2009年10月31日土曜日

帰国

先ほどパリから帰国し、日吉の自宅に帰ってきました。帰りのフライトは結構疲れました。かなりの数のフランス人男性の団体が同じ飛行機に搭乗していて大分むさ苦しかった。行きは隣の席が空いていたのでエコノミーだったけど足は伸ばせたしそれなりに快適に過ごせたのでかなりの差でした。
帰国して、フランスに比べると東京は非常に暖かくて驚きました。もう11月なのにこの暖かさは何となく異常な感じですね。フンラスは朝晩冷え込むようになりました。最低気温が7-8度くらい。帰国の日はセーターを着ていたくらいです。何か体調を崩しそう。

今回の帰国は一時帰国みたいなもので、1週間ほど日本にいて再度フランスに旅立ちます。今度は2週間くらい滞在予定。荷物が多くなりそうだ。。

2009年10月28日水曜日

French Open

パリに来てから3日が経ちました。まだ時差ボケが解消していません。夜10時くらいになると眠気に襲われ、深夜2時くらいに目が覚めるという状況です。目が覚めてからも布団に入り続けてますが、火曜日朝は1時間くらいしか眠れず、水曜日朝は2時間程度と、1時間ずつ体が適応しているようです。

さて、滞在中にスーパーシリーズの1つであるFrench Openがパリで開催されていることをRaphaelに教えてもらい、仕事を終えてから体育館に行ってきました。同じくスーパーシリーズの1つであるYonex Open Japanを毎年開催している東京体育館に比べると明らかに古いし、暗い。タイムテーブルを見たとき、昨日の最終試合が21時50分開始で、「ナイトゲームが多いなぁ」と思っていたのですが、体育館に行って納得。というのも、コートは4面しかないので多くの試合を同時並行で進められない。
それでも平日夜だというにもかかわらずお客さんが結構入っていてびっくりしました。

プレス席に前述のRaphaelを発見し挨拶しました。「先月Yonex Openで日本で会ったばっかりで、まさか君とフランスで会うとは思わなかった!」とのこと。彼は、フランスでバドミントンの情報サイトを立ち上げたり、BWFの契約カメラマンとして世界を飛び回っています。毎年9月にYonex Open Japanで顔を会わせる仲です。彼は全トーナメントにカメラマンとして参加しているので、非常に忙しい男。再来週以降も香港オープンやチャイナオープンに旅立つとのこと。9日にまた訪仏の予定なので会えると思ったのですが、パリで彼に会うのは当分先になりそうです。ですが、「是非、バドミントンしなきゃね。」というなので、彼に会う時にはコンタクトレンズを持参しようと思います。

Yonexという冠がついている大会にも関わらず、エントランスには他メーカーのブースもありました。その中にLi Ningのブースを発見。初めてラケットやウェアを触ってみました。また、中国で放送されているCMなんでしょうか、リン・ダンやワン・イーハンなどの中国代表選手を使ったプロモーション映像が流されていました。Li Ningも大分力を入れているようです。

French Open後はOpera Avenueの裏通りで母親の同級生の旦那さん経営する「松田」という日本食料理屋に行ってきました。突然の訪問だったので、生憎奥様には会えませんでした。旦那さんに、小学校4年生の時に初めてパリに行った時、ラ・デファンスのお家に遊びに行って、和食をご馳走してもらい、帰りは車でシャンゼリゼ通りまで送ってもらったことをお話したのですが、ご記憶されていないようでした(20年くらい前の話でたった1日のことなので忘れていて当然ですが)。でもサービスでお味噌汁を出してもらったり、デザートを出してもらったりとよくしてもらいました。今後もパリ出張が続きそうなのでちょくちょく利用させてもらおうと思います。

2009年10月23日金曜日

まさかのインフルエンザ感染

火曜日のこと。朝出社する前に喉に痛みを感じ、咳が出始めました。ただその時点では異常はその程度で、別に熱も無いし、とりあえずオフィスに常備されているマスクをつけながら普通に仕事をしていたのですが、咳がかなりひどくなってきて、挙句の果てに寒気もしてきました。体温計がなかったので実際に計ってはいないものの、確実に熱があるときと同じ感覚がしたので、仕事を早めに切り上げて自宅近くの病院に向かいました。

