻からのメールが本当にリラックスさせてくれた。「無駄にみだしなみチェックした?」とメールが入ったから、「したよ。笑顔チェックも」って言ったら、「え、鳥肌立つからやめてよ。」って・・。普通はこういう場面では「頑張って」だろ!と思い、そんなつっこみをいれる余裕を出させてくれた妻の切り返しはナイスアシストだったと思う。それに加えてインタビュアーが素晴らしい紳士だったということもあり、かなりリラックスし、かつ楽しんでインタビューを終えることが出来たと思う。ますますINSEADに行きたい気持ちが強くなった。そして、次のインタビューも頑張ります、と彼に約束したので、期待を裏切らないように準備にぬかりなく次戦に備えたいと思う。
そして今日は仕事後にドイツ銀行でトレーダーやっているJと一緒にRoom To ReadのFund Raising Eventである"Beers for Books"に顔を出してきた。思ったより盛況で、色んな人とネットワーキングすることができた。Japan Intercultural ConsultingのCEOとか日本代表やStanford Japan CenterのDirector、TEDxTokyoの日本チームメンバーなどと仕事に関係なく知的好奇心のそそられることが沢山話せた。また、Japan Intercultural Consultingの日本代表の方とは文化が異なる人々がコラボレーションする方法についてなかなか面白い話ができた。ということで、色んなインプットとアウトプットがあった。会を出て、Jと一緒にイベントに参加した友人と麻布十番まで行き、ブリトー食べながら世間話。相変わらずJの日本語の流暢さにびっくりする。彼女はまだ日本語を勉強しだしてから、2年しか経っていないのに、素晴らしい日本語を話す。それで若干23歳である。こんなタレントがアメリカや中国にはまだまだ沢山いるのかと思うと、ちょっと恐ろしくなった。
明日は河合塾時代かつアクセンチュアの後輩であるKくんが六本木のグランドハイアットで披露宴なので、どんな豪華な結婚式なのかまた刺激をもらってこようと思う。
2010年7月27日火曜日
カルチャーショック
ちょっと書くことが無いので、小ネタを。INSEADのエッセーにはカルチャーショックを受けたことについて書きなさいお題目がある。この題材には割とてこずったのだが、色々と仕事を振り返って何個か書いたうちの1つを選ぶことにした。
①英語だと思わなかった!事件
2006年にアサインされたプロジェクト。上司はイギリス人、同僚はイギリス、オランダ、スペイン、アメリカ、ブラジル、インド、シンガポールなどなど全体で50人くらいはメンバーがいる中で僕だけが日本人だった。言わずもがな日本語をしゃべってくれる人などおらず、1年強のプロジェクト期間の大半は日本にいたのに、何故か英語を喋っている時間の方が物凄く長かった。帰国子女でも何でもない自分にとっては毎日脳みそがクタクタになるような生活だった。特に皆それぞれ英語にアクセントがあって、最初は何を言っているのか意味不明。特にインド人のエンジニアとのテレカンは最初英語を話していると分らず、思わず"Please speak in English"と言いそうになったが、実は英語だった・・、なんてことも。イギリス人の上司のアクセントも半年くらいは慣れなくて、結構適当に「OK」とか言っていた。アメリカ英語だけマスターしても、世界では役に立たないことを痛感。そしてアクセントとがアメリカンでもブリティッシュじゃなくても、世界ではある程度通用することが分った。
②爆弾テロかよ!?事件
これまた2006年から2007年にアサインされていたプロジェクト。インド人は時間に厳しいので、大抵日本時間の12時30分くらいになるとちゃんとメッセンジャーにサインしてくれるのだが、ある日全くインド人がサインインしてこない。何でかなと思ったら、ロンドンの同僚から「ハイデラバードで爆弾テロで、今日はデリバリーセンターに誰も出社しないってさ」と。「ば、爆弾テロ!?」。平和な日本では全く考えられない理由。
世界では日本では考えもしないような出来事が起こる、特に地政学的なリスクについてはちゃんと把握しておく必要があると学んだ。
③同音異語事件
2009年からアサインされているプロジェクトでのこと。フランス人のマネージャーと育児とキャリアの両立について話をした。僕の妻がパートタイムで7時間で毎日働いていると説明したら、向こうは若干不思議そうな顔。その後何だか話がかみ合わない。聞いてみると、フランスではパートタイムというと、フルタイムで働きながら週何日休むとか、年の何日休むとかの契約のことを言うらしい。発音は同じでも、意味が全く違うことがあるケースを想定して、コミュニケーションにおいて意味を確認することの重要性を学んだ。
④フランス人想像以上に休みすぎ!事件
これまた今のプロジェクトでのこと。フランス人はバケーションが長いと聞いていたが、休みは夏休みだけではない。クリスマス、スプリングブレーク。そしてこれから夏休みに突入するため、長い人は1ヶ月も休みを取る。日本人からすれば信じられないが、羨ましすぎる!とりあえずフランス人と働く時は日本人の労働時間の感覚の7割くらいの感覚で臨まないといけないこと、また日本人との間に立つ時はフランス人批判の矢面に立たされることを覚悟しないといけないことを学んだ。
