2009年9月22日火曜日

バドミントンの発展について激論

今日はヨネックスオープン初日。シルバーウィーク中だからか、予選にも関わらず体育館前には開場を待つバドミントン愛好者が長い列を作り、予選にしては異例中の異例の2300人もの観客が入った。ただ、中国選手が軒並み棄権したため、予定していた20試合ほどの予選のうち4割ほどの試合がキャンセルになってしまった。中国はヨネックスからLi Ningに契約スポンサーをスイッチしたからか、大会に対するロイヤリティはかなり低くなったみたいで、本線もシード選手が棄権する始末。先週中国マスターズが行われたばかりなので、選手を休ませるためという配慮もあるのかもしれないが、これがスーパーシリーズなのか?と疑いたくなるような扱われ方で、個人的には何となく嫌な感じ。せっかく試合を見に来てくれたお客さんに日本人選手の対戦ばかりを見せることになってしまったのは申し訳なかったと思う。

予選を終え、赤坂プリンスでの記者会見に出席し、レセプションに少しだけ顔を出してから、いつもの面子で新宿駅西口近くの赤提灯でバドミントンの発展について議論を交わした。皆、バドミントンの発展のために色々と考えているから、どんどん議論がヒートアップ。僕はやっぱりバドミントンが好きなんだと思う。物凄く議論が楽しかった。

さて、明日はついにイケシオがヨネックスオープン初見参。韓国ペアとの対戦になるけど、是非勝って会場を盛り上げてもらいたいな。

2009年9月21日月曜日

少し興奮。

今日の結果次第で男女ともに入れ替え戦に回るかもしれないということで、青葉台にある日体大までリーグ戦最終日を迎える母校を応援に行ってきました。結果は男子が入れ替えを免れ、女子は不運にも取得ゲーム数で青山学院大学に僅かに及ばず1勝を挙げたものの最下位に沈んでしまいました。東日本から間髪入れずに迎えたリーグ戦は体力的に非常にきつかったと思いますし、実際に故障者も出ていたようなので、苦しい中での戦いを強いられたのかと思います。選手はよく頑張ったと思いますが、結果は結果として受け止めて、修正すべき点は修正し、女子は今週末の入れ替え戦に臨んでもらいたいと思います。また、10月にはインカレも控えており、これからペースを上げていくべき時なので、この結果を必要以上に引きずることなく過ごしてもらいたいと思います。他大学との戦力を比較しても、早稲田の戦力は非常に充実しているし、ここ数年層の厚さは常にキープされているので、決して引けは取っていないはず。特に女子の木村・伊藤のダブルスは底力を見せてくれたと思います。入れ替え戦はきっと勝利してくれると祈ってます。

母校の話からは逸れますが、男子メインコートで行われていた日体大対日大戦での日体大1年生の佐藤君は凄かった。相手は4年生の佐伯君だったのですが、ネット前には果敢に突っ込んでくるし、置きに行くことは殆ど無く、後ろに上がれば素早いフットワークで回り込んで角度のあるジャンピングスマッシュを叩き込んでいました。決まるたびに相手に向かってガッツポーズを繰り返し、威圧感も抜群。ファイナルゲームで佐伯君を下してました。今年の日体大1年生は粒ぞろいということですが、その通りのようです。

試合観戦中にバドミントン部の部長先生から早稲田でジュニアクラブを立ち上げるという話が出て、立ち上げに向けて今後準備をしていきたいということになりました。常々、バドミントンを教える機会があれば携わりたいと思っていたので手を挙げました。仕事が忙しくなるのは明白なのですが、こっちも頑張ってサポートしていきたいと思います。これからのことを思うとちょっと興奮します。。

2009年9月20日日曜日

Perfume

ここ数年ではまったアーティストと言えば、3年前にかなりのめり込んだASIAN KUNGFU GENERATIONくらいだったのだが、久しぶりにツボにはまるアーティストに出会った気がする。ここ最近、リラクゼーションのためにJazzを聞いたりしたが、色々と聞き漁ってみると自分の好みが何となく分かってきた。メローな曲よりも、アップテンポの曲、単なるJ-POPよりもニュージェネレーション的なテクノっぽいジャンルが好みらしい。大学時代にUNDER WORLDとかSONYのCMソングにも使われたフランスのテクノグループ(名前をド忘れした(泣))をよく聴いたけど、昔から実はそんなに音楽の趣味は変わってないのかもしれない。