病院で熱を計ってみると、何と38.5度。これはインフルエンザの疑いありだろうと思い、先生に検査をお願いしてみました。ただ、先生からの答えは今やっても検査結果に出てこないから意味ないということで結局やらずに風邪薬だけ処方されて家に帰りました。インフルエンザだったらフランス出張は微妙だなと内心不安になりながらも、とりあえずまだインフルエンザと分かったわけではないので「ただの風邪」と信じて処方された風邪薬で何とか症状が治まることを根拠なく祈りつつ家に帰りました。

処方された解熱剤と着込んだヒートテックの相乗効果で十分すぎるくらいの汗をかき、翌朝には36.5度まで下がりました。この時点でインフルエンザ疑惑は医学的根拠も何もなく僕の中では晴れました。「捨てる神あれば、拾う神ありだなぁ」と。ただ、頭痛がちょっと残っていたので出社はせずに自宅で作業していたのですが、午後くらいから体調が何となく怪しくなってきて、夜にはまた38度台まで熱が上がってしまいました。鼻水が出てなかったし、これまでも高熱が続いてもインフルエンザでなかった時もあったので、ただの風邪と信じたい気持ちもありましたが、ネットで調べた症状がドンピシャリ(38度以上の高熱、関節の痛み、倦怠感、頭痛、喉の痛み、咳、そして鼻水を伴わないことがあること)だったので、インフルエンザなんだろうと思いました。

翌日の木曜日はかかりつけの病院が休診でした。そのため、羽紗がいつもかかっている小児科の先生に相談して、インフルエンザの検査をしてもらうことになりました。検査結果は予想通りのA型陽性。最近は新型か季節性のものかの判定はしないらしいのですが、とりあえずインフルエンザということが判明。

ここから先が大変でした。既に出社していた妻に連絡。妻の職場では身内にインフル感染者がいる場合は自宅待機などのルールがあるからです。その後、羽紗を保育園でピックアップしてから自宅に帰ってきた妻も何となく頭痛がするとのこと。僕は39度近い熱が出ていて意識が朦朧としていたので、もしも妻も同じく感染していて同じ症状が出てしまい、2人とも床に伏してしまったら羽紗を見れなくなるし、羽紗にインフルエンザがうつってしまうかもしれない、と不安だったので緊急協議し、国立に住む僕の母に連絡し、羽紗を預かってもらえるようにお願いし、羽紗は緊急避難。
昨日から服薬を始めたリレンザという抗インフルエンザウィルス薬が効いたのか解熱剤を飲まずに(というか先生には解熱剤はインフルエンザの時には飲んでは駄目と言われたのだけど)熱も下がり、大分体調も良くなりました。妻もリレンザを予防用に服薬してもらったからか、元々感染していなかったからか特に風邪の症状も出てこなかったみたいで、取り越し苦労にはなりましたが、昨日の時点では最悪のケースも想定されたわけで緊急避難はやむなしだったかなぁと思います。

しかし、インフルエンザがこんなに辛いとは思いませんでした。羽紗が保育園に通い始めた時は、彼女が保育園で貰ってくるウィルスに僕がやられて高熱を2、3日連続で出したこともありましたが、ここまでは辛くなかったような。最近免疫学を学んでいる妻曰く、なかなか治りにくいから性質が悪いのがインフルエンザの特徴ということなので、薬が効いてよかったです。またフランス行きも何とかなりそうでよかった。。

上司からは一応医者の了解をとってね、と言われるので明日先生に確認してこようと思います。

皆さんもお気をつけ下さい。

2009年10月20日火曜日

フランス行き

今週日曜日の夜にフランスに発ちます。1週間ほどパリに滞在して帰国する予定です。9月半ばからアメリカ、ヨーロッパなどにグローバル展開しているアパレルのお客さんのプロジェクトにアサインされており、業務改革をやることになり、フランス担当になりました。今後は、パリオフィスのチームが立ち上がる予定で、最終的には現地のチームがフランスの事業を担当することになる予定。ということで当面のミッションはフランスチームの立ち上げということになります。
社会人になってからずっと国際的な仕事がしてみたいと考えてました。最初に入った会社は完全に国内に事業が閉じていたので、違和感を感じ、海外にフィールドを広げられる可能性にかけて今の会社に1年で転職しました。今の会社に入ってからもなかなか希望が実現されない時期が3年くらい続きましたが、3年目に携わったSCMのプロジェクトで初めてグローバル企業をお客さんにして仕事をすることが出来ました。そしてその後イギリスのアルコール飲料メーカーのプロジェクトで、本格的なグローバル混成チームでの仕事を経験しました。そこで今度は日系企業の海外進出をやってみたいと思うようになりました。それまで日本人であるというアイデンティティを強く感じたことはなかったのですが、多国籍チーム、しかも日本人は僕1人という状態だと否応なしに自分が何者であるのかということを考えるようになり、いきついた答えは「日本人」であるということでした。今回、このプロジェクトに来るまで紆余曲折があり、また海外に行くとなると妻への負担が増えるという懸念などジレンマになることが沢山ありました。でも、ずっと周りに遠慮した状態だと、自分も辛いし、辛そうにしているとそれが周りに波及してよくないのではと思って、今回このプロジェクトに行きたいと手を挙げました。
久しぶりの英語での仕事、未経験のアパレル業界、そして要求水準の高いお客さんと等など不安な点はあるけど、今回は失敗を恐れずに頑張ってみようと思います。精一杯やりきることが、応援してくれている人たちへの恩返しになるんだと思います。