海外のジョブはカルチャーショックがあるから面白いんですけどね(笑)
①英語だと思わなかった!事件
2006年にアサインされたプロジェクト。上司はイギリス人、同僚はイギリス、オランダ、スペイン、アメリカ、ブラジル、インド、シンガポールなどなど全体で50人くらいはメンバーがいる中で僕だけが日本人だった。言わずもがな日本語をしゃべってくれる人などおらず、1年強のプロジェクト期間の大半は日本にいたのに、何故か英語を喋っている時間の方が物凄く長かった。帰国子女でも何でもない自分にとっては毎日脳みそがクタクタになるような生活だった。特に皆それぞれ英語にアクセントがあって、最初は何を言っているのか意味不明。特にインド人のエンジニアとのテレカンは最初英語を話していると分らず、思わず"Please speak in English"と言いそうになったが、実は英語だった・・、なんてことも。イギリス人の上司のアクセントも半年くらいは慣れなくて、結構適当に「OK」とか言っていた。アメリカ英語だけマスターしても、世界では役に立たないことを痛感。そしてアクセントとがアメリカンでもブリティッシュじゃなくても、世界ではある程度通用することが分った。
②爆弾テロかよ!?事件
これまた2006年から2007年にアサインされていたプロジェクト。インド人は時間に厳しいので、大抵日本時間の12時30分くらいになるとちゃんとメッセンジャーにサインしてくれるのだが、ある日全くインド人がサインインしてこない。何でかなと思ったら、ロンドンの同僚から「ハイデラバードで爆弾テロで、今日はデリバリーセンターに誰も出社しないってさ」と。「ば、爆弾テロ!?」。平和な日本では全く考えられない理由。
世界では日本では考えもしないような出来事が起こる、特に地政学的なリスクについてはちゃんと把握しておく必要があると学んだ。
③同音異語事件
2009年からアサインされているプロジェクトでのこと。フランス人のマネージャーと育児とキャリアの両立について話をした。僕の妻がパートタイムで7時間で毎日働いていると説明したら、向こうは若干不思議そうな顔。その後何だか話がかみ合わない。聞いてみると、フランスではパートタイムというと、フルタイムで働きながら週何日休むとか、年の何日休むとかの契約のことを言うらしい。発音は同じでも、意味が全く違うことがあるケースを想定して、コミュニケーションにおいて意味を確認することの重要性を学んだ。
④フランス人想像以上に休みすぎ!事件
これまた今のプロジェクトでのこと。フランス人はバケーションが長いと聞いていたが、休みは夏休みだけではない。クリスマス、スプリングブレーク。そしてこれから夏休みに突入するため、長い人は1ヶ月も休みを取る。日本人からすれば信じられないが、羨ましすぎる!とりあえずフランス人と働く時は日本人の労働時間の感覚の7割くらいの感覚で臨まないといけないこと、また日本人との間に立つ時はフランス人批判の矢面に立たされることを覚悟しないといけないことを学んだ。
海外のジョブはカルチャーショックがあるから面白いんですけどね(笑)
2010年7月26日月曜日
Concentration
インタビュートレーニングを始めて早いもので1ヶ月くらい経った。本番まで間があきすぎて、明らかにテンションと集中力が低下傾向にある。まずい。ある意味カンフル剤になっていたCBSのアプリケーションも出してしまい、こちらも待ち。吉でも凶でもいいから(いや吉の方がいいに決まっているが)刺激的な瞬間が訪れて欲しいと思う。
テンション上げないと。
テンション上げないと。
2010年7月24日土曜日
セ、セーフ・・・
親切心で奥さんのiPhoneをiOS4.0にアップデートしようとしたら、いきなりクラッシュ!
若干冷や汗かきながら復元方法を調べたらちゃんとバックアップデータが保存されていることが分ったので、「なんだ捨てる神あれば拾う神ありじゃん。アンテナ問題で若干問題視されているAppleの製品品質だけど、ちゃんとバックアップデータは取ってあるじゃん。」と安心したのも、束の間・・。
復元が終わったみたいなので「どれどれ」と奥さんのiPhoneを起動して復元出来ているかなと確認してみた。
おーまいがーっ!
写真が復元されてない。というか、消えてる・・。まずい、絶対にまずい、これは怒られるどころの騒ぎじゃない!と慌てふためいてGoogle先生で「iPhone 写真 バックアップ」で検索してみた。
そしたらあるじゃないか、写真をバックアップファイルから復元する方法が。
このツールを使ったら出来た・・。
よかった。これで安心して寝られる・・。
若干冷や汗かきながら復元方法を調べたらちゃんとバックアップデータが保存されていることが分ったので、「なんだ捨てる神あれば拾う神ありじゃん。アンテナ問題で若干問題視されているAppleの製品品質だけど、ちゃんとバックアップデータは取ってあるじゃん。」と安心したのも、束の間・・。
復元が終わったみたいなので「どれどれ」と奥さんのiPhoneを起動して復元出来ているかなと確認してみた。
おーまいがーっ!