今日、家から綱島までのジョギング帰りに立ち寄ったTSUTAYAでPerfumeの旧作アルバムを借りてみた。最新アルバムの『⊿』に収録されているDream Fighterのノリが気に入っているのだが、他にもいい曲があるかも。

しかし、28歳のオヤジがアイドルテクノグループにはまるってのは傍から見ると、「いい年こいて」という感じなんだろうか(笑)

2009年9月19日土曜日

今日から。

今日から妻と娘は妻の実家に帰ってしまい、シルバーウィーク中、僕は日吉の自宅で1人暮らしです。我が家では、基本的に妻が実家に帰る時は僕はついていかないことがほぼルールになっている。妻の主張としては、帰省の目的は休息なのに、僕がいると休まるどころか普段の生活と変わらなくて休めないから来ないでということ。僕はこれが普通だと感じているけど、上司や同僚にしてみると夫婦揃って帰らないのが奇妙らしい。正直言って、家に妻がいるとやはり気も使うし、娘がいると構ってあげないといけないので、僕にとっても妻の帰省というのは普段の緊張感を解く大事な時間だったりする。だから、置いていかれることに関して不安などを感じてはいない。でも、僕ら夫婦のスタンスは一般的な感覚からずれているんだろうな。

方向性というもの

キャリアを伸ばす上で考えなければいけないことは、得意分野をひたすら伸ばすのか?(スペシャリストになるか?)、色々な分野にチャレンジし様々な分野を経験するか?(ゼネラリストになるのか?)ということだと思う。入社から3年目くらいまでは、色々なことにチャレンジすべきだと思う。というのも、そもそも大学時代の専攻分野を生業としていない限り、入社してからすぐに自分の得意分野を任されるということはない。基本的には未経験分野の経験を積んでいくことになるから。そこから社歴を積んでいくと、少しずつ自分の中での方向性が見えてくる。そして社内の人間も自分のことを「彼は○○が得意」というような認知をするようになってくる。ここでどういう主張をするのかが、かなり自分のその後を左右すると思う。というのも、社歴が長くなれば自然と会社から自分に対する期待値は上がる。そしてお客さんからの期待値もフィーに比例して上がる。それだけの費用対効果を出せなければ社内からも社外からも期待外れのレッテルを張られることになる。だから、過去の延長線上で突き詰めていくというのは、リスクも低いし、何より楽。
ただ、若い時にあてがわれる仕事というのは、必ずしも自分が望むものとは限らない。いや、殆ど自分の望みとは全く関係の無い仕事を振られることの方が多いと思う。だから、自分の望む仕事をつかみとるのに最もいい方法というのはとにかく結果を出して、自分の意志を認めてもらうようにするしかない。どんなに望まない仕事であってもとにかく必死で頑張って結果を出して、上に認めて貰えるようになれば、自分の発言も重みをましてくる。でも、仮に認められたとしてもそれが5年目、6年目となってくると、簡単にキャリアをシフトするというのは難しくなってくる。期待値の問題が発生する。
今自分はそんな状況に直面している。自分の意思で今のプロジェクトに来た。色々な犠牲を払って来た。だから何としてもこのプロジェクトで結果を出さなければいけない。でも、自分がやりたいことは今の仕事ではない。もっと新しい領域に取り組んでいきたい。それはシステムではなくて、業務とか戦略とか。でもそれは全くの未知の領域。それにここを担当しているのは自分の親友。正直言って、彼から「こいつデキナイ」と思われるのは怖い。だから、なかなか踏み出せない。。

でも、どうなんだろう。やはり失敗してでもいいから乗り込んでいくべきなのかもしれない。親友は僕が仕事できないくらいで、縁を切るだろうか。むしろサポートしてくれるのではないだろうか。実は不安は思いこみでしかないのかもしれない。

一直線に向かっていくのは心地よいかもしれない。でも、今の僕にはそこをずらすだけの勇気が必要かもしれない。

2009年9月13日日曜日

いつのまにか

全日本社会人が金曜日にクローズし、混合ダブルスでイケシオが初優勝を飾った。楽な勝ち上がりではなかったにせよ、混合ダブルスは全日本社会人の結果が全日本総合を占うと言っても過言ではなく、日本代表としてのクレジットはとりあえずこのペアとしての実績として与えられたのでよかったのではないでしょうか。世界ランキングは178位とスーパーシリーズの本選シードに必要なランク32位(だったと思いますが)まで距離もあり、先日の台湾オープンからすると世界で伍することができる実力をつけるには時間が必要な気がしますが、2012年のロンドン五輪に向けて頑張ってもらいたいものです。五輪レースは来年、再来年が正念場になるので、ビッグポイントが獲得できるスーパーシリーズの本選シードを獲得できるように何とか今年はランク50位以内までは持っていっておければといったところでしょうか。