1991年に母と妹3人でパリを訪れて依頼の訪仏に仕事とは関係なく興奮もしています。タクシーがBMWだったとか、オペラ座が物凄く大きくて感動したこと、ルーブル美術館のガラス張りのピラミッドが綺麗だったこと、2週間のヨーロッパ周遊終盤でフランスを訪れたので現地で日本料理屋をしている母の友人の家で食べたお味噌汁がすごくおいしかったこと、メトロの駅で改札を次々と飛び越えていく10代の若者を見て驚いたこと、エッフェル塔の公衆トイレでぼったくられたこと、エッフェル塔で観光バスにおいていかれたこと、など等当時の思い出が走馬灯のように甦ってきます。

僕の中で重要なプロジェクトになることは間違いないです。頑張ります。

2009年10月9日金曜日

Obama awarded Nobel Peace Prize...Why?

Obama, the United States president, has been awarded one of the most prestigious honors in the world, Nobel Peace Prize of 2009 by Norwegian Academy, stunning many people who didn't expect that the president who succeeded former president just nine months ago not only had been nominated by the academy for the prize but also was awarded the prize exactly with less tangible results achieved despite lots of efforts going on currently...

The person who got involved in the process to pick up the laureate maintained that Obama was awarded the prize not because of his future but because of his footprint left for past nine months.

Looking back at the prize given in the past, the laureates no doubt deserve the prize with long and tremendous efforts put to solve difficult social issues and with tangible results consummated by the laureates. So the awarding this year a little bit deteriorates the authenticity of the prize for some people. But this news should be following wind to Obama facing many issues in the country and disappointed at the result of 2016 Olympic games city selection.

2009年10月7日水曜日

MelorとKindle

昨日上陸した台風18号のせいで今日はとんでも無い目にあった。家を出た時は雨は止み、風だけが凄い勢いで吹いていたので、案外大したことないと甘く見たら、やっぱり東横線はかろうじて本数を減らして動いている程度で久しぶりにあんな満員電車を経験した。しんどかった。話は変わるけど最近台風を諸外国同様、名前で呼ぶようになってきたみたい。まぁ何号って呼ぶよりも、記憶に残るかな。どうでもいいけど。
あと、さっきAmazonにアクセスしたら、電子書籍端末のKindleが日本からでも購入できるようになったという広告が出ていた。メカモノ好きの好奇心をかなりの勢いで刺激された。Kindleの売りは何といっても3G通信費用はAmazonが肩代わりするという太っ腹ぶり、そして明るさや文字の精細さなど、極限まで見易さを追求した液晶画面。ただ、今回日本から購入できるようになったとは言うものの、ダウンロードできるのは洋書限定なので、日本人にはなかなか浸透しづらいかな。International Herald TribuneもKindleを通じて購入可能みたなので、新聞はスペースとるし、Kindle上で読むように切り替えようかな。。