写真が復元されてない。というか、消えてる・・。まずい、絶対にまずい、これは怒られるどころの騒ぎじゃない!と慌てふためいてGoogle先生で「iPhone 写真 バックアップ」で検索してみた。
そしたらあるじゃないか、写真をバックアップファイルから復元する方法が。
このツールを使ったら出来た・・。
よかった。これで安心して寝られる・・。
不確実性 ー Uncertainty
バドミントンというのは不確実性のスポーツだと思う。16枚の水鳥の羽で作られたシャトルコックの軌道は、気温・湿度・風力・風向きによってまるで生き物のように変化する。そんな不確実性と仲良くなれるかが、このスポーツを極めることが出来るかどうかを分けるんじゃないかなと思う。
ま、自分はそんな不確実性と仲良くなる以前にプレーヤーとしては全く素質がなかったのだが(泣)
ということで、ダイナミックなプレーだけでなく、選手達の適応能力にも注目しながらバドミントンを見てはいかがでしょうか。
YONEX OPEN JAPAN 2010は9月21日(火)〜26日(日)東京体育館で開催される。是非足を運んでみてはいかがでしょうか。
ま、自分はそんな不確実性と仲良くなる以前にプレーヤーとしては全く素質がなかったのだが(泣)
ということで、ダイナミックなプレーだけでなく、選手達の適応能力にも注目しながらバドミントンを見てはいかがでしょうか。
YONEX OPEN JAPAN 2010は9月21日(火)〜26日(日)東京体育館で開催される。是非足を運んでみてはいかがでしょうか。
2010年7月23日金曜日
Completed the application for Columbia Business School
昨日、Columbia Business Schoolの出願を完了した。元々は6月末に提出する予定だったのが、半月ほど延びてしまった。しかし、結果的には延ばして良かったと思っている。
INSEADの出願から余り間を空けたくなかったし、CBSはRolling Decisionなので出来る限り早く出願したいと本当は思っていた。それにINSEADのエッセーを終わらせた時点で、コアバリューは両校ともに共通点があると思っていたので、そこそこINSEADのエッセーがCBSにも転用は利くだろうと思っていた。だけど、実際はそんなに甘くなかった。
CBSのエッセー課題は5月のGW明け頃に発表されたのだが、数年ぶりにPersonal Essayが出題された。そして、そのPersonal Essayが最も厄介で、仕上げるのに最も時間を使った。それでもなんとか書き上げて、6月末時点ではそれなりに形になったものができあがっていた。でも絞り切れてなかった。CBSのエッセーはINSEADのエッセーよりも沢山の人に見てもらい、これでもいいんじゃない?という人も中にはいた。しかし「まだメッセージとして弱いよね」とか「それって本当はこういうことがCharumanの言いたいことなんじゃないの?」と僕の琴線に触れるようなアドバイスをしてくれる人もいた。本当に有り難かった。次第に「まだまだ昇華の余地はある」と考えるようになった。それに、IB、PEとか戦略コンサルとか華々しいバックグラウンドのアプリカントと差別化する術はまさにこのPersonal Essayだと思っていた。Essayには自分なりの戦略が必要。というのも、Career Goalのエッセーと合わせても高々1000字そこそこで自分を表現しなければならない。出来る限り多くのメッセージを入れたいと思うのがナチュラル。でも、多くを詰め込めば字数は溢れ、字数に収めようとすれば、表層的な文章になってしまい、響かない。言いたいことは入っているのだが、内容が薄い。6月末時点のエッセーは端的に言えばそんな感じだっただろう。
そのうち、焦って中途半端なエッセーを出すよりも、時間をかけて完成度の高いエッセーを出した方がいいだろう思うようになった。Edも僕の考えに賛同してくれた。そこから7月半ばまでの2週間で一気にブレークスルーが来た。「僕ってどんな人間?」というざっくり質問に真摯に回答してくれた母、妹、そして妻と娘(娘にはお風呂で相談したけど)、エッセーカウンセラーのEd、CBSの現役学生のMさん、今同じプロジェクトにいるビジネススクール卒業生の先輩達、今度IMDに進学予定の大学の同級生、グローバルトレーニングで知り合った海外オフィスの仲間達など多くの人に見てもらった結果、そのブレークスルーに辿りついたと思う。そして、やりきった感はかなりある。願書作成の過程で相談に乗って頂いたCBSのMさんは、Essayにかなりの時間をかけ、出願プロセスにおいて最も苦労した分、今でもEssayをたまに読み返し、我ながら惚れ惚れすることがあるらしい。個人的には本当にこれ以上できないというところまで煮詰めたと思っているし、合格しようが、不合格だろうが、このPersonal Essayに取り組めたことは自分を見つめなおし、自分のPersonalityやIntegrity、Core Valueを確認する上で本当にいい経験だったと思う。
自分の夢を実現するためにも、そして助けてくれた多くの人に報いるためにも何としてもInterviewに呼ばれ、合格したい。まず最初の結果、Interview Invitationを待ちたいと思う。