関東大学秋季リーグ戦もスタートしましたね。我が母校は初日黒星と幸先悪い出足でしたが、今日は男女ともに白星を収め、五分に戻したみたいです。10年前に比べれば明らかに戦力は充実しているのに、団体でなかなか結果を残せないでいる状況と、少ない戦力ながらも着実にAクラス入りを果たしていた1990年代の先輩達を比べて、バドミントンは個人競技ながら、個人の力だけではやはり勝てないのだろうなと思ってました。是非とも、こんな適当なOBの勝手な思い込みをかき消してくれるような快進撃を期待したいと思います。今回は健志台に遊びに行けるかは分かりませんが、ブログに応援コメントでも残しておこうと思います。

親友の披露宴

土曜日は親友でもある同期の披露宴でした。初めて友人代表スピーチを頼まれ、原稿を書いていきましたが、完全に頭に入れず、流れだけ叩き込んで臨んだ成果が出ました。噛んだり、止まったりすることもなく、またコンテンツ的にもそれなりに僕の親友に対するお祝いの気持ちを凝縮できたのではないかと思います。途中気持ちが昂ぶって、実は原稿の一部分を丸々すっ飛ばしてしまいました。すっ飛ばした部分は流れの根幹を左右するわけでもなかったので、とりあえず問題はなかったのでよかったです(笑
また結婚式後の2次会では、これまた初めて幹事を務めさせてもらいました。新郎新婦に秘密で準備してきたサプライズビデオメッセージは、驚いてくれてほっとしました。頼りない幹事で不安にさせたことも沢山あったと思うけど、暖かく権限委譲してくれた親友に感謝。

とにかく、披露宴でも2次会でも親友と奥様の固い絆を伺わせる素晴らしい式でした。本当におめでとう。末永くお幸せに。

2009年9月9日水曜日

既婚率上昇中

先日、大学のゼミの同期で、公認会計士をバイトでやりながら、本職は簿記講師という友人の家に遊びに行った時に、同期のSが来月結婚するから、お祝い兼同窓会でもやらないかという話になった。先生が
師事した古川先生の時代から40年ほど続いた伝統のゼミも、先生が講師を退任され、ゼミが途絶えてから毎年開催されていたOB・OG会も開かれなくなり、毎年1度は必ずあった再会の場が無くなってしまった。ということで、規模は異なれど自発的に集まって飲んだりしていたのだが、去年、数少ない女性ゼミ生の1人がアメリカに嫁ぐ(古い?)ということで、南麻布のANGOLOに同期ほぼ全員(19名中15人くらいは来たはず)を集め、悪乗りして先生まで呼んで盛大に送別会をやったのが、最後にまともに集まった同窓会じみたものだった。
久しく集まってなかったから、また集めるかな、とゼミ生名簿を引っ張り出し、電話をかけていくと、知らないうちに結婚している同期もいて、大分既婚率が高まった感じ。僕の計算だと、8割は既に結婚していて、女性に至っては100%の既婚率。持家率は1割強とそんなに高くないけど、ここ1年で0%から10%を超えており、今後、既婚率の高まりと社内の階段を順調に昇るに従い上昇するのではないかと思う。特に、30歳を超えてから、給与が一気に上昇する(と言われる)優良日系企業に勤める同期が結構多いので、何となく溝を開けられそな感じがして、ちょっと怖い(泣)
置いて行かれないように頑張らないと。