2009年10月4日日曜日

旭山動物園、そして札幌

以前から行きたいと思っていた旭山動物園に、念願叶って、この週末を使い遊びに行くことができました。1泊2日とスケジュールがタイトだったので体力的にはしんどかったですが、北の大地で充実した時間を過ごすことができました。
土曜日は朝5時30分頃に家を出て、日吉駅から羽田までの直行バスで空港入りしました。前日、ミラコスタから帰ってきたのが22時過ぎと遅く、寝ぼけ眼の羽紗には少々しんどいスタートだったと思います。7時30分の旭川空港行きに乗り、10時近くに旭川に到着。空港からはバスで旭山動物園に向いました。
旭山動物園は行動展示という展示法が売りらしく、園の紹介と言ったら必ず出てくるアザラシが通るチューブ型の水槽やペンギンが水中を優雅に泳ぐ様が見れる水中トンネルなど、趣向を凝らした建物が多かったのが印象的でした。白熊が目の前の水槽に飛び込む姿が見れたのが迫力もあって個人的には一番楽しかったです。また、エゾシカやオオカミなど寒冷地に生息する動物が展示されていたのは、日本最北の動物園ならではと感じました。朝早かったにも関わらず、羽紗は終始楽しそうにはしゃいでいたので、来れて本当によかったと思います。
ただ、残念なこともいくつか。1つ目はレストランのアレルギー対応が十分でなかったこと。というのも、MOGMOGカフェというレストランで昼食を取ろうと決めていて、事前にレストランに確認して卵にも牛乳にもアレルギーがあっても食べられるものがあるか確認していたにも関わらず、殆どのメニューは卵・牛乳使用。これでは、アレルギー表示をする意味が全くありません。しかも、卵・牛乳を使っていない唯一のメニューがカレーでした。いくら卵・牛乳が入ってなくても、刺激が強すぎて食べさせられるわけもなく、結局羽紗には白ご飯とちょっと心配でしたが牛乳が入ったコーンスープ、持ってきた干し芋を与えなんとか凌ぎました。アレルギー表示って誰のためにするの?何のためにするの?って考えればこんなことは無いと思うのですが・・。それに、行動展示されているペンギンやアザラシに比べるとライオンやキリンなどのサバンナを連想させる動物の元気がなかったのも気になりました。明らかに多摩動物園の動物達の方がもっと元気で活発だったと思います。そもそも野生とは環境が違うので仕方がないのかもしれませんが。寒冷地の動物に特化してもいいのでは?と思ったり。

旭山動物園堪能後は、旭山動物園号という特急列車に乗って宿がある札幌に向かいました。旭山動物園号なんて名前が付いてますが、旧式の特急列車の外装と内装を動物のイラストでデコレーションしただけの電車というのが実態。ただ、最後尾に座敷のようなスペースはよかった。ずっと椅子に座るのもつらかったので。札幌についたのが18時頃で、歩いて京王プラザホテルに向かい、疲れていたので夕ごはんはホテル内で取りました(1人で来ているなら海の幸を思い切り楽しみたいところですが、子どもがいるとそういう訳にも行かなくて少々寂しかったりはしますが、家族だから仕方がない)。

今朝は札幌に住む中学の同級生がホテルまで2か月の子供を連れて遊びに来てくれて感動。スケジュールが詰まっていたし、まだ子供が小さいので会えないかと思っていたのですが、来てくれて本当に感謝。で、羽紗はずっと「羽紗お姉ちゃんになった」と言っていた。そろそろ妹か弟が欲しいのかな。

大学4年時に東日本で北海道に行って以来、7年ぶりの北海道は旭山動物園との出会い有り、友人との再会有りと非常に楽しかったです。次の旅行はどこになるやら。プランニングを始めないと・・。

ローマは1日にしてならず

2016年オリンピックの開催地がブラジル・リオデジャネイロに決まった。BRICsでは中国に続き2カ国目。ロシアはソチでの冬季五輪開催が決まっているので、取り残されたのはインド。ということで、彼らが五輪開催を目指すのもそう遠い将来ではないのでは?と思ったりする。もしかしたら2020年の招致レースに名乗りを上げるかもしれない。
さて、今回の招致レースでは、マドリード、シカゴ、東京、そして開催地となったリオによる争いとなった。大陸別の開催実績と世界の祭典という特性から同一地域での連続(または限りなく連続に近い開催)の回避ということを考えると圧倒的にリオ優位だと思っていた。ヨーロッパ、北米、東アジアではオリンピックの開催経験が既にある。これまでは経済的事情を理由に南半球での開催を回避する動きがあったかもしれないが、ブラジルの経済力はBRICsとして世界経済の牽引役と評されるほどで、特に問題は無いのだろう。文句無しだと思う。
今回、誠実に開催地が決まったのは評価できるのではないかと個人的には考えている。というのも、シカゴや東京などは直前になって大統領や首相をIOC総会に送り込み国としての意気込みを見せることで招致を呼び込もうとし、そのことに対してかなりの期待が寄せられたらしい。ただ、ブラジルのルラ大統領は招致活動を始めた当時から熱心に開催地視察やIOCへの対応を行っており、地道さが全然違う。真実はどうかは分からないが、そういった点が蔑にされなくてよかったと感じている。