INSEADの出願から余り間を空けたくなかったし、CBSはRolling Decisionなので出来る限り早く出願したいと本当は思っていた。それにINSEADのエッセーを終わらせた時点で、コアバリューは両校ともに共通点があると思っていたので、そこそこINSEADのエッセーがCBSにも転用は利くだろうと思っていた。だけど、実際はそんなに甘くなかった。
CBSのエッセー課題は5月のGW明け頃に発表されたのだが、数年ぶりにPersonal Essayが出題された。そして、そのPersonal Essayが最も厄介で、仕上げるのに最も時間を使った。それでもなんとか書き上げて、6月末時点ではそれなりに形になったものができあがっていた。でも絞り切れてなかった。CBSのエッセーはINSEADのエッセーよりも沢山の人に見てもらい、これでもいいんじゃない?という人も中にはいた。しかし「まだメッセージとして弱いよね」とか「それって本当はこういうことがCharumanの言いたいことなんじゃないの?」と僕の琴線に触れるようなアドバイスをしてくれる人もいた。本当に有り難かった。次第に「まだまだ昇華の余地はある」と考えるようになった。それに、IB、PEとか戦略コンサルとか華々しいバックグラウンドのアプリカントと差別化する術はまさにこのPersonal Essayだと思っていた。Essayには自分なりの戦略が必要。というのも、Career Goalのエッセーと合わせても高々1000字そこそこで自分を表現しなければならない。出来る限り多くのメッセージを入れたいと思うのがナチュラル。でも、多くを詰め込めば字数は溢れ、字数に収めようとすれば、表層的な文章になってしまい、響かない。言いたいことは入っているのだが、内容が薄い。6月末時点のエッセーは端的に言えばそんな感じだっただろう。
そのうち、焦って中途半端なエッセーを出すよりも、時間をかけて完成度の高いエッセーを出した方がいいだろう思うようになった。Edも僕の考えに賛同してくれた。そこから7月半ばまでの2週間で一気にブレークスルーが来た。「僕ってどんな人間?」というざっくり質問に真摯に回答してくれた母、妹、そして妻と娘(娘にはお風呂で相談したけど)、エッセーカウンセラーのEd、CBSの現役学生のMさん、今同じプロジェクトにいるビジネススクール卒業生の先輩達、今度IMDに進学予定の大学の同級生、グローバルトレーニングで知り合った海外オフィスの仲間達など多くの人に見てもらった結果、そのブレークスルーに辿りついたと思う。そして、やりきった感はかなりある。願書作成の過程で相談に乗って頂いたCBSのMさんは、Essayにかなりの時間をかけ、出願プロセスにおいて最も苦労した分、今でもEssayをたまに読み返し、我ながら惚れ惚れすることがあるらしい。個人的には本当にこれ以上できないというところまで煮詰めたと思っているし、合格しようが、不合格だろうが、このPersonal Essayに取り組めたことは自分を見つめなおし、自分のPersonalityやIntegrity、Core Valueを確認する上で本当にいい経験だったと思う。
自分の夢を実現するためにも、そして助けてくれた多くの人に報いるためにも何としてもInterviewに呼ばれ、合格したい。まず最初の結果、Interview Invitationを待ちたいと思う。
2010年7月19日月曜日
猛暑
あづい。今日は暑くて溶けるかと思った。
僕を置いて軽井沢にバカンスに出かけた妻と娘を東京駅まで迎えに行った。なんて健気な父親なんでしょう。というのはさておき、帰りの武蔵小杉駅は鬼門だった。東京駅から横須賀線に乗り、武蔵小杉経由で日吉に向かったが横須賀線のホームから東急線に近い改札まで500メートルくらいある。さながら灼熱回廊。日吉駅に着いてからタリーズに直行。家族でスワークルとジュースをがぶ飲み。汗でひからびた体に染み入って最高だった。
去年の今頃はChicagoにいたんだよな。トレーニングも楽しかったけど、Chicago UniversityとNorthwestern Universityにキャンパス見学に行ったり、同期とDowntown巡りしたりと夏休みを満喫した。今年は諸事情あり、夏にどこかに出かけることはなさそう。受験もあるしね。来年こそは遊びに行くぞ。
僕を置いて軽井沢にバカンスに出かけた妻と娘を東京駅まで迎えに行った。なんて健気な父親なんでしょう。というのはさておき、帰りの武蔵小杉駅は鬼門だった。東京駅から横須賀線に乗り、武蔵小杉経由で日吉に向かったが横須賀線のホームから東急線に近い改札まで500メートルくらいある。さながら灼熱回廊。日吉駅に着いてからタリーズに直行。家族でスワークルとジュースをがぶ飲み。汗でひからびた体に染み入って最高だった。
去年の今頃はChicagoにいたんだよな。トレーニングも楽しかったけど、Chicago UniversityとNorthwestern Universityにキャンパス見学に行ったり、同期とDowntown巡りしたりと夏休みを満喫した。今年は諸事情あり、夏にどこかに出かけることはなさそう。受験もあるしね。来年こそは遊びに行くぞ。
2010年7月18日日曜日
赤信号みんなで渡れば怖くない!?