自立

マネージャーになってから個人的に物凄く考えていることがある。それは、自立するということ。マネージャーになって、今さら何を言い出すのかと思われるかもしれないが、これはかなり真面目に考えていること。ここ数年はちょっと上司に甘えていた、極論するとどんなに壁にぶち当たっても彼が導いてくれる、方向性を指し示してくれるだろうという気持ちがどこかにあったと思う。決して、表立って答えを求めたことはないし、極力自分で考えることを常としていたけど、課題にぶち当たって自分なりに答えを出しても、結局上司の指し示す方向に黙って従っていた気がする。上司も上司で意志が強く、ぶれない人で、結構一方的に考えを示してくるので、自分のアイディアが受け入れられることも余りなかった。彼がいるという安心感と、結局自分の意見は通らないという諦めの2つが、どちらかというととにかく自分で引っ張るという気持ちに対して消極的に働いていたと思う。
昨日、上司が仕事中に久しぶりにフィードバックするか、と言ってくれて、2人でコーヒーを飲みながら色々と話をしたのだけど、彼も同じことを心配していたらしい。これからは誰も頼れない、自分の力で道を切り開いていくしかない、と。過去2年くらいのプロジェクトの体制上、どうしてもリーダーは自分自身というポジションではなかったので、致し方ないとも言っていたが、マネージャーになると一気に立ち位置が変わって、基本的にはパートナーからはほぼ権限移譲されている、というか放っておかれるので、何でも自分で考えて、自分で行動していかないと苦しいよ、と彼の経験も踏まえてアドバイスをくれた。そして僕も同じことを考えていると打ち明けると、気づいているのはいいことだと言われた。

とにかく自分がチームを率いる時に、メンバーを不安にさせないようにすることが大事だと思う。これまで自分が心地よく仕事をすることができたのは、ひとえに意志が強く、ぶれないマネージャーの下で仕事してこれたからだと思う。彼らは皆、その時々でひたすらに考え抜き、外部の意見も取り入れながら、自分の意見をしっかりと打ち出していた。そして考えるのもスピード感があった。うー、とスタックすることは僕の前ではなかった。多くのフレームワークを持ち、臨機応変にフレームワークを用いてクイックに考えて、方向性を打ち出す様は本当にすごかった。そして彼らには何より自信があった。新しい領域でも果敢にチャレンジし、自分なりの答えに自信を持っていた。

ただの作業者から、文字通り管理者としてマインドチェンジを図らなければ。とにかく自立。それしかない。

2009年9月5日土曜日

一勝九敗

ファーストリテイリングの柳井正さんの『一勝九敗』という本を昔の上司に勧められたので、購入して読んでみた。「クビになるリスクはやっぱり怖いっす」というようなことを言ったから、元上司はこの本を薦めてきたのだが、読み終わってみて何となく彼が意図したことが分かったような気がする。

読みながら特に感じたのは、とにかくメッセージがシンプルだということ。それは文章の短さにも表れていて、節が何個もあるような文章は殆ど出てこない。主語、述語、以上、といった非常に簡潔な文体には本当に虚飾が全く感じられなかった。

とにかく自分の頭で考え、行動し、失敗を恐れずに失敗から学び、現状に甘んじることなく、目標は常に高く持つ、そして何よりも即断・即決・即実行、というメッセージは自分の胸に沁み入った。折しも、マネージャーに昇進したばかりで、気持ち的にも「自立しなければ」と思っていたところだったから、尚更だった。

これまでの人生、流れに任せる部分も多く、自分で考えて行動してきたか、と言われると反省すべき点は多くある。考えてこなかったわけではないが、不協和よりも調和を是としてしまい、自分を犠牲にすることも多分にあった。しかし最近とみに思うのは、そうやって不協和を回避しようとすることは、自分の精神状態を健康に保つことにはネガティブに作用するので、宜しくないということ。我慢、忍耐というのは生きるためには必要だけど、常に押さえつけるのはストレスがたまるだけで、時々「ガス抜き」しないと、鬱になったり、結果的に自分を痛めつけるだけ。

柳井さんの本を読んで叱咤された。やっぱり他人に甘えず、自分の足で立つ意思を強くしなければ。

2009年9月1日火曜日

マネージャーになりました

My company is American company so a fiscal year starts from September 1st. On this day, many important accouncments are made by company executives, the announcements for organization changes, leadership changes and results of promotion.

Working as a Consultant, the second level from below of career path , I was a candidate for manager promotion. Because of bad economic situation that has plagued my company, this year's promotion has been said to be the toughest for candidates for any level of promotion. So I was quite restless until I got an official notification that I got promoted to a manager from my career counselor just two weeks ago. Actually, those who could have been promoted to had been confied to people who had been evaluated as outstanding but some consultants who were evaluated as outstanding were not allowed to be promoted to higher level.

To be honest, I thought that promotion didn't matter to me. But finding that some of my colleagues couldn't make manager promotion and got hurt, I've been realized that I cannot say "the promotion doesn't matter to me". I must keep in mind the responsibility those who got promoted must accept.

Then, I would like to extend heartful thank you to everybody who supproted and is supporting me either directly or indirectly. If it had not been for you, I could not have been promoted.