2010年1月13日水曜日

小椋選手の引退について思うこと

小椋選手の引退によって、バドミントンが抱える構造上の問題が浮き彫りになったのではないかと思う。つまり知名度向上という大義名分のために一部(多くの場合は1人か2人の)人気選手に頼らざるを得ないというバドミントンだけでなく、マイナースポーツが抱える課題である。
バドミントンの場合はオグシオ、ほかにビーチバレーなら浅尾美和、スカッシュなら松井千夏とか、メディアを誘うためにこういう数少ない人気が取れる選手を全面に出してアピールせざるを得ない状況は確かにある。プレスルームに来てくれる記者の方たちは頑張って記事を書いてくれても、他ニュースとのバランスで取り扱いが決まるので、人気が取れる選手は相対的に他の選手に比べて1回戦に勝っただけでも記事になる。競技自体にメディアやスポンサーに対する魅力があるのであればきっと、こんなにメディアの注目が一部の有名選手に集中するということは無いんだと思う。サッカーや野球だって、その時々によって特定の選手が競技という枠から離れて取り上げられることはあるが、それでも分散しているのではないかと思う。
小椋選手は決してバドミントンがメジャーになることを祈っていなかったわけではないだろうが、彼女にとってはもっと選手として練習に専念できる環境の方が必要だったんだと思う。きっと彼女にとってもジレンマではがゆかったんだろうなと思うと切ない。

こんな目玉選手にしがみつき続ける人気取りの戦略が持続するとは決して思っていなかった。けど思っていたのはポストオグシオがいないとこれまで取り上げてくれていたメディアもいなくなるだろうという将来の不安に対してだけで、この戦略自体が選手を潰すということについてまでは深く考えてこなかった。

大きな代償を支払ったが、かなり多くのことを学んだ。

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