最近、ITニュースを騒がせていたiPhone4の受信状況に関する問題が終息を見せた。クパチーノのApple本社でJobsが釈明会見を実施。"We are not perfect. Phones aren't perfect"で始まる会見はなかなか面白い会見だった。そもそもiPhone4の問題が取りざたされていたはずなのに、BlackBerry、Droid、Windows Mobileなど競合スマートフォンでも同じ問題があると指摘して、まるで「赤信号みんなで渡れば怖くない」的な感じで、論点がすり替わってる(笑
とはいえ、そんな主張だけで乗り切れるわけはなく、アンテナ受信状況を正確に表示するiOS4.01をリリースし、絶縁体として作用するバンパーをiPhone4の購入者全員に無償配布するらしい。バンパーのコストってどれくらいなんだろう。100円だとしても3億だよな。それは大したことないとしても、それに対応するスタッフの人件費とかも乗ってくるから、それなりの代償だね。
ソフトウェアもそうだけど、問題が発覚されるのは、実際にサービスやプロダクトが世の中で使われるようになってから。こないだのトヨタ自動車のリコール問題も、製品を市場に出すということがいかに神経を使うことかということを教えてくれた。ナイスなプロダクトデザインと機能のトレードオフはよく言われたことだけど、ある程度問題が発生することを織り込んで、アフターマーケットでのサポートや問題に対するクイックかつ誠実な対応ができるようにしなければいけない。プロダクトを作り上げるだけで満足してはいけないね。
でも個人的には今回のケースは結構ラッキーな方だと思う。というのも、バンパーで乗り切れるというのは、そもそもバンパーは絶縁目的ではなく、ファッションとして導入予定だったから、デザインが著しく損なわれるわけでもない。自動車のリコールのように全て回収しなければならないような深刻な事態には至らなかったわけだし。いずれにせよ、今回の件でAppleのブランドに傷がつくわけじゃないんだろうな。ということで、問題が発生しても乗り切れるだけの顧客ロイヤリティを作るというのも非常に大事だわ。もちろん、繰り返したらファンは離れていくけどね。
とはいえ、そんな主張だけで乗り切れるわけはなく、アンテナ受信状況を正確に表示するiOS4.01をリリースし、絶縁体として作用するバンパーをiPhone4の購入者全員に無償配布するらしい。バンパーのコストってどれくらいなんだろう。100円だとしても3億だよな。それは大したことないとしても、それに対応するスタッフの人件費とかも乗ってくるから、それなりの代償だね。
ソフトウェアもそうだけど、問題が発覚されるのは、実際にサービスやプロダクトが世の中で使われるようになってから。こないだのトヨタ自動車のリコール問題も、製品を市場に出すということがいかに神経を使うことかということを教えてくれた。ナイスなプロダクトデザインと機能のトレードオフはよく言われたことだけど、ある程度問題が発生することを織り込んで、アフターマーケットでのサポートや問題に対するクイックかつ誠実な対応ができるようにしなければいけない。プロダクトを作り上げるだけで満足してはいけないね。
でも個人的には今回のケースは結構ラッキーな方だと思う。というのも、バンパーで乗り切れるというのは、そもそもバンパーは絶縁目的ではなく、ファッションとして導入予定だったから、デザインが著しく損なわれるわけでもない。自動車のリコールのように全て回収しなければならないような深刻な事態には至らなかったわけだし。いずれにせよ、今回の件でAppleのブランドに傷がつくわけじゃないんだろうな。ということで、問題が発生しても乗り切れるだけの顧客ロイヤリティを作るというのも非常に大事だわ。もちろん、繰り返したらファンは離れていくけどね。
2010年7月13日火曜日
ユニクロ+グラミン