勿論、治安の悪さは不安要素です。UNDOCの公表している殺人事件に関する統計データでは、人口10万人当たりの殺人事件発生数は30.8と非常に高いのが現実です。アメリカでも5.9、そして我々日本では0.5です。つまり、殺人事件発生率は日本の60倍です。ちょっと想像がつきません。地域にバラつきはあるかもしれないので、リオはそんなに高くないのかもしれませんが、外務省のホームページにもリオは要注意都市として邦人が遭遇した犯罪ケースが掲載されていたりと危機意識の低い日本人が今の状況で大挙して乗り込んでいったら、と思うと何となく危険な気がします。来年W杯が開催される南アフリカが69.0とブラジルの2倍なので、治安対策が成功を収めるか、は注視したいところです。開催側も参加側も参考になると思います。

とはいえ、日本の民主党政権同様、民主的なプロセスを経て決まったのだから、今度はリオ五輪が成功するように国際的なサポートを提供していくべきだと思います。僕も応援したいと思います。

2009年10月2日金曜日

ミラコスタ

今日は、シニアマネージャーやマネージャーなどのマネジメントポジションに今年昇進した社員が会社からディズニーリゾート・ホテルミラコスタに招待され、お祝のパーティがあった。パーティには家族や婚約者も同伴可能なので、僕も妻と娘と一緒に出席しました。
コンサルタントに昇進した時は、会社からこんなパーティはなかったので、同じ昇進でもやはりマネージャーへの昇進は大分色合いが違う。そして今年は不況の影響で、会社もかなり昇進者を絞ったので、こうやって祝われる分、プレッシャーもかなり感じる。リラックスできればいいんだろうけど、これは性格だから仕方がないか。真面目だな、自分(笑

羽紗はミッキーやミニーなどディズニーキャラクターがパーティ会場に登場してかなり興奮していた。ホテルに来る前に立ち寄ったディズニーストアで、何故かグーフィーのぬいぐるみを買ったんだけど、僕らのテーブルに実際にグーフィーが来てくれて、買ったぬいぐるみを持ってグーフィーに必死にアピールしていた(笑)もしかして、こんな展開を予想して、グーフィーを買ったのだろうか。確かに、ミッキーもミニーもテーブルには来てくれなかったので、もしかしたらそうなのかもしれない。

途中から会社が用意してくれたベビーシッターに預けて、妻と2人で食事を堪能。先月も同期の結婚披露宴で豪華な食事を頂いたばかりなのに、2か月続けてこんな食事にありつけるなんて最高!!しかし毎回思うのは料理の中で一番おいしいのは何故かパンなんだよね。これは妻も僕には同感で、やはり庶民の舌ではおいしさが判別できないのだろうか。

マネージャーとして、今後自分が未経験だけどやりたいことよりも、やりたくなくても経験があることを中心に仕事のポートフォリオを組んでいくべきなんだろうか。明晰な判断というのは、情報を論理的に構成すれば導き出されるものではなくて、やっぱり知っているか、知らないか、やったことがあるか、やったことがないか、でかなり質や筋が左右すると思う。ど素人のマネージャーの下に自分が付いたらやっぱり不安になるし、経験もあるマネージャーの下の方が働きやすいのは間違いない。戦場に出たことがない上官の下で戦地に赴くことほど心許ないことはないし。

もしかしたら、このタイミングでキャリアを変えてみることも考えるべき時に来ているのかもしれない。今年昇進できなかった仲間には申し訳ないが、このタイミングしかないのかも。。

2009年10月1日木曜日

Tony Hayward

I just watched one of videos posted in Stanford GSB website, the video that Tony Hayward, CEO of BP, the biggest oil and gas energy company in the world made a speech to students from Stanford GSB. In his speech, Tony said that there are three things to keep in the course of conducting business. The first is to be passionate. Citing words from Steve Job's speech at the commencement of Stanford GSB in 2005, "if you live each day as if the day is the end of your life", he said very strongly that being passionate is one of the most important factors for succeed in business as well as in personal development. Unfortunately, I forgot the other two points thanks to my bad memory, I've been realizing that many people including Steve Jobs and Tony Hayward etc always allude something about being passionate. So maybe, being passionate is a base to be successful.

I should be passionate. But first of all, I must find out what I cannot help but be passionate to...