さて、昨日は羽紗を連れて国立の実家に帰った。母があまりに「桜を見においでよ」というので、それにこたえるために。日吉から国立は近いように思えて、意外に遠く、我が家から実家までは1時間20分くらいかかる。殆ど南武線に揺られているのだが、あの路線のメリハリのなさというのは乗っているだけで結構苦痛になる。何せ、全て各駅停車なのだ。特急、通勤特急、急行、各駅停車などのバリエーション豊富な私鉄に乗りなれた自分には辛い。せめて急行くらい導入したらどうだろうか、と実家に帰る度にいつも思う。
昨日は生憎快晴とはいかず肌寒さの残る天気だったが、土曜日の陽気のせいか桜はほぼ満開だった。国立市を南北に走る大学通りは絶好の花見スポットのため、多くの花見客がいた。ビールを片手に花見に興じる人たちもあの寒さなのに沢山いた。
しかし国立で小学校2年から大学卒業までの15年間を暮したものからしてみれば、桜の季節だから「花見だ!酒だ!」と騒ぐのは、「素人」と言わせて頂きたい。
桜というのは生活の一部なので、決して「花見だ!酒だ!」と騒がないのが国立人としてのプライドだと思っている。大学通りで花見に興じる人たちもいるが、あれはリアル国立人ではない。桜には四季の顔がある。確かに、春の開花シーズンは桜にとっては見せどころである。でもそれは1年からしてみるとほんの一瞬にすぎない。夏は夏で青葉が萌え、秋冬はそこはかとなく寂しい様相を見せる。リアル国立人はそんな四季折々の桜の姿を見ており、その時々の素晴らしさを知っているから、決して「心の底から」桜を見て騒いだりしてはいけない。しかし、リアル国立人は府中・立川という超ジャンボ市に囲まれて育ち、さも両市の人間のように振る舞いながら他市の施設を使うことになれている。ということで、周囲に合わせることは得意だから、他市出身者と紛れて花見に興じることはできても、決して「心の底から」花見で酔っぱらうことはないはずである。
また、リアル国立人は決して余所の桜に心を奪われてはいけない。千鳥が淵だろうが、代々木公園だろうが、国立の桜が一番だと思わないといけない。思わないといけないというか、客観的に見ても一番なのだが、決して屈してはいけない。目黒川の夜桜にくらっときそうになった時もあるが、そこはリアル国立人としてのプライドを思い出しぐっと凌いだ。いかん、いかん、という感じで。

しかし、国立というのは誇れるものがこの程度しかないというのも事実である。立川、府中という巨大地方都市に囲まれ、こじんまり度でもダントツ。予算規模の差は見ての通りである。立川は競輪事業で国立市予算額の半分を稼ぎだしており、府中に至ってはJRAが落としていくお金で国立の年間予算の何と4倍の予算をゲットしている。規模の違いはサービスレベルの違いにも如実に現れており、前述の通り、公共施設も貧弱(総合図書館と呼ぶのもはばかられる図書館が1つ、体育施設は1つ・・・)なので、僕は府中の施設を「市外」利用者という屈辱のレッテルを貼られながら割増料金を払って使っていた。正直言って、この規模の小ささで立川か府中に合併されないのが不思議なくらいである。企業の論理で考えれば、「買ってください」と手を挙げてもおかしくないくらい、財政的にも非効率な状態が続いている。正直財政の方は大きな財源があるわけではないので、手詰まり感はある。本当は合併してもらた方が財政運営上は楽になるはずだ。別に合併の話がおおっぴらにあるわけではないが、仮になったとして、どうしても賛同できないのは、それは国立という町が好きで、合併されたらその文化が失われるのではないかという危惧からである。
国立が今年10月にカナダで開催される「花のまちづくり・国際コンクール」にエントリーするとのこと。正直このイベントがどれくらい権威のあるものなのか知らない。でも、地元に対しては保守的な僕だが、こんな小さな町でも世界に打って出るというのはいいことだと思う。でも、あんまり有名になると国立に人があふれて嫌だな(笑)また保守的になってしまった。
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