ユニクロがバングラデシュにてグラミン銀行と合弁会社を設立し、衣料品の企画・製造・販売を手掛けるソーシャルビジネスを立ち上げると発表した。グラミン銀行は企業と合弁でビジネスを立ち上げることに非常に積極的。これまでもフランスのダノンとグラミン・ダノンを、スウェーデンの通信キャリア・テレノールとグラミン・フォン、グラミン・テレコムなどを立ち上げ成功を収めている。
ただ、今回のユニクロとの合弁は何となく意味合いが違うように感じる。その理由は2つある。
1つ目はこれまでグラミン銀行が企業と組んできた事業は明らかにバングラデシュ国内に存在しなかった事業であり、社会問題に対するインパクトが大きかった。ダノンとのジョイントベンチャーでは、バングラデシュ国内の子供たちの深刻な栄養不足を解消するためにシャクティという栄養価の高い、かつ安価なドリンクを開発し、栄養改善と雇用創出という効果をもたらした。グラミンフォンでの取り組みも、農村部に情報インフラを敷衍しただけでなく、電話の管理者という雇用を創出し、大きなインパクト与えた。しかし、衣服というのはどうなのか。社会問題化しているのか。ファクトを調べたわけではないから何とも言えないけど、今まで見てきたインパクトに比べると大分弱いような気がする。
2つ目はバングラデシュの文化保護という観点に資するのかということ。グラミン銀行総裁のムハマド・ユヌスはいつもサロワカ・ミューズというバングラデシュの民族衣装をまとっている。それは彼のバングラデシュの文化に対する思いである、と彼の本で読んだことがある。ユニクロは、サロワカ・ミューズを製造、販売するのか?そんなことはないと思う。きっとカジュアルな服が巷にあふれるのだろう。でもそれでいいのか?そんなことムハマド・ユヌスがOKするのか?とも思う。ということで、今後どういう展開をしていくのかは気になるところ。
僕的には柳井さんとムハマド・ユヌス氏協同でバングラデシュの起業家支援のためのインキュベーション事業だったり、ベンチャーキャピタル事業を立ち上げてもらいたかったな。柳井さんは起業家育成に大変熱心な方だと思うし。
ただ、今回のユニクロとの合弁は何となく意味合いが違うように感じる。その理由は2つある。
1つ目はこれまでグラミン銀行が企業と組んできた事業は明らかにバングラデシュ国内に存在しなかった事業であり、社会問題に対するインパクトが大きかった。ダノンとのジョイントベンチャーでは、バングラデシュ国内の子供たちの深刻な栄養不足を解消するためにシャクティという栄養価の高い、かつ安価なドリンクを開発し、栄養改善と雇用創出という効果をもたらした。グラミンフォンでの取り組みも、農村部に情報インフラを敷衍しただけでなく、電話の管理者という雇用を創出し、大きなインパクト与えた。しかし、衣服というのはどうなのか。社会問題化しているのか。ファクトを調べたわけではないから何とも言えないけど、今まで見てきたインパクトに比べると大分弱いような気がする。
2つ目はバングラデシュの文化保護という観点に資するのかということ。グラミン銀行総裁のムハマド・ユヌスはいつもサロワカ・ミューズというバングラデシュの民族衣装をまとっている。それは彼のバングラデシュの文化に対する思いである、と彼の本で読んだことがある。ユニクロは、サロワカ・ミューズを製造、販売するのか?そんなことはないと思う。きっとカジュアルな服が巷にあふれるのだろう。でもそれでいいのか?そんなことムハマド・ユヌスがOKするのか?とも思う。ということで、今後どういう展開をしていくのかは気になるところ。
僕的には柳井さんとムハマド・ユヌス氏協同でバングラデシュの起業家支援のためのインキュベーション事業だったり、ベンチャーキャピタル事業を立ち上げてもらいたかったな。柳井さんは起業家育成に大変熱心な方だと思うし。
2010年7月10日土曜日
What is "Leadership"?
ビジネススクールの受験を志し、というよりも、エッセーに本格的に着手した3月頃からだろうか、Leadershipって何だろうと考えるようになった。大抵どのビジネススクールもリーダーシップ教育に力を入れているという。でも決してリーダーシップが何なのかについては明確に触れていない。
「積極性?」
「組織を率いる能力のこと?」
などなど色々な解釈が出来ると思う。なので、定義については人それぞれではあると思うが、僕なりに色々と考えた結果1つの解に辿りついた。リーダーシップとは、「組織の方向性に関する意思決定を下し、組織を導くこと」である、と。よってもって、7年間の経験から白黒はっきりつくような状況というのはかなり稀。複数の選択肢があり、甲乙つけがたい状況でも、「こっち!」と果断に決断しなければならない。こういう大体曖昧模糊とした状況で進むべき方向や次のアクションをその場その場で決めていく能力がリーダーシップなんだと思う。
だから「この人凄い!」と思った先輩たちは判断能力に優れ、進むべき方向性があり、その方向性に基づいて曖昧な状況でも意思決定出来る人たちだった。大体そういう人たちについて行くと、道中辛いかもしれないが、最終的にはちゃんとゴールに辿りついていた。だから僕の中でのリーダーは僕が尊敬する先輩たちのように意思決定ができる人たち。勿論、人間力が高いにこしたことはないが、優柔不断な人間はリーダーとしては適任ではない。
こんなことを考え始めてからか、社内の人間を見る時はこれまでとは違う見方をするようになった。それに社内の組織のこともよく考えるようになった気がする。そんな中でいくつか課題も見えてきたから、受験勉強というのは合否に関わらず貴重な経験なんだと思う。
ちなみに、WoodenというUCLAの伝説的なバスケットボールコーチが定義したリーダーシップの素質はこんな感じ。必要な要素としては確かにという感じ。
「積極性?」
「組織を率いる能力のこと?」
などなど色々な解釈が出来ると思う。なので、定義については人それぞれではあると思うが、僕なりに色々と考えた結果1つの解に辿りついた。リーダーシップとは、「組織の方向性に関する意思決定を下し、組織を導くこと」である、と。よってもって、7年間の経験から白黒はっきりつくような状況というのはかなり稀。複数の選択肢があり、甲乙つけがたい状況でも、「こっち!」と果断に決断しなければならない。こういう大体曖昧模糊とした状況で進むべき方向や次のアクションをその場その場で決めていく能力がリーダーシップなんだと思う。
だから「この人凄い!」と思った先輩たちは判断能力に優れ、進むべき方向性があり、その方向性に基づいて曖昧な状況でも意思決定出来る人たちだった。大体そういう人たちについて行くと、道中辛いかもしれないが、最終的にはちゃんとゴールに辿りついていた。だから僕の中でのリーダーは僕が尊敬する先輩たちのように意思決定ができる人たち。勿論、人間力が高いにこしたことはないが、優柔不断な人間はリーダーとしては適任ではない。
こんなことを考え始めてからか、社内の人間を見る時はこれまでとは違う見方をするようになった。それに社内の組織のこともよく考えるようになった気がする。そんな中でいくつか課題も見えてきたから、受験勉強というのは合否に関わらず貴重な経験なんだと思う。
ちなみに、WoodenというUCLAの伝説的なバスケットボールコーチが定義したリーダーシップの素質はこんな感じ。必要な要素としては確かにという感じ。
2010年7月4日日曜日
考えることと喋ることは違う
今日のミーティングからEdとインタビュートレーニングを開始した。相変わらずINSEADからインタビューのインビテーションは届いていないが、インタビュー通知のデッドライン近辺に一斉配信されるという噂を信じて。今日はWhy MBA?Why INSEAD?等の基本的な質問を中心に練習をした。事前にスクリプトを作っていたのだが、全てを覚え切れているわけではなくFluencyにはまだまだトレーニングが必要であり、またExtemporaneousな質問に対してはどうしても抽象的な言葉が出てしまうので、具体的でいて簡潔に話が出来るように準備しないといけないという指摘あり。戦略的に抽象的な言葉を言って、敢えて突っ込みどろこを作っておき、おびき寄せて用意した説明を言うなどのテクニックはあるが、そもそも出まかせチックになっている部分は直さないといけないと。
しかし用意したことを話すというのは難しいなぁと思う。英語になると尚更。ダイアログだともっとレスポンシブなので言葉も出てくるのだが、一方的に話すインタビューになると考えていることの70%くらいしか言えなくなってしまう。30分くらい話したが、かなり頭がいっぱいいっぱいになった。本番のもっとプレッシャーのかかる状況を考えると、まだまだ研鑽が必要である。
それにしても今日は脳みそがかなり疲労した。社会人になり立ての頃の方が上司と話す時やお客さんと話す時は今より準備して臨んでいたはずだが、年を取って色々な知識を得るようになってくるとその場の流れでも会話できるようになる。だから、最近こういうトレーニングを怠っていたと反省。留学を置いておいても、なかなかいいトレーニングだと思う。
2010年7月3日土曜日
ピアノ
子供のお稽古に付き添うというのはなかなか新鮮味があっていい。仕事には無い刺激を受けるというのは常にフレッシュでいるためには必要だと思う。子供と過ごす時間も作れて一石二鳥である。是非とも世の中の仕事で忙しいお父様方は土日に公園やお出かけに行くのではなく、お稽古ごとに付き合ってみるといいと思う。
6月から7月上旬にかけて妻は土曜日に大学の授業があるため羽紗の隔週のピアノのレッスンには僕が付き添いをしている。羽紗は2歳からピアノのレッスンを始めたが、最初は大変だった。2歳児に30分間ピアノの前に座っていなさいというだけでもエラい大変で、すぐに集中力が切れるのでレッスンもままならない状況が・・。最近、ようやくようやく徐々になれてきたみたい。なんと両手で弾く練習を始めている(と言っても左手はずっと「ソ」だけど)、けどまだ完ぺきではない。だからレッスン中にじっとしてられなくなると、先生からいきなり「パパも一緒に弾いて!」というコールドコールを貰うことがあり、まさか小学生の時にピアノやってましたとは言えないお粗末な音楽センスを披露しながら連弾したりしている。でもピアノを弾くなんて殆どないことなので、割と楽しい。ピアノの生音から受ける刺激と指を動かすという刺激が心地よいのだ。
こういう休日の過ごし方もありだなと思う。
2010年7月2日金曜日
Jeff
前職を辞めて今の会社に籍を移す前の2ヶ月ばかりアメリカ・イギリス放浪の旅に出かけた。そのうちの1ヶ月くらいはOregonで過ごしたのだが、そこでは楽しかった思い出しかない。
Mt.Hood Meadowsに行ってスノーボードしたり、New Deal政策により建てられたTimberline Lodgeに泊ったり、地元のボーイスカウトの子供たちとスノーシューを履いて雪原を分け入り氷点下十数度という極寒の中でテントと寝袋だけで一夜を過ごしたり、1人で馬に乗って山の中を駆け回ったり、何故か地元の小学生たちの社会化見学を手伝って半導体検査装置について説明したり、Columbia Gorge近くのSkamania Lodgeでゆっくりとコーヒーを飲みながらぬくもりのあるログハウスでボーっとしたり、小学校のLip Sync(口パクの学芸会?)を見に行ったり。
これらは全て、滞在中お世話になったJeffのおかげである。彼は僕にとってアメリカの父親と言っても過言ではなく、僕の中に父親のロールモデルが無い分、その1ヶ月半で目の当たりにした当時14歳の1人息子・Davidに対する彼の接し方というのが、そのまま「父親とはかくあるべし」という価値観のベースになっている。
Mt.Hood Meadowsに行ってスノーボードしたり、New Deal政策により建てられたTimberline Lodgeに泊ったり、地元のボーイスカウトの子供たちとスノーシューを履いて雪原を分け入り氷点下十数度という極寒の中でテントと寝袋だけで一夜を過ごしたり、1人で馬に乗って山の中を駆け回ったり、何故か地元の小学生たちの社会化見学を手伝って半導体検査装置について説明したり、Columbia Gorge近くのSkamania Lodgeでゆっくりとコーヒーを飲みながらぬくもりのあるログハウスでボーっとしたり、小学校のLip Sync(口パクの学芸会?)を見に行ったり。
これらは全て、滞在中お世話になったJeffのおかげである。彼は僕にとってアメリカの父親と言っても過言ではなく、僕の中に父親のロールモデルが無い分、その1ヶ月半で目の当たりにした当時14歳の1人息子・Davidに対する彼の接し方というのが、そのまま「父親とはかくあるべし」という価値観のベースになっている。
褒める時は思い切り褒める。
叱る時は思い切り叱る。
何故悪いのかをちゃんと考えさせる。
でもその後はちゃんとフォローする。
Davidのレスリングの試合では、あたかも自分の試合かのように熱くなって応援していたし、Davidが負けても"Good job, David"といって暖かく迎えてあげていた。かと思えば、Davidの学校の帰りに3人で車に乗っていた時に、Davidが反抗的な態度を見せたら、"Get out of the car!!"と言っていきなり急ブレーキを踏み、Davidを車から降ろしてすごい剣幕で歩いて帰れ、と怒っていた。それでも家ではJeffからちゃんと歩み寄り、ちゃんと対話していた。Jeffは厳しいけど、Davidもちゃんと自分の父親のことを尊敬していた。そこには僕が経験したことが無い父親と息子の信頼関係があった。
Davidくらいの年齢の時に父親とのインタラクションが全くなかった自分にとっては、こうやって子供とちゃんと向き合ってくれる父親がいるDavidが本当に羨ましく思えた。また自分が父親になった時はJeffのように子供と向き合える父親になろうと思うようになった。
Davidくらいの年齢の時に父親とのインタラクションが全くなかった自分にとっては、こうやって子供とちゃんと向き合ってくれる父親がいるDavidが本当に羨ましく思えた。また自分が父親になった時はJeffのように子供と向き合える父親になろうと思うようになった。
日本に帰ってきてからも、彼がSEMICON JAPANで日本に来るたびに幕張まで会いに行ったり、出張で日本に来ると言えばホテルまで足を運んでいた。でもある出来事を境に、彼にも奥さんのLoriにも連絡が取れなくなってしまった。僕からメールをするのだけど、全く返信が無い状態がここ2年くらい続いている。本当に切なくなって、FacebookやLinkedinに登録されている彼のページを見て近況を探ったりした。
唐突に何故今日こんなことをBlogに書いているかというと、偶然彼のインタビュー記事を見つけたから。どうやら彼はSemiconductor IndustryからSustainable Energy Industryにキャリアチェンジして、今ではOregonで住宅向けのPV導入ベンチャーでBoard Memberになっているらしい。写真も掲載されており、相変わらずの立派な髭をたくわえていた。
Jeffに会いにOregonに行きたいな。